鱗手オキル短編集
スムージーを飲む





薄暗い台所に、私と伯母さんは立っている。据わりの悪いテーブルがことこと音を立てるのに合わせ、そこにかかる私たちの影も揺れている。何にしましょうか、と私は目で問う。そうですねェ、と伯母さんも目を細めて答える。二人とも腹が空いている。頭にあるのはただただ食事のこと。その時、ふと思いついたという風に伯母さんは笑った。
「あたいはねェ」
と彼女は言い、一瞬テーブルの方をちらと見てから、また私と目を合わせる。
「一度スムージーってやつを飲んでみてェんですよ」
「いいですねェ。伯母さん」
私はほっぺたをつり上げて頷いた。そしてテーブルの端に手を置くと、いかにもたった今問題に気がつきましたというような困り顔をつくり、首をひねった。
「だけど伯母さん、スムージーっていうのはね、何かをシャーッてやってつくるわけですよ。むつかしー言葉で言うとね、攪拌するわけですよ。ぐっしゃぐしゃにね」
「ああ、そうだともそうだとも」
「そいでね、生意気で目ざわりな楕円や三角形なんかをね、もう見る影ないくらいにやっつけちまうわけですよ。そいで、そうしたやっつけられたもんが混ざって、どろどろやつぶつぶやなんかが入ったスムージーさんに、生まれ変わるわけですね、はい」
「ああ、いいねェ、姪さん。聞くだけで涎さんが出て参りますよ」
伯母さんは台所に響きわたるような音で唾液をすすり上げた。と、テーブルの揺れる音が一層激しくなった。私もごくりと唾を飲み込んだ。

「問題はね」
と私はテーブルの縁をさすりながら、よく聞こえるようにゆっくりと言った。
「攪拌するやつと、攪拌されるやつですよ。私らが一度飲んでみたいハイカラな飲みもん、スムージーさん。ヘルシーでおしゃれでカラフルな、憧れのスムージーさん。そいつを頂くにはまず、攪拌できる調理器具と材料ってやつがね、いると思いますよ」
それを聞いて、伯母さんは大いに笑った。うひうひと笑った。三度大きく吸った息を、全部笑いにして吐き出してから、頼もしげな声で言った。
「姪さん、攪拌なら、何の問題もないのですよ。いいですか。材料をぐっしゃぐしゃにするもん、あれはリキダイザーさんというのです。そりゃあ家には、リキダイザーさんがいらっしゃらない。しかしね、大抵のリキダイザーさんというのは、4枚の刃とモーターから出来ておるのですよ。ごらんなさい。あたいの両手にはノコギリが2枚。そして……」
ここで私ははっと大きく息をのむ音を鳴らし、言葉の続きを引き受ける。
「あら不思議。この姪さんの両手にもノコギリが2枚」
私は伯母さんのノコギリに手持ちのノコギリをカシンとぶっつける。そして、二人申し合わせたように再びテーブルの方を向く。ことこと。ことこと。こん。こん。テーブルがしきりに揺れている。寒くて震えているみたいに。私はしゃんしゃんとノコギリと擦り合わせた。

伯母さんが、台所中によく響く、美しく明澄な声で言った。
「ノコギリが4枚。そして何ともラッキーなことに、あたいらの前腕筋は、なぜだかとても優秀じゃあないですか。くるくる回してごらんね。何てすごい回転力だろうね。こんなによく回るなら、きっと、モーターの代わりだって務まると思うんですよ」
と言って、またうひうひと笑う。私も気持ちが高ぶってきた。
「さ、さすがです、伯母さん。伯母さんとこの姪さんが、力を合わせてシャーッて手首を振れば、もうあれじゃあないですかぁ。それはもう立派な、リキダイザーさんのリキダイジングですよぉ。それで突けば、どんな相手だって、ぶちゅぶちゅと液状になります。攪拌です。攪拌されるのです。ああああ、スムージーさん出来上がりますよォ!」
「だーけーど、それにはねェ」
と今度は伯母さんが大袈裟に表情を曇らせた。
「姪さんが申しましたように、どなたかにスムージーさんになっていただく必要がありますよ。だのに、イチゴさんもキウイさんもいらっしゃらない。さあ困った困った」
私は、ふふ、と笑い声を立て、今気づいたという風に言った。
「あれェ、テーブルの上にどなたかいらっしゃる。うっひひひ」

パツ。パツ。パツ。私たちのスリッパの音が響く。私たちはテーブルを挟むようにして立ち、載せてあるものを見下ろした。ことこと。こと、こと。こと……。テーブルの揺れが止まる。私は静かになった卓上のそれをなでた。まだ微かに震えている毛で覆われた、ボールのような目立つ部分。あたま。私の好きな部分、あたま。なでまわしながら話し掛ける。
「あああ、ずいぶん大きな野菜さんのように見えますね。それとも、果物さんでしょうか。このまあるい玉の中には、赤い果汁がいっぱいいっぱい詰まっているんでしょうねェ。何だかスムージーさんにしたら、素晴らしく美味しそうですよ、あなた」
「頂いてしまいましょうか」
伯母さんが急かす。声を震わせて。私も興奮で目がかすんでくる。とてもお腹が減っているのだし、仕方のないことだ。アイダさんの帰りを待ってはいられない。
「そうですねェ」
私は口をだらんと開けて、ノコギリを振り上げる。
「頂いて、しまいましょうかねェ」

しかしその時、思わぬ中断が入った。コンビニなどで使われているのと同じメロディ。あれは我が家のドアベルだ。帰ってきたのだ。私の母であり、伯母さんの妹である人が。年齢において伯母さんと私のあいだに挟まれているので、私たちは彼女をアイダさんと呼び、彼女もそれを気に入っていた。アイダさんの陽気な声が台所に響いた。
「伯母さん、姪さん、ただいまさん。アイダさんが帰ったさんでよー」
しかし、テーブルを見て、アイダさんの笑顔は硬直した。
「おかえりさん」
と言った時、私たちはノコギリを背中に隠していたが、アイダさんはそれにもすぐに気がついた。ふうふうと猿ぐつわ越しに呻き声を漏らすテーブルの上のそれを指さして、怒り心頭に発したアイダさんは、強く咎める口調でまくし立てた。
「こ、こ、これだから油断も隙もねえってんですよ。いいですか、伯母さん、姪さん、これはこのアイダさんの婿なんすよ。それもね、あッたらしー婿なんすよ。結婚だってまだしてねえ。あたし、こいつが気に入ってね、やっとの思いで連れ帰ってきたばかりなんす。つまりね、勝手に料理したらね、いかんもんなんですよ。あたし、ちゃんと言いましたよね。観賞用と食用。そこんとこの境界は、はっきりさせとかにゃいかんと」
「すんません、つい」
と私は詫びた。伯母さんも申し訳なさそうにぺこりと頭を下げた。アイダさんはこくりと頷いた。よろしい、という合図。彼女はここではじめてテーブル上のそれに声をかけた。
「新しい婿さんや、二人もこう反省していることだし、ここはあたしに免じて、許してやってはくれやせんか。何せ二人はあたしの姉と娘、根っからの悪党じゃあござんせん」
しかし、話し掛けられても、それは目からだらだらと汁を溢れさすばかりで、何も答えなかった。自分が汁を出していることさえ、わかっていないようだった。

「……なあ、黙ってちゃわからんよ。婿さんや、あたしらの恋路にこれくらいの障害はなんてこたないだろう。先日夕食にご招待したら、おまえさんちゃんと家に来てくれたね。それはもう、嬉しかったよ。アイダさんはねェ、嬉しかったでよォ」
アイダさんの語りかけにも、それは応じない。そりゃそうさ果実が口きいたら変だもの、と私は思ったが、アイダさんが真剣なので言わないでおいた。やがて目から汁の分泌が止まった。ああもったいない、と思ったが、それも言わないでおいた。
「ほれ、もっとちゃんと謝らんとダメでよ、二人とも」
とアイダさんが睨むので、私は誠実なお辞儀をして、笑いをこらえながら言った。
「ごめんなさい、おニューのダディ。でも、悪気はなかったんです。本当に取って食うとか、そう言うことする気じゃあ、無かったわけですね。私ももう大人で分別もありますのでね。ダディが新鮮でしたので、テーブルに縛っておいたら、うっかり忘れちゃってね、それで、もとからウチのテーブルにあったものなのかと誤解して、だから……」
伯母さんもこの人を縛っていた縄を解きながら、謝罪した。
「ごめんよ、おニューのブラザー。まさか、観賞用だとは思わなくってさァ。夏のせいさ。こないだはどこだっけ、40度超え? 連日の猛暑でねェ。あんまり喉が乾くと、人間、正常な判断も出来なくなるもんさねェ。あたいとしたことが、しくじっちゃったよ」
縄から解放されても、それは黙っていた。私たち二人が椅子に載せても、それはされるがままだった。つまらなくてしんみりとしてしまった私たちに、アイダさんが言った。
「まあまあ、失敗はだれにでもあらァね。二人ともいつまでもノコギリなんか持ってないで、お夕食にしようじゃないか。料理教室でこのアイダさんがたんまりこしらえてきた、レッドスムージーの余りがねェ、あるんですよ。新鮮な材料使ってるから、色がよろしいでよォ。腐ると臭い出していけねェから、その前にみんなで飲もうじゃないか」
私と伯母さんは顔を見合わせる。どちらが先ともなく、にっこりした。

その日の夕食会は楽しかった。アイダさんはいつもの倍も冗談を言って笑わせ、伯母さんと私もいつもの調子を取り戻して、アイダさんとその結婚相手がお似合いだと言ってからかった。さっぱりとした性格のアイダさんはちっても照れやしない。おまけに彼女は世話焼きだったから、ストローを握ろうとしないおニューのダディの手を取って握らせてやり、口に咥えさせてやった。しかし、すぐに噎せてしまい、少しも飲めやしなかった。優しいアイダさんはその度にそいつの背中を擦ってやっていた。
(こういうの、いいなぁ。二人はきっとうまくいく)
そんな幸せな予感のために、私は自分でも気づかないうちに、ふふ、と笑っていた。その隣で伯母さんも笑っていた。私はふと思い出して、伯母さんに聞いてみた。
「スムージーはどう?」
彼女は困ったように目を宙に泳がせてから、言った。
「うん、思ったほど……あれだね。あたいはやっぱり舌の上にゴロゴロ転がる塊のやつが好きみたいだよ。肉汁がぶわっと出る、ステーキなんぞ食いたくなったねェ」
「ステーキか」
とアイダさんが言った。伯母さんにそっくりの仕方で、唾をすすり上げる音を鳴らし、
「いいねェ」
と言って目を細めた。私と伯母さんも幸せで目を細めた。おニューのダディも、ぎゅっと目をつぶった。こういう平穏な日常がいつまでも続くといいな。