鱗手オキル短編集
帰り道





歩いていた、田舎の道を。
火星の色をした空に、紫の雲が浮かんでいる。
西の太陽が光と色とを弄ぶせいで、空はくらい虹のように層を成している。
背後の空が暮れてゆくにつれて、ぼくの心は不安になる。

道をまっすぐ進めば、ぼくの家のある村落につく。
家にはおじいちゃんとおかあさんが待っている。
ぼくは一人、喉の奥で歌を歌いながら、自分をはげまして一人歩く。
声もとうに出なくなっていたが、やがて歌の文句も枯れていった。

疲れていたんだ。
それに。
途方に暮れていた。

土と草の匂いが立ち上る、湿った道の上。
ぼくはふいに立ち止まった。
じぶんに、ふいに、なんて変かもしれない。
だけど、自分でもどうしてかわからない、本当に意図のないことだったんだ。
ぐるりと辺りを見回す。

燃えるような夕日。影絵のようになった遠くの山々。
ぼくは自分をはげましたい。
暗い緑の森を睨んで、おとつい友達と考え出した緑の怪獣のことを考える。
ウオーッと山の奥で怪獣が吠えているのを聞こうとする。
夕方の風は澄んでいて、何だか哀しい感じがしたけれど。
少しばかりあたたかかった。それがぼくを夢見がちにさせる。

ぼくはほんの少し元気になった。
湿った道をまた歩きだそうとしたそのとき。
ぼくは急に目が開いたようになって、それに気がつく。
道端にビニルシートがかぶせてある。
下に何があるのだろう。
歩くごとに近づいてくる。
このまま通り越してしまおうか。
それとも、近づいて確かめてみようか。
ぼくはそのふくらみが、何かの生き物の形をしている気がして胸がどきどきする。
風がやんだ。青いシートは少しも起伏しない。
音もしない。

気がつくと、ぼくはそれを少し追い越したところにいた。
立ち止まって、後ろを振り向いた。
もしかしたら、あれは。

死んでいるのだろうか。

僕は思う。
馬か牛かわからないけれど。
それが何かさえわからないけれど。
たぶん、死んでいるんじゃないだろうか。
いやな気持ちがして、ぼくはそれから目をそらした。

ぼくが道を進みかけた、その直後のことだった。
ぼくは背中がかっと熱くなった気がして、また後ろを向いた。
夕焼けが立派だった。明るい。少しまぶしいくらい。
ぼくは首をひねった。おかしかった。
ついさっきまで、あんなにくらい空だったのに。
ついさっきまで、あんなにぶきみにおどろおどろしていたのに。

空はかっかと燃えていた。
図鑑で見た遠い国の砂漠の色。いや、むしろどこか遠い星の空のよう。
紫の雲を千切るようにして、白い太陽が、赤い赤い光を投げている。
何かが起きる。でも、それが何かはわからない。
でも、今ここで何かが起きているんだ。
ぼくは自分の長い黒い影を踏んだ。
踏んだ。ただただ踏んだ。
繰り返し繰り返し踏んで、ひたすら駆けた。

息が切れる頃、ぼくは何だかおかしいなと思った。
あれはきっとただの夕焼けじゃあないのか。
立ち止まったぼくは、僕の影の薄さを見た。
湿った地面に吸い込まれるようにして。
ぼくはぼくの影を踏んだ。夕空はあっという間にくらくなった。
あるのはただ、山の影からぼくの手前までつづく、青緑の闇と。
切り抜いたようなくらい空。くらい草むら。そして、道。

がっかりしてしまった。
ぼくはまた歩きはじめる。
いつの間にか、歩きはじめていたんだ。
どれくらい歩いたろう。
ぼくはぼくの影を見る。
ぼくの影は家路の長さにうんざりしながら、まだ歩きつづけていた。

ふと思った。

もしかしたら、間違いだったの・かも・しれない。
なあ。
ぼくは、無力だったの・かも・しれない・のだ。
なあ。
自分を宇宙人だと考えてみたり、自分を特別だと思ってみたりして。
突然遠くへふらりと行ってしまいたくて、ぼくはここまで歩いてきた。

けれど。
見つかったものは何もない。

ぼくはかなしかった。
ぼくの小ささが、こんなにもよく見えることが。
黒々とした山々の影に囲まれて、黒い影がぽつねんと歩いている。
たぶん、それは僕なんだ。たぶん……。
ぼくはもう途方もなく、ぼくを離れてしまったんだ。

すべてが薄青い。線香の煙のような色だ。匂いがする。
いい匂いだった。
ぼくは何かに酔ったように歩いた。

沈みそうな夕日をもう一度だけ振り返った。
地平の向こうで、異人さんが歩いてる。
英語なんてわからない。
知っているのは、ハロー、だけ。

でも、彼とぼくとは出会わなかった。
彼はこちらへやってこなかった。
一瞬見ただけ、すぐに見えなくなった。
少しだけ考えた。
そのあとで、ぼくは「異人さん」というものの写真をおじいちゃんに見せてもらったことを思い出して、気がついた。
ちがった。
写真のその人は、ただの人間だったんだ。人間の魂が入っていた。
こんなにちがうのに、どうしてぼくはあの地平にいた細長いものを「異人さん」だと思ったんだろう。
自分でもあとから不思議だった。

夕ぐれ時になると時々現れる。
あの黒い靄。
人間の形に少し似ているけれど、あの体内では何かのほかのものが動いている。
でもぼくは、自分とちょっと違うけれど、すごく近い何かのように感じたんだ。
ぼくは、こわい、と、思ったんだ。
もうすぐ日が暮れる。

ぼくは、帰らなきゃ。
ぼくは、帰らなきゃ、いけない。
どこへ。
家へ。
待て。
ほんとに、家へ、か?
でも、それしか答えが見当たらない。
違和感がして、胸がちくりとして、妙に興奮した。

自分の息の音が、こうこうと鳴っていた。
体の中身がえんえんと鳴いていた。
涙がはらはらと落ちた。

歩いていた、田舎の道を。
おばけが出そうでこわかった、と。
なつやすみのともに書こうと思います。