リークド!




「これはですね、交戦中に捕虜にされた美しい青年兵士が、敵軍の雇ったホモセクシャルな趣味をもった拷問のプロフェッショナルから性的な拷問に受けてですね、はい」
僕はうつむきながら、僕の小説の概要を語った。それは予想外に辛い作業だった。
「めくるめく卑猥な拷問を受けながらも、軍事機密だけは絶対に漏らすまいと、はじめのうちこそ青年は涙を流しながら必死に耐えていたのだけれど、捕まってから数日後、拷問の最中に射精を焦らしに焦らされてですね、ついに快楽欲しさに自分の口から機密情報を漏らしてしまうんです。それで……それで……えーと」
ふと見ると、彼女の顔があからさまに不満を示しているのに気づいて、不安になった僕は、ここでちょっと吃ってしまった。彼女は腕組みをしてタバコをふかしながら、それでも続きをせかすように睨んできた。僕はさらに強い羞恥心をおぼえながら、続けた。

「で、そればかりでなく、彼は拷問官に無理やり宣言させられるわけです。『私は自分の性欲を満たすために売国奴になりました』と。『私は国よりも快楽を選びました』と。ここまで言わされてしまって、もちろん青年は強い屈辱をおぼえ、拷問官を恨むわけですが、同時に憎しみ以上の何かを感じるようにもなるんです。二人には、性癖を隠すために周りを欺いてきたというよく似た過去があります。それをお互いにわかってほしいというさみしい気持ちを感じ合った時、二人の魂は響き合い始めたんです。ここまでが第一部で、ここから先の第二部では、二人のあいだに生まれていく絆と言いますかね、まあ、単なる性的な関係以上の暗黙の絆が二人には生まれ、育まれつつあるという部分が読者に伝わっていると嬉しいかな……なんて」
僕は相手の顔色を恐る恐るうかがった。彼女は一言、
「略すな。最後までちゃんと話せバカヤロウ」
と冷たい声音で言った。僕はさらに小さいぼそぼそ声で、続けた。

「まあ、その後は彼らの性交渉の度に国の情報がやり取りされてしまうのが定番になってね、まあ、最初はリアルな拷問だったのがだんだんとそういうプレイになっていくわけです。国家的な機密情報のやり取りを自分たちの性のゲームにしてしまう背徳感に、彼らは酔いしれていくんです。結末は読んでいただいた通り……、国家間の戦況の変化から、今度は拷問官の方が捕虜になります。青年がその後どうしたか、拷問官が生き伸びたかはわからないまま、割と開かれた終わり方です。でも、実は結構、戦略的にそうしたつもりです。まだ続編もあって……」
そう言ってから、僕はちょっと生意気が過ぎたかと思い、びくびくと彼女の言葉を待った。彼女の顔には怒りが滲んでいた。でも、何にそんなに怒っているのかわからない。返事が怖いので、僕は弁解でもするかのように、付け足しの言葉を早口で言った。
「でも、続き出せるかどうかもわからないので、このラストに青年と拷問官の関係が逆転して、性的な面でもやがてそうなっていくと想像してもらうのは、読者の自由ですし、僕もそれも可能性の一つだと思っていて……」
「もういい。わかった」
と彼女は言った。フーッとタバコの煙を吐いて、ぞっとするような低い声で言った。
「で、どこが『りぃくど!』なんだ!」

僕はここでやっと気がついた。彼女の怒りはタイトルに由来するらしい。新人作家へのインタビュー企画に恐れ多くも僕も呼ばれてしまい、収録が済んでやっと緊張から解放された帰り道。僕は彼女にこう呼び止められたのだ。
――おい、待てよ! おまえが『りぃくど!』の作者か
よく通る低めの声。ドスのきいた口調。地元のスケバンか何かかと思って、出会い頭から僕はすっかり萎縮してしまい、後ずさりながらひとまずコクリと頷いた。と、彼女はくわえていたタバコをギリリと噛んでから、目を見開いて激怒した。
――てめえ、ふざけるのも大概にしろ!
とか何とか言いながら、彼女がカバンから取り出したのは、僕のデビュー作品となった先週発売の単行本だった。書名を『りぃくど! はじめの1巻』と言う。編集者が付けたものだ。応募時のタイトルを『凋落のアレースT 〜欲望の白旗〜』と言う。中二病臭全開じゃないですかウププッとひどく馬鹿にされた上、改題を命じられたが、思いつかなくて編集者氏に任せた結果、とてもポップで可愛らしいタイトルを頂いたわけである。
――これのどこが『りぃくど!』なのか、ちゃんとあらすじを言ってみろ!
そう言って彼女が迫るので、僕はいやいやながら話した。羞恥をおぼえながら、何とか話し切った。

しかし、彼女は不満足のようだった。彼女は言った。
「やい! リークドってのはなぁ、英語で漏れたって意味じゃあねえのか!」
「そうですよ」
と僕も答えた。僕としてもこのいちゃもんに納得がいかないので、相手の言葉を待った。
「で、一体このクソ小説の、どこで何が漏れてんだよ」
「えーと、情報漏洩がこの話のミソなんですが……」
「は?」
と彼女は目を見開いた。街灯に照らされて、彼女のとがった睫毛が攻撃的な黒い輝きを放っていた。僕はすくんで弁解の続きが言えずにいた。
「てめー馬鹿にしてんかゴラ、情報なんか漏れて何が楽しいんだよ、ふざけんな。漏らすならちゃんとブツを漏らせよ。小便を漏らせってんだよ」
「そんな下品な」
と僕は言った。「下品な」は間違いなく彼女の言動について言ったことだが、彼女はそうは取らなかったようだ。
「なーにが『下品な』だよ。てめえ作家だろ。羞恥心捨てろよ。良心も捨てろよ。いいか、倫理と常識の中にいるだけじゃ、そのてめェをくるんでくれている生あったかい倫理や常識だって、ろくに書けやしねえさ。外に立てよ。立ちてえところに立てよ。やいてめー、一度下品な看板を掲げたなりゃ、下品の作法を貫きゃいいだろ! お漏らしの看板背負ったからにゃ、あるがままのお漏らしを書きゃいいだろがよ!」
僕は改めて反論しようとした。
「だから、このリークドはあくまで情報の漏洩であって、それ以上の意味はないのでして」
「ふざっけんな! 紛らわしいタイトル付けやがって! いかにも金髪ヤローが利尿作用に苦しんでるよーに顔赤らめてるカックイー表紙で飾りやがって! あたしがどれっだけ期待したと思ってんだ! 一体! どれっだけェ! 期待したとォ!」
感情高ぶった彼女は、落としたタバコを激しく踏みつけ、また踏みつけ、消えた火をなおも踏みにじりながら喚いた。僕は両手で彼女を制した。
「お、落ち着いて。落ち着いてくださいってば」

手をかざした僕を彼女は力任せに突き飛ばし、下賤なものを見るような、たとえば所属の組を抜けようとした下っ端を中間層の奴が執拗に蔑むような残忍な目で、僕を睨んだ。僕はただ呆然として、街灯の逆光でますます迫力を増した彼女のシルエットを見上げていた。髪を振り乱したまま、さながら夜叉のような迫力で、彼女は僕を脅迫した。
「いいか。おまえは書かなくちゃいけない。続編でいい。書け。今回のクソ小説と新刊の分を合わせただけの、十分な量と質を備えたお漏らしを書け。そうでなきゃ、あたしの1900円はあまりに報われない。そして、あたしの何よりも大事なマブダチ『島田理恵子』。理恵子もまた、おまえの『りぃくど!』の表紙に騙されたと言って、こっそりとトイレでむせび泣いていたのをあたしは忘れない。学校をフケたあの日、二人でおまえの殺害を夢見た先週の金曜日をあたしは忘れない。ああそうだとも、忘れないさ、詐欺師め!」
彼女の頬に伝う涙が、その殺害の夢想が本物であることを雄弁に語っていた。僕はうめいた。理不尽だと思った。しかし、その迫力に負けて、もしかしたら僕が悪いのではないか、と思い始めてもいた。そして、何だか『理恵子』さんとやらだけが固有名詞で登場しているが、その件は大丈夫なのかと少し心配でもあった。彼女はなおも続けた。
「理恵子はまだ、おまえがこの付近に住んでいることを知らない。だが、理恵子は本気だ。あたしが一言おまえの所在をバラせば、生きながらにして怨念と化したあいつの魂が、どこまでもおまえを追い詰めるからそう思え!」
「そんな無茶な……。『理恵子』さんって一体何?」
「は? 気安いんだよ! なーにが理恵子さんだよォ。てめえ、理恵子の何を知ってやがる。え? 言ってみろ! 理恵子の何を知ってやがる。このションベン詐欺師が!」
「すみません。わたくしはまったくそのお方のことを存じません」
素直に謝ると、彼女はふんと鼻で笑って、
「じゃあ教えてやるよ」
と少し落ち着いたトーンに戻り、遠い日々を思い出すように語り始めた。

「出会いは平凡だったさ。その頃あたしはグレてて、奴は優等生。日直が一緒になって初めて口をきいた小4の5月、あたしたちはお互いをすぐ嫌いになったね。でも、中学も高校も一緒だったんだ。それまで避けるようにしていた二人はある日、町の本屋で同じ本に同時に指を当てたことに驚いた。それは今でも忘れやしない、吉原ユーコ・作『裸の宰相とガラスの擦り傷』。それは、地位も名誉も美貌も兼ね備えた三十路の官僚男が、秘書であるサディストの天才少年によって、ガラス片で身体に愛の言葉を刻まれるという、あたしにとっては奇跡のような物語だった。中でも、ともに堕落することを約束した官僚男が実は既婚者だとバレて、嫉妬に燃えた少年から無理やり排尿プレイを迫られる場面が、あたしの人生を四倍くらい有意義にした。驚くことに、それは理恵子も同じだったそうだ」
彼女は新しいタバコに火をつけて、フェンスの向こうの夜空を見上げた。昔を懐かしむ遠い目をしていた。僕は黙って、彼女の話の続きを聞くことにした。
「そいで、次で同じ棚の前で奴に会った時に、お漏らし好きか、とあたしは聞いた。実は好きなの、と理恵子は澄んだ目をして言ったっけ。あたしはね、何だか奴が急に身近になったような気がしてね……、あたしもお漏らしが大好きだ、羞恥に歪んだ男前の頬を伝う涙は、あたしにとってキリストの血のようなものさ、と。そう言ったんだ。気が合うね、と奴は言った。気が合うな、とあたしも答えた。そう、その時だよ。あたしに生まれてはじめて、友達ってやつができたんだ。これが小説の力さ。ブンガクのことなんてよくわからないけど、物語にはこういう力があるんだって、あたしはそのとき思い知ったね」

気がつくと、僕もいっしょに夜空を見ながら、考えていた。惰性で生きていたら、いつまでも他者と他者のままであったはずの、まったく性格の合わない2人の少女。それを1冊の本が2人の人生にイレギュラーをもたらして、両者を結びつけてゆく、その不思議なエネルギーのことを。僕は思った、彼女がお漏らしという時、そこには僕の辞書に載っているお漏らしよりも、ずっと重い記憶と情念の蓄積があることを。ついに、僕はやむをえず認めた。
「うん、『りぃくど!』……か。たしかにこれは、失禁を連想させるタイトルだったかもしれない。これは消費者の気持ちを考えなかった僕の不手際だと言えるでしょう。実はもう書き上げてしまっていた第2巻だけれど、僕は書き加えることにするよ。お漏らしを。僕のキャラクターたちの軍人としての誇りも名誉も、今度こそ完膚なきまでに叩き潰した上で、読んでいて君が退屈しそうになった時、そこに必ず彼らの尿が再来してくるような、そういうバランスの小説にすると誓うよ。僕は、君と『理恵子』さんの満足できるような小説を目指す。それでいいかい?」
彼女は一瞬、驚いたようにこちらを見た。と、じんわりと突き上げてきた感情を咬み殺すような、おかしな――しかし、今までになく素直な声で、言った。
「お、おう。あんたならやってくれると、思っていたさ」
彼女は慣れていない笑顔を、精一杯浮かべて、言った。
「そ、そうともさ。あんたの小説はお漏らしがないのだけが、惜しかった。でも、あたしに最後まで読ませたってのは、大したもんだぜ。それにあんたのキャラは、漏らされるために生まれたような男だよ。ぶっちゃけイイ男さ。だから、胸糞悪いけど、読んでやるよ。発売日に買ってやるよ。だから、今度こそ、あたしと理恵子を満足させろよな」
言うと彼女は、背を向けて駆け出した。と、何を思ったか立ち止まり、振り返って、釘を刺すつもりなのか、大きな声で叫んだ。
「島田理恵子を泣かせたらー、今度こそ許さんからなー。いいか、あいつはなー、純粋な奴なんだー。誰よりも素直にBLを楽しんでいるし、そして誰よりも本気で金髪迷彩服のお漏らしシチュを求めてるー。そういう女なんだー。無邪気なんだー。だから、泣かせるなよー!」

そして、今度こそ彼女は夜の向こうへ駆け去って行った。その背中を見送りながら、僕は読者というものについて、あまりに考えていなかった自分を恥じた。そして、そうか、これが腐女子なのかと思った。腐女子。それは、個々の人間がもつ個々の情念を取りまとめるには、あまりにもザル化していて、あまりにも記号化してしまった、一つの人間のカテゴリーに過ぎぬと人は言うかもしれない。だけど、そのカテゴリーが一つの共同体であるとき、それは人間にとって最も根源的な性を紐帯としており、またその紐帯が一つの友情であるとき、そこに欲望される性のタブローは、あまりにも強い輝きでもって語り部に網を巻きつけ、導いてゆくほどの強度をもつ。けれど、そうした縛りの中に語り部自身が真の自由を見出すような、良質のコミュニケーションが生まれることもあるだろう。その幸運な一つの形に遭遇した僕は、夜空を見上げて、誰にともなく、
「僕は書くよ」
と呟いてみた。君と理恵子の友情の物語に触れる前の僕は、あまりに不自由だったのかもしれない。そう思った。BLを通して、彼らはつねにタイトロープの中の自由を知っていた。性の内側に入り込む陶酔と、性の外側に立つ自由のあいだに立って笑う。陶酔と自由のあいだを安々と越境する手段。その手段の一致において群生する孤独な魂たち。それが腐女子だったのか。そして今、僕の胸中において、そんな孤独な魂の一つ、その叫びがエコーする。

――漏らすならちゃんとブツを漏らせよ。小便を漏らせってんだよ!

僕は思わず微笑んだ。書こうと思った。さあ僕のキャラクターたち。君らはこれから大いに放出するのだ。君らを愛した女たちと、君らを囲い込む宇宙の名前のために、君らは今からとてつもなくリークするのだ。さて、どのように書き出そう。僕は考えた。とりあえずそれを少しでも正しい作法で書くために、僕はまず、放尿してみることを選択した。