鱗手オキル短編集
アップデイター





「ハロー」
とご機嫌にその子どもは言った。
「僕はデンショ・アップデー太。よろしく。長らく時空を旅していたから、今は少々疲れ目。おかげで本来の美少年ぶりがちと失われてはいるが、まあ、そこは気にしないでちょうだい!」
机の上で偉そうに腰に手を当てている。こいつの身長は大体、おれの人差し指くらいである。おれはぽかんと馬鹿のように口を開けて、この子どもを見つめていた。子どもはそんなおれを見て、おほんっとわざとらしく咳払いをした。
「大事なことなんだ。もう一度言っておこう。僕はデンショ・アップデー太、よろしく。長らく時空を旅していたから、今は少々……」

「わかったわかった」
とおれは怒鳴った。
「で、おまえ、何もんだ? 宇宙人か? それとも、最近よく風呂場に出るっていう例の小人さんか?」
「ちっちっち」
と小人が指を振った。憎たらしい奴だ。
「ここはもうちと詩的に、銀河の旅人とでも名乗っておこう。ほら机の前の方をよくごらん。君は僕の趣向を凝らした『をかし』も『あはれ』も理解せぬままに、あれぇ円盤だぁ、わーい、なんて思うかもしれないが、これが僕の乗って来た星の渡し舟さ」
「はいはい、そいつは良かったねえ」
と言って斜めに見下ろすと、確かにそこにはいつの間に来たか透き通った丸いもんがあった。と、ぷしゅうっと小さな音を鳴らして、その中から一つの影がこちらにジャンプしてきた。

「な、なんだ、こりゃ」
そいつは赤青緑に染め分けられた、カラフルなトカゲのように見えた。そいつはさっそく偉そうにおれの机の上で文房具の匂いを勝手に嗅いでいる。
「彼は僕の友達さ。名前はガギラン。通り名は『小さな大怪獣』で銀河に名を馳せている。トリック オア トリートっつーことでこいつには何か食わせてやってほしいな。ま、僕らはこれから君の命の恩人になるんだ。当然だね」
「ずうずうしいぞ、おまえら」
「だから言ってるじゃないか、トリック オア トリートっつーことさ」
「脅迫かよ」
「まったくもう、こういう可愛らしい健全なコンタクトは脅迫とは言わないだろう? 何なら今日をハロウィーンUに制定してくれればいい。良い子のハレの日めでたい日ってね。要は気持ちの持ちようさ。僕的に今日はハレの日にするにふさわしい日だと思うよ」
「何だ? ハレの日って」
「知っているだろう、日本人くん。『ハレとケ』の、ハレだよ」

おれの頭は、受験勉強の時に赤本だか黒本だかで何度も読まされた論文に出て来たその言葉を、漠然と思い出した。あれか。祭りの日とかいつもの日とかの、あれ。
「で、何がめでたい?」
「今日はこの僕、デンショ アップデー太が素晴らしい偉業を成す日なのだよ。きっと未来じゃ、この日は祝日かお祭りデーになるね」
あまりにもじりじりさせられたもんで、おれはいよいよ目がつり上がった。
「早く本題を言え」
「おっほん。ずばり、君はこの家の屋内神さまに恨まれている!」
おれは苛立ちで指が震えるわ、拍子抜けで腰が弛緩するわで、何だか口からは駄々こねる爺さんのような寂しい声色を出てきた。
「もーうやだ。何でおれを巡って妖怪やら怪獣やら宇宙人やらが集合してくるわけ? 信じらんねーよ! ったくもう!」
「ちっちっち。妖怪でも怪獣でも宇宙人でもない。家の神と『小さな大怪獣』とデンショ アップデー太だ。そしてこの三者ともにこの宇宙の可愛い善良な一般市民だ。覚えておきたまえ」

デンショは着ているチョッキの内側に手を入れて、がさがさと何かを探す。と、ペンのようなものと紙だかパピルスだか知らんが、やつの身長張りの大きさのシートが出てきた。
「どうも君とは打ち解けないね。これは良くない。ちいと説明不足だったかな。僕の繊細かつ可憐な職人技についてでも語ることにしよう。君の脳には理解し難いかもしれないが、とりあえず僕の仕事を紹介させてもらおうかな。僕の活躍、ダイジェスト!」
「ガウゥ!」
と突然ガギランが良い感じで相づちを入れた。デンショは下手なお山のようなものを頑張って描いた。これは宇宙人文字だろうか。まさかそのまんま『山』じゃねえだろな、と思っていると、奴は語る。
「こないだは古来から女人禁制だったお山の神様に取り入って、今時代はフェミニストがスタンダードですぜぇ、とか何とか巧みな弁論で祟りがないように予防してあげたのは誰? 僕。それはもうお見事に、鮮やかに……」
「ガウガウゥ」
「山神様アップデイト!」

「アップデイト?」
「そう。例えばだよ。こういう者たちがいる。人間のせいで住処を失くなりそうでムカつくし、かといって人間たちとお話するのも今さら癪だしって悩んでる、お兄さんお姉さんとかその老後とか。要は呪縛だね。見えない結界が彼らを閉じ込めて、彼ら自身、どしたらええねんって事態になっている。そんな彼らと対話できる者はそうはいない。僕のような仲立ちでもって、初めて話を付けられるのさ」
デンショは得意げに語った。おれは首を傾げる。
「ど、どういうことでい?」
「アップデイトして残してゆくのさ! 彼らを縛り付けている呪縛、昔話や伝承をコトダマの力でリ・トールドしてしまうのさ。なぜかって? 彼らはきっと、君たちの心の栄養になるからね!」
「そいつらはどうなるんでえ?」
「人目に触れるようになって自由になるだろ? そこで彼らはやっとこ腰をもたげる。あとはまあ、色々さ。伝承から一人歩きして、密かに都会に紛れてみたり、インターネットに進出してみたり、アニメ界にデヴューしたりするんだ」
途中まではおれも「ほー」なんて言って良い気分で聞いていたが、唐突にメタい言い方をされて、おれは非常に萎えた。

「やい、もっとましな言い方はねえのかよ、デンショ。最後の最後でメルヘンも糞もあったもんじゃねえぞ、おい。それにデンショ・アップデー太ってあれか、体を表す名っていうやつだったか。言いにくいんだけど、やっすい翻訳アプリ使った?」
しかし、デンショはおれの後半の言葉は軽やかにスルーして、ふふふと偉そうに笑うと、机の上を行ったり来たりしながら前半部分にのみ応じた。
「それはメルヘンの定義によるね。ここは一つ、庶民の生活に根ざした空想力が働くお話としておこう。一つ、メルヘンの住人たちは自然の中に生きているということ。そしてもう一つ、彼らは君たちの心があらしめているということ」
デンショはさもおかしそうにくすりと笑った。
「で、この二つのことはどこか矛盾するかな、日本人くん」
「伝太郎だ」

「伝タロくん。君はメルヘンというものを、過小評価しちゃいないかな? これは夢だ夢だ、と言っといて、逆説的に心のどこかで神聖化している。そして、恐れているんだ」
「知らねえよ、それにくだらねえ!」
「いいや。君は心ひそかにメルヘンと同居している自分にを愛しているんだ。だって、そんなに儚いものへと美化させているんだもの」
デンショは言った。
「君には見えるはずさ。メルヘンの住人たちが」
しっかりした語気だった。
「見よ。彷徨える魂たちを」
デンショがおれの背後を指差す。おれはごくりと唾を呑む。そして、恐る恐る振り返った。

「見たまえ、座敷童子だ」
それは、ふらっと姿を現した!
「座敷わらし……」
おれは思わず鸚鵡返し。幻のように霞みながら、たたたと駆けるその子どもを、ぽかんとして見入っていた。
が、そんな神秘的な雰囲気は突然ぺぺっと壊される。子どもに続いてぞろぞろと子どもが登場し、とことことこっと通り過ぎていった。右から左へとことことこ。左から右へてけてけてけ。ふっと消えてしまうどころか、おれに向かってちろちろとこれ見よがしなアイコンタクトまでとりやがる。ピンと緊張していたおれの心の糸はふにゃっと弛んでしまった。ついでのように気持ちの悪いもやもやした苛立ちが募って来た。気がつけばおれは、机の上で子どもたちを真剣に見守っている小人に向かって、年甲斐もなく怒鳴っていた。

「こ、こいつらはいってえ何なんだ、デンショ・アップデー太ぁさんよう!」
「座敷童子、土間童子、居間童子に納戸童子、そして、台所童子。5人合わせて何レンジャーになるのかは君が考えたまえ。ぼくは実は最近のレンジャーの傾向には詳しくない」
「くうっ、おれを馬鹿にしてんな、おめえ」
「安心したまえ。君が馬鹿であることと、僕が冗談を嗜む紳士であることと、実際、何の因果関係もない。彼らはこの家を守ってきた屋敷神の一種だ。さあ、こんな機会は滅多にないぞ、いざ、直撃・インタビュー!」
とデンショがマイクを構える。だんだんノリがわかってきたぞぃ……なんてことは断じてない。おれは、今はただの観客だ。

やつらは待ってましたとばかりに口々に言った。
「おらたち思うんだべ」
「一体おらたちどこ行ったらいいんだべ」
「こいつは結構惑うべ」
「てかいつも惑うべ」
「惑いの館だべ」
と口ぐちに言いながら、さんざおれの家にケチをつける。デンショはふんふんと頷きながら、おれに解説する。
「西洋風の造りに改装されたせいで、君の屋敷神たちは惑っているんだ。一体どこが納戸で、どこが土間なのか。境界も曖昧になったからね」
「そ、それがどうしたい!」
と言うおれを、5人組はじっと見つめつつ、口ぐちに言う。

「だから教えてほしいんだがや」
「一体おらたちどこ住んだらええんだがや」
「おらたちもうウン十年も惑ってんだがや」
「てかこのままじゃ永遠に惑いそうだがや」
「惑いのデフレスパイラルだがや」
とこぼす今にも泣きそうな顔が何となくあてつけがましい。
「おっと、こいつは僕の出番だねぇ、伝太郎くん」
とノリ気のデンショ・アップデー太もやたらと憎らしい。
「アップデイト!」
と叫んだがと思うと、デンショと五人の童子が何やらひそひそ対話している。意外と地味な作業だと思っていると、何やらもう終わったらしく、五人はなぜだかおれの前を行進して、口ぐちに報告に来た。

「今日からおらはリビング童子だがや」
「ドローイング童子だがや」
「フローリング童子だがや」
「キャビネット童子だがや」
「ダイニングキッチン童子だがや」
五人の童子はきゃっきゃとはしゃぎしながら部屋を駆け回っていたが、やがてそれぞれの居場所へと去って行った。その際、何やら不吉なものを聞いたような気がした。
「デンタロ、これからヨロシク頼むべ」
「明日も頼むべ」
「あさっても頼むべ」
「リフォーム祭りがあるだべ」
「ウルトラハードスケジュールだべ」
おれは何のことかは考えないようにした。きっと空耳だろう。そうだろう。な。な。

ふと見ると、デンショが円盤のハッチに絵を畳んでしまいこんでいた。
「おまえ、行くのか?」
「ああ、僕はもうここで二つの偉業を成し遂げた。一つは21世紀の屋敷童子5兄弟の名付け親になったこと。そして、もう一つはね、伝太郎くん……」
ここでやつは振り返った。思いの他、優しい微笑を浮かべていた。
「君と友達になれたことさ」
とキランと目を輝かせてシリアスを気取る奴の茶番に、おれは小さく吹きそうになるのを耐えながら言った。
「ああ、そうかい。じゃ、あばよ」
それだけ言った後、おれはほんの少しだけ、心がシンとした。デンショは背を向けて言う。
「ああ、さようなら。おまけに今日は疲れ目でいつもの美少年ぶりがちと失われているから、平素の僕はもう少しばかり美しいと記憶しておいてくれたまえ」

「へっ。そんなら、おれにだって言うことがあるぜ」
「ほほう」
「ほんとのおれはもう少しばかりおまえ似のロマンチスト……かもしんねえや。覚えとけよ」
デンショは頷いたように見えた。しかしその時にはもう、その姿は透明な円盤の中に呑みこまれ、数を数える間もなく、消失した。
終わった。そう思ったら。違った。
「ガウガウ」
と妙な声。派手派手なトカゲが机の上でおれを見上げている。
「お、おい? 『小さな大怪獣』を、わ、忘れてんぞ……」
「ガウガウ」
「ま、マジかよ! おい! デンショ・アップデー太ぁー! 早く戻ってこい! 早く!」

しかしあいつの船はすでに相当遠ざかっていると思しく、いかにも遠距離通信ですよエヘヘッといった感じの、くぐもった声が返って来た。
――この子には訪ね人がいるんだ
「はあ?」
――もう少し、君には付き合ってもらうことになるだろう。ガギランのご飯は頼んだぞ、ア フレンド オブ マイン、伝太郎くんよ。近々また会おう
「そんな……」
おれは絶句した。
「ガウ」
と小さな大怪獣が吠えた。おれは思考は停止していたが、ただ分かりきっていることがある。とりあえずおやつは、コイツと半分コってことか。バカみたいに必死な笑顔を作りながら、おれは胡椒の効いた魚肉ソーセージの上半分を怪獣にくわえさせ、黙々と下半分を齧った……。