ビー!
げんこつ山はおれの山!




 勇太は5才。なでしこ幼稚園に通っている元気いっぱいの男の子です。でも、だれも彼のことを勇太なんて名前では呼んでくれません。みんな勇太のことをビーと言います。
「先生! またビーがすべり台に砂をまいたよ」
「うぇーん。ビーが砂山をふんでこわしたあ!」
こんな具合に何人も来て言うのです。でも、これはめずらしいことではありません

「こらっ! 勇太、待ちなさい!」
先生が追いかけても勇太はへっちゃらな顔をしてげんこつ山のてっぺんに上って言うのです。
「へーんだ。ここまでおいで。あっかんビーだっ!」
そう。ビーというのは勇太の口ぐせ。『あっかんビー』の『ビー』からきているのでした。
「これじゃあすべり台で遊べないよぉ」
すべり台は砂だらけ。赤いバケツや青いプラスティックのシャベルもありました。

「勇太くん、どうしてこんなことをするの?」
カンナ先生がききました。
「だっておもしろいじゃんか。砂がすべり台をすべるのって……」
勇太が言います。
「こんなことをしたらお友だちがすべれなくなるでしょう?」
「何でさ?」
勇太は口をとがらせて言いました。
「何ですべれなくなるの? おれ、すべれるよ」
勇太はすべり台の階段をとんとん上って上に行くとつうーっと楽しそうにすべって見せました。

「じゃあ、自分のおしりを見てごらんなさい」
先生が言います。
「おしり?」
勇太はズボンをぬごうとしました。すると、先生はあわててそれを止めて言いました。
「ちがう。ズボンのおしりよ」
勇太は体をひねったり、足と足の間から顔を出したりして言いました。
「先生、おしりなんか見えないよ」
それを聞いて先生はあわてて言いました。
「ごめん。言い方がよくなかったね。手でさわってみてごらん」
勇太はおしりにふれた手を見ました。

「すっげえ! 砂がいっぱいだ」
「ね? 砂だらけのすべり台ですべったらお洋服が汚れちゃうでしょう?」
先生が説明してくれました。でも、勇太は口をとんがらかせて言いました。
「けどそれが何で悪いのさ? いいじゃんか。おれ、もっと全身砂だらけにするんだ」
そう言うと勇太はまた元気にすべり台をかけ上ると、さっとねそべってすべりました。
「ビー!」
先生もついには名前でなくそう呼びました。
「さあ、こっちへ来て。教室に入る前に着ているものをぬいで着替えるのよ。教室が砂だらけになっちゃう」

「先生! ビーが……!」
チューリップ組の女の子たちが言いました。
「まあ! どうしたの?」
先生がおどろいてききました。女の子たちはどの子も頭からびしょぬれになっていたからです。
「ビーが水道で……」

先生がかけつけると、勇太は水道の蛇口に指を突っ込んでピューピュー水を飛ばして笑っていました。ほかの子どもたちは、みんな、きゃあきゃあ言いながら、走ったり、さわいだりしながら遠くから見ています。
「すっげえや! 見てよ、先生。水がいろんな方に飛んでいくよ」
勇太は自分もびしょぬれになっていましたが、目はきらきらしてうれしそうでした。
「勇太くん、いけません! すぐに蛇口から手を放しなさい」
先生が言いました。
「何でさ?」
勇太が動いたので水が飛ぶ方向がかわりました。それがちょうど先生のむねのあたりをぬらしました。
「ビー!」
先生は大声で言いました。
「あははは。あさの先生、オッパイもらした!」
勇太がゆびをさして笑います。それを見てほかの子どもたちも笑います。

「ビー! そんなかっこうでいると、カゼ引いちゃうぞ」
頭からバスタオルをすっぽりかけられて勇太がバタバタとあばれます。
それは、この幼稚園でただ一人の男の先生、春人でした。
「こら、じっとしろ」
押さえつけて、にょっきりと頭だけタオルの穴から出させます。
「ずるいよ、春人。せっかくおもしろいことしてたのにさ」
勇太が口をとがらせて言いました。

「でも、今はもうあつい夏じゃないんだ。ぬれた服のままでいたら、体が冷えてよくないよ」
「おれ、平気だもん」
勇太が言います。
「でも、女の子たちは平気じゃないってさ」
見るとその子たちは何だか寒そうにふるえています。
「そんなら、あつくすればいいじゃんか。こうすればあつくなるぞ」
勇太はだっとかけ出しました。

「見て! はやぶさみたいでカッコいいだろ?」
勇太はかぶったタオルをバサバサ広げて園庭をかけて回ります。
「ビー!」
春人先生がそれを追います。ほかの先生たちは、女の子たちを部屋に入れ、きがえさせたり、体をあたためてやったりしました。
「ビー!」
春人先生がよびます。でも、勇太は笑いながらかけて行きます。そして、ブランコの向こうまで行って、花だんのまわりにあるブロックの上をおもしろそうに歩いています。

「ビー!」
春人先生がよびました。すると、勇太は人さしゆびをすっと口にあてて言いました。
「しっ。そんな大声出すなよ。アリンコがビックリして逃げちゃうだろ?」
勇太が花だんのふちにしゃがんで言いました。
「アリンコ?」
春人先生もとなりにしゃがんで花だんを見ました。すると、そこには、何匹かのアリがビスケットのかけらを運んでいました。

「どこにもって行くんだろ?」
勇太がききました。
「そうだね。どこへ行くのか観察してみようか?」
春人先生が言いました。
「うん」
勇太はじっとそのアリたちを見つめています。ビスケットはアリの体の何倍も大きいのに、小さなアリたちが力を合わせて運んでいるのです。

「アリってビスケットが好きなのかな?」
勇太がききます。
「うーん。アリが好きな物は何だっけ?」
春人先生がききました。
「さとう!」
勇太がこたえます。
「そうだね。じゃあ、さとうとビスケットはきっと似ているところがあるんだね。どこだと思う?」
「えーとね……」
勇太はいろいろ考えました。

「さとうは白いけど、ビスケットは茶色だし、形もちがうし、おれはあまいクリームサンドのビスケットが好きなんだけど、さとうにはクリームなんかないし……。あ、でも、どっちもあまい味がするね。おれ、あまいおかしが好きなんだけど、もしかして、アリンコもあまいおかしが好きなのかな?」
「うん。きっとアリもあまいおかしが好きなんだよ」
春人先生が笑って言いました。

「なーんだ。それじゃあ、おれとおんなじだ。おれ、アリンコと友だちになれるかな?」
「ビーがアリをいじめたりしなければね」
「え? おれ、だれもいじめたりなんかしないよ」
勇太が目を丸くして言いました。
「そうだね。きみは本当はいい子なんだものね」
「うん」
勇太はうれしそうにうなずきます。そして、目をきらきらさせてこう言いました。

「じゃ、おれ、友情のあかしとして、アリンコのにもつを運ぶのを手伝ってやる」
そう言うと勇太はアリが運んでいたビスケットをゆびでつまみました。
「これをどこへ運べばいいんだい?」
ビスケットといっしょにくっついてきたアリが勇太のゆびをはい回っています。そのアリに向かってきいたのです。けれど、アリは何もこたえてくれません。
「ビー、それは、よけいなおせわと言うんだよ」
春人先生が肩をすくめて言いました。

 それから、勇太は花だんのすみにあったアリの巣を見つけました。アリは、そこに食べ物を運んでいたのです。
「まっくらで何も見えないよ」
勇太が言いました。
「でも、これはアリたちの家だから、全部まる見えになっていたら困るだろう?」
春人先生が言いました。
「どうして?」
「勇太だって家の中が外からまる見えになってたらいやだろう?」
「おれ、平気だもん」
「ほんとかい? おやつを食べている時も、おしっこしている時もみんな見られちゃうんだよ」
「おふろに入ったり、着がえたりする時も?」
「そうだよ。勇太だってはずかしいだろう?」

けれど、勇太は花だんのふちのブロックに乗って言いました。
「おれ、はずかしくないもん」
「女の子たちに見られても?」
「平気だよ。見たいやつには見せてやればいいんだ」
勇太は、はおっていたタオルをバサリとぬぎすて、教室の方へかけて行きました。
「あ! 勇太! だめだよ、待ちなさい」
春人先生があわててあとをおいかけます。けれど、勇太はかけっこだって早いのです。あっというまに園舎の中へとびこんで、くつのまま教室へ入っていきました。

 「きゃあ!」
「やだ! ビー! はだかじゃない」
教室中は大さわぎ。カンナ先生も急いで勇太をつかまえようとしましたが、あまりにも動きが早くてつかまりません。男の子たちがビーの体にふれましたが、手をつかもうとすればふりはらわれるし、体はすべすべしていてつかめないし、へたにさわろうとすればけとばされるので、だれも勇太に近づくことができないのです。

「こら、ビー! こっちへ来なさい」
春人先生が言いました。けれど、勇太は先生から一番遠いところの机の上に立って叫びます。
「鬼さんこちら、ここまでおいで。あっかんビーだ!」
それから、ひらりとそこからおりて、教室の中をジグザグに走ります。机やいすや子どもたちの間をすりぬけてけらけらと笑います。
「先生、見てよ。迷路みたいでおもしろいよ」
すると春人先生が机と机をくっつけて進む道をふさいでしまいました。
「ずるいよ、春人」
勇太がもんくを言います。

「ほうら、つかまえた。鬼ごっこはもうおしまい。教室にかえって、次はお絵かきの時間だよ」
春人先生が勇太をバスタオルでつつんでかかえました。
「わかった。今日は春人につきあってやる」
勇太はえらそうに言って笑いました。

 それから、勇太は、春人先生といっしょにすみれ組の教室に入ってきました。そこが勇太の本当の教室です。
「ようし。今日はみんなの大好きな人の絵をかいてもらうよ。机の上にクレヨンを出して」
春人先生がみんなに1枚ずつ大きな画用紙を配ります。
「亜美ちゃんはだれをかくの?」
「お母さん」
「弘くんは?」
「おれはやっぱりお父さんかな?」
みんな、うれしそうに大好きな人の絵をかいています。

「あれ? 香んちの母ちゃんって、でべそなのか?」
勇太が大声で言いました。
「ちがうもん! これはベルトだよ」
香が言い返します。
「だってどう見てもでべそじゃん」
勇太がしつこく言いました。
「ちがうったらちがうの!」
「かしてみろよ。おれがもっとでべそらしくしてやる」
勇太が香の画用紙を取り上げておなかの真ん中に大きなバツをかきました。
「あーん。ひどいよ、ビーのバカ!」

けれど、香が怒って言った時には、もう勇太は真一の絵を取り上げて、かってに顔のしわをかきいれていました。
「ばあちゃんの絵なら、おれがもっとばあちゃんらしくしてやるよ」
「よせよ、ビー! 返せってば!」
勇太はあちこち行ってはほかの子の絵にケチをつけたり、かってにクレヨンでかいたりしました。
「先生! ビーが……!」
「ビーがぼくの絵をめちゃくちゃにしたぁ!」
またまた教室中は大さわぎ。春人先生が勇太をつかまえて言いました。

「勇太。ほかの子のじゃまばかりしてないで、君も絵をかいてごらん」
「何でさ?」
勇太が口をとがらせて言います。
「楽しいからさ」
「ふうん。楽しいんだ。そんなら、おれもかく」
そう言って勇太もクレヨンをもちました。
「そうそう。いろんな色で思ったとおりにかけばいい。きっと楽しい気分になれると思うよ」
春人先生が言いました。勇太が自分のせきについておとなしく絵をかきはじめたので春人先生もほかの子のところへ行きました。

「ほんとだ! かいてみたら、すっごくおもしろいよ!」
勇太が大声で言いました。春人先生がふりむくと、けれど、勇太は白い画用紙の上ではなくて机や前の子の背中やクレヨンのふた、いろんなところにかいていました。
「勇太。そこは画用紙じゃないよ」
壁に向かって太い線を引いていた勇太がふりかえります。
「だって、先生。おれ、怪獣をかくんだもの。あんな小さな紙じゃぜんぜんたりないよ」

「怪獣かあ。それはすごいね。でも、先生は大好きな人の絵って言ったんだよ」
春人先生が言いました。
「うん。人だろ? だから、これ、大好きな父ちゃんの絵なんだ」
勇太が言いました。
「そうか。勇太君のお父さんはそういうお仕事をしていたんだったね」
春人先生はうなずきました。
「うん。おれ、父ちゃん大好きだからさ。そんで、父ちゃんがやってる怪獣も大好きだから……」
「わかった。それじゃあ、もっと大きな紙が必要だね」
「うん。先生、持ってる?」
勇太が言いました。

「そうだ。どうせなら、みんなで大きな紙にかいてみようか?」
「みんなで?」
他の子どもたちもいっせいにこちらを見ました。
「そうだよ。ちょっと待ってて」
そう言って春人先生は教室を出ると、大急ぎで大きな紙を持ってもどってきました。それを何枚も教室の後ろの壁にはりました。
「わあ、すごい。大きな紙だね」
みんなは目をきらきらさせて見ています。
「おれ、手伝うよ」
勇太が言いました。
「わたしも」
みんなで紙をたくさんはりました。

「さあ、これならうんと大きな怪獣だってかけるよ。勇太もみんなも好きなところにかいてごらん」
「わあ。いいの?先生」
「ああ」
みんな、さっきまでとはちがってイキイキとした顔で思いっきりのびのびと絵をかきました。大好きなパパやママやおじいちゃんにおばあちゃん。兄弟やお友だちの絵をかく子もいました。それから、花や木や遠くに見える山や鳥をかく子もいました。きれいなチョウチョも飛んでいます。

「まるでピクニックみたいだね」
春人先生が言いました。
「ほんと。大好きな人たちばっかりの大ピクニックだ!」
勇太はそう叫ぶとまた何かをかきはじめました。今度は人の絵でした。その人はにこにことうれしそうに笑っています。

「これはだれの絵?」
先生がききました。
「春人!」
勇太がこたえます。
「おれ、春人も大好きだからまぜてやるんだ」
勇太が言うと、他の子たちも次々と言いました。
「ずるいよ、ビー。わたしだって春人先生のこと大好きなのに……」
「そうだよ。ぼくだって……」
そこで、みんな勇太がかいた春人先生の絵に何かをかきくわえました。時計やベルトや服のもよう、思いつくかぎりの物をかきました。それで、絵はものすごいことになりました。でも、それを見て、春人先生は本当にうれしくなりました。

 それから、音楽の時間には、春人先生のオルガンに合わせて、みんなで歌を歌います。今は、クリスマスの歌を練習していました。
「それじゃあ、サンタさんにも聞こえるように、大きな声で歌おうね」
春人先生が言いました。
「はーい!」
みんなはそろって返事をします。みんな、クリスマスが大好きでした。サンタクロースがもってきてくれるプレゼントがまちどおしいのです。

「おれ、一番にプレゼントもらえるように、うんと大きい声で歌うよ」
勇太が叫びました。すると、みんなも負けずに言いました。
「えーっ? ずるいよ、ビー」
「そうだよ。ぼくだってサンタさんに早くプレゼントもらいたいもん」
「わたしだって……」
みんなはさわぎだしました。
「わかったわかった。みんなで大きな声で歌ったら、きっと、みんなのところにもサンタさんは来てくれると思うよ」
春人先生は、そう言うと、オルガンを弾き出しました。曲は『きよしこのよる』です。みんなは声をそろえて歌いました。とてもいい感じだと春人先生は思いました。

と、その時、勇太が両手にすずをもって鳴らしました。それだけではなく、勇太は、あちこち走り回ってほかの子の耳もとで鳴らしたり、すずで背中をたたいて回ったり、やりたいほうだいしているのです。
「ぎゃあ! ビーがぼくの背中をぶったぁ!」
「うるさいっ! 耳のそばで鳴らすのやめて!」
「先生! ビーがすずをなげつけてるよぉ!」
またまた教室内は大さわぎ。とてもお歌どころではありません。

「勇太、今はお歌の練習をしているんだよ。すずをおいて」
春人先生が言いました。
「何でさ? この方がずっとサンタさんによく聞こえると思うな」
「でも、それじゃあ、単にうるさいだけで、音楽じゃないだろう?」
「何でさ? 合奏の時には、すずも使うじゃないか」
勇太が口をとがらせます。
「すずはやたら鳴らせばいいってもんじゃないんだよ」
春人先生はオルガンで音を出しました。
「ほら、聞いて。この音、強い音と弱い音の組み合わせで音楽はできてるんだ。ねえ、この強い音が出た時だけすずを鳴らしてごらん」
春人先生に言われて、勇太はすずを鳴らしました。
「いいよ。その調子。よく聞いて。ずれないように、ね? 強い音の時だけ鳴らすんだよ」

そうしてオルガンを弾き続ける春人先生。1番が終わり、そのまま2番へ……。
「はい。みんなは歌って。勇太はすずを鳴らすんだよ。ほら、強い音……」
そうして、曲は続きます。もう春人先生が何も言わなくても、勇太はすずを鳴らし、みんなは歌を歌いました。そうして、すみれ組の教室からはきれいなクリスマスソングのひびきが聞こえました。

「あらあら、とても上手に歌えたわね」
園長先生がドアから顔をのぞかせて言いました。
「みんなのお歌とすずの音に引き寄せられて来ちゃったわ」
と、言って笑います。
「そうだろ? おれがすず鳴らしてたんだ」
勇太が得意そうに言いました。
「ずるいよ、ビー」
「わたしたちだっていっしょうけんめい歌ったのよ」
みんな口々に言いました。

「そうね。みんなステキだったわよ」
園長先生が言いました。
「今日はとってもがんばったから、みんなに園長先生からもプレゼントをあげましょうね」
そう言って園長先生はみんなに星の形のチョコをくれました。
「わあ! 園長先生ありがとう!」
みんなはとてもよろこびました。

「あは、一番星見ーっけ!」
勇太がそのチョコをかかげて言いました。
「いいな。わたしも」
「ぼくも」
みんな、それぞれの星をもってうでを上げます。
「すごいな。本当に星の海みたいだね」
春人先生もにこにこ笑って言いました。今日は特別。すみれ組だけの星のクリスマスでした。


 お帰りの時間がやってきました。近くの子はお母さんがお迎えにやってきます。遠くへ帰る子たちはバスに乗ります。でも、勇太はまだ教室に残っていました。
「あ! ママがきた!」
そうして、ひとり、また、ひとりと教室を出て行きました。そうして少しずつ人数は減って、とうとう教室に残っているのは勇太と理奈の二人だけになりました。

「理奈ちゃん、今日はバスに乗らないの?」
勇太がききました。
「うん。今日はママがお迎えにきて、となり町のおばあちゃんの家に行くから……。ビーは?」
「おれんちは、父ちゃんしかいないから、いつもおそいんだ」
「いつも? ねえ、それってさみしくない?」
「何でさ?」
「だって、だれもいないし……」
理奈はまわりを見て言いました。にぎやかだった園庭もいつの間にかしんとしずまりかえっています。
「そんなことないよ。だれもいないから、ジャングルジムもすべり台もみーんなひとりじめできるんだぜ」
そう言うと、勇太は外へかけて行きました。
「あ、まってよ、ビー!」
理奈は、ひとりでいるのがいやだったので、勇太のあとを追って庭に出ました。

 庭もがらんとしていました。いつも大勢の子どもたちがかけまわり、じゅんばんをめぐってケンカをしたり、青い空のずっと上の方までひびきわたっている子どもたちの声がまるで聞こえません。勇太はひとりですべり台をかけ上がってすべったり、ブランコをゆらしたりしてゴキゲンでした。
「理奈ちゃんもおいでよ」
げんこつ山の頂上から、勇太が呼びます。
「ここはすっごく見晴らしがいいよ。となり町のずっと向こうまで見えるんだ。空のずっと遠くまで……」
げんこつ山がいくら高いといっても、そんなに遠くまでは見えないだろうと、理奈は思いました。げんこつ山のとなりにはそれより高い幼稚園のたてものがありましたし、幼稚園の外には、大きな家やビルがたくさんありました。みんな、げんこつ山の何倍も高いのです。

「ビーのうそつき! そんなところから見えるわけないじゃない」
理奈が言います。
「見えるさ。だから、おいでよ」
「そんなこと言って、もし、見えなかったら、どうするの?」
「そうだな。そしたら、おれ、おまえの家来になってやる」
勇太が言いました。
「ほんと? だったら行くわよ。ほんとにやくそくだからね」
そう言うと、理奈は走ってげんこつ山に向かいました。

だれも遊んでいない庭は、いつもより広く感じました。理奈はふと立ち止まって考えました。
(げんこつ山ってあんなに大きかったっけ?)
いつも遊んでいるスベリ台もブランコも、みんな大きく見えました。
「早く来いよ」
勇太が叫びます。理奈はうなずいて、げんこつ山のてっぺんまで上っていきました。
「ビー……」
理奈が何か言いかけた時、勇太が言いました。

「あ! ヒコーキ雲だ!」
それは、長くしっぽを引いて、空をよこぎるようにのびていました。
「あの雲の向こうに、となり町が見えるんだぜ」
理奈はうなずきました。
「そいでさ、あの空のうんと向こうにおれの母ちゃんがいるんだ」
「ビーの?」
「ああ……」
そう言ってうなずく勇太の顔に、少しかたむきかけた赤い夕日がさしています。
「死んじまって、今はあの空のうんと上の方にいるんだ。だから、おれ、なるべく高いところから空を見るんだ」
「それで、ビーはいつもげんこつ山に上ってたんだ」
理奈が勇太の顔をじっと見つめて言いました。

「それにさ、ここからだと、何だって見えるんだ。ほら、理奈ちゃんのママが来た」
「あ! ほんとだ」
理奈はうれしそうにかけて行きます。それから、一度だけふりむいて言いました。
「わたしにもちゃんと見えたよ、となり町……。ビーの言うことほんとうだった」
勇太はそれを聞くと少しだけうれしそうな顔をしました。けれど、理奈のお母さんがにこにこと理奈に近づくのを見ると言いました。

「あっかんビーだ! 理奈なんかとっとと行っちまえ! これでやっとここをひとりじめできるぜ」
「何よ! ビーなんかきらい!」
そう言うと、理奈は怒って行ってしまいました。
「へーんだ。おれだってきらいだよ。だれもいない方がいいや。げんこつ山はおれの山なんだ」

「勇太、お父さんがきたよ」
春人先生が言いました。勇太は急いでかけおります。
「父ちゃん!」
「勇太、おそくなってごめんな」
お父さんが言いました。その顔に赤い夕日の光があたっています。それは、春人先生の顔や幼稚園の白いたてものにもです。みんなにオレンジの光があたってきれいでした。
「おれ、平気だよ。だって……」
勇太がふりむくと、げんこつ山の頂上が夕日で光ってきらきらとかがやいています。
「父ちゃんもここも、みーんな大好きだから……」

(おわり)