鱗手オキル短編集
シロヘビちゃん





あたい、ガラ無しのシロヘビだ。
シロヘビにしちゃ、運がない。ツイてないのは、生まれつき。

な。な。見てごらん。テーブルの上だよ。二個あるんだよ。コハク色の石だろ、ラズベリ色の石だろ。右に左にコンと置くだろ。ときどき左と右を入れかえたりして。へっへ。でも、これはあたいの石じゃない。これはあたいのあるじの石さ。ショージョ趣味の坊ちゃんあるじが、ときどきおはじきに使うのさ。

置いてけぼりのお宝を、あたい、じっと守ってんだ。へびにらみだよ。ぎろぎろぎろ。おまえ、逃げんなよってカオをして。時々、釘を刺すんだよ。わかってんか、なあ、おまえ。逃げたりしたらかんじまうよ。かまれたら、いたくって飛びはねちまうよ。あたいの歯はね、いい歯だよ。

だけどね。

あたい、やっぱりツイてなかった。ちゃんと守った二個の宝石。坊ちゃん帰っても、知らん顔。なあ、見てくれよ。二個の宝石。あたい、二個とも守ったよ。あたいが首をもたげても、坊ちゃんなかなか気づかない。

けれど、坊ちゃん、テーブルの上に、きれいなピンクの紙なんか敷いてさ。筆をなめなめ書くんだよ。あたい、読めない。読めたら、変でしょ。書いたら坊ちゃん破いて捨てて、も一度きりきり書くんだよ。誰にかって? たぶんあいつに。

わかってるんだ、わかってる。

あたい、あん時はショックだったぜ。坊ちゃん、女のコと手ェつなぎ、指を組んだり組み直したり、ついにゃ握り込まれちまったりするだろ。あたい、にょろにょろその手の方へ、助太刀しようと駆けつける。けれど、よくよく見てみれば、坊ちゃん、いやーに楽しそう。

握り合うのは楽しいんだろか。坊ちゃん、それは酷だよ。あたい、手ェ握られたことないよ。あたいも両手を出そうとしてさ、くいくい首をひねってみた。思えば、あたい、ヘビなんだよ……。そうだよ、あたい、ヘビなんだ。

いいえ、わたしは人間ですよ。そですとも、わたくし、人間ですとも。言い聞かせてみたんだけれど、やっぱ身体はだまされてくんない。やっぱ手なんてどこにもない。

人間になろうなんて、思わない。だけど。せめて人間ごっこができりゃ、あたい、結構楽しいのにな。人間ですよ、おほほほほ。って。口元あてる右手が生えて、ついでに社交ごっこもやって、握手ごっこもやったりする。でも、あたいはヘビなんだ。あそびのヘビならヒトにもどれるのに。こまったことに、あたい、本当にヘビなんだ。おお、いや。

ぼうっとしたよ。ぼうっとした。飯はきちんとたいらげた。食えるうちはまだいいさ。坊ちゃんがくれる餌だもの。坊ちゃんそろそろ思春期に入る。大事に大事に育ててきても、坊ちゃんもしょせん人間だもの。あさってあたり、あのコをごらんよ。ヒゲでも生えてるんじゃねえの。たぶん。あさってはないか。もっと先。ううん、もっともっと先。ずーっと先で、いいよ。そんなの。

坊ちゃん、手紙を書き終えた。あたい、おとなしく見守っていた。坊ちゃん、インク瓶の頭なぜた。あたいの頭は、なぜなかった。宝石ふたつ、無造作に、うすいピンクの袋に入れて、のりを探しに去ってゆく。あたいは、ひっそり檻にもどった。

あたい、つまらないヘビじゃないよ。

ウロコもはがれちゃいないんだ。きれいだったんだ、あたいの胴体。あの女が気安くつっついたりしたもんで、指紋でもついてたらぞっとするね。ね、坊ちゃん。あの女ってェどの女? なんて聞かないの。聞かないんだ。そうでしょうとも。坊ちゃんにゃ、関係ないことですとも。そうですともサ。

坊ちゃん、あたいに無関心。いや。そんなはずはないのですよ。どういう経緯かこのウチじゃ、ヘビはめっぽう嫌われるけど、坊ちゃんだけはやさしかった。けれど、敵が多いのさ。「爬虫類は人になつかない」。じゃあ、なんだ。坊ちゃんは。あたいにこんなになつかれてる坊ちゃんは。坊ちゃん、あんがい、人間じゃあないかもしれん。あたい、そう思う。

坊ちゃんはいつも正しかった。正しかったのは生まれつき。顔がオヤジに似ないことにはじまって、オフクロよりもヘビが好き。勉強熱心ってのも悪くない性質(タチ)だ。

けれど、最近まちがいを犯したよ。ねえ坊ちゃん。変なものを家に持ち帰るんじゃ、ないよ。人間なんか、世話が大変だろ。あたいは必死でうったえた。とどかぬ声に、ムカムカしたよ。あたい、きっとさみしいやつさ。だあれもあたいの人間ごっこに気づかない。悲劇悲劇。あたい、泥水の中で、死ぬんだろうな。なあ、あたい、幸福な顔じゃ、死なないだろうな。

いつのまにか、あたいも、不幸な匂いのするやつの仲間入りだ。ほら、そこのあんただよ。なぐさめに餌をくれようってのか。なぐさめに檻から出そうってのか。あんたが坊ちゃんのオヤジだなんて、信じられるか、なあ、オヤジ顔。あんたもさみしいやつだものね。家庭内別居ってやつだもんね。さみしい上に、絵にならない。

あたい、ガラ無しのシロヘビだ。
おまえ、出がらしのニンゲンだ。
お互い何か通じるものがあるよ。

ううん、いやいや、ないってば、ないよ。全然ちがうじゃあないの。あたいにはプライドがある。あんたにはない。あんたには重大なエラーがある。あたいにはない。たぶん。

そのオヤジが、あたいにくれた餌。それがまた、うまそうだったのがいけない。たいていそうだよ。裏切りの蜜はうまそうな匂いがするんだ。あたいはせまい思いをしたよ。青空の下で、せまいせまい言う。こんなことってあるだろうか。

あれ。あたいは思った。坊ちゃんじゃあ、ないか。見える見える。さよならって言って、笑ってる。さよならって、言って。

坊ちゃん。あたい、坊ちゃんのアタマでも喰ってから、死にたかったよ。いんや、手でも足でもいいよ。痛いだろうけど、そんくらい耐えておくれよ。誰よりもあんたを知ってるあたいだよ。それでも、痛いのはいやかい。あたいもいやだ。人間の女のコなんかにつっつかれるのはごめんだよ。うるさい悲鳴あげられんのはごめんだよ。耳が、いたいの。

あたいは鉄の車の中を、そわそわと動きまわった。

どうしてもいやだってんなら、舐めるだけでいいよ。手のひらとかさ、ちっとキズでもつけてだよ。生き血がつーっと出るだろ。あたいはそこからベロでもぶすっと刺して、ああ若返るうーってかんじで飲むのさ。なあ。それもダメ?

動き出す。あたい、必死で見てる。坊ちゃんが笑ってる。何も知らない顔。いい顔。

じゃあ。じゃあさ。あたいを見て。見てくれるだけで、いいよ。きれいな目玉がすうっと狙いさだめるように、あたいのところで止まるのさ。あたい、しゃあって牙を剥いて威嚇するのさ。坊ちゃん、泣くよ。ちょっとからかっただけなのにって。飼いヘビに噛まれそうになって。ヘビに嫌われちゃったと思って。あたい。それで満足する。

はなれてゆくの。どうして、はなれてゆくの。

ああ、そうだ。こんな願いなら、叶えてくれるだろ。坊ちゃんが死ぬより早く、あたいが死ぬんだ。いろんな奴が言うだろうさ。死んじゃったヘビなんて、不吉だから、捨てなさいって。坊ちゃん、いやだって言って、あたいにしがみつく。けれど、世の中ってェのは残酷だから、あたい、ポイとどっかにやられてしまうの。坊ちゃん、三日ばかり泣いてくれんの。やさしいんだもの。あ、そだ。言っとくけどね、革製品にだけはなんないよ。

あー。地平の彼方。あれが坊ちゃんだろか。どれが坊ちゃんだろか。遠い。遠くって、わからないじゃあないか。あたいの目、なんでヘビの目なんだ。ちくしょう。

ねえ、じゃ、最後の願いだ。あと一日。そばにいて。いてくれ。くださいな。そんなちっちゃな願いを叶えてくんないのか。あんた、案外悪党じゃないか。うれしいね。あたい、悪党好きさ。童顔だったりしたら、もっと好きさ。ヘビ好きだったら、パーフェクト。

坊ちゃん。坊ちゃん。坊ちゃん。

もう夜だ。あたいを乗せた鉄の車は、遠く遠くに来ちまった。あたいはやればできる子だ。自慢の丈夫な歯を使ったよ。檻なんか、自動ドアみたく開いちまった。ざまあ。あたいはのろりとはい出して、やっぱり生きるしかなくて、女優さんみたくつーっと泣いてやった。

あたい、ガラ無しのシロヘビさ。
シロヘビにしちゃ、運がない。ツイてないのは、生まれつき……。