千年祀り唄
―無垢編―
2 通りゃんせ
通りゃんせ 通りゃんせ
子ども達が唄う元気な声が、のら道に響いていた。
子宝を願うお堂の前には団子が供えられ、若い夫婦が祈っていた。
脇では赤い風車が風に吹かれ、音を立てて回っている。
「男と女、どっちが欲しい?」
「どっちもよ。丈夫な赤ちゃんができますように……」
若い夫婦は幸せそうに手を取り合ってお堂の前から去って行く。
――むく
それを見ていたもっこの一人がおずおずと言った。
もっことは、この世に生まれる前の魂のことだ。無垢はそのもっこ達を預かっている。この世とあの世との境界を生きる者。
――あのひとがいい
もっこの視線は女を示していた。
「行くのか?」
その背をやさしく撫でながら無垢が訊いた。
――うん
もっこが頷く。と、それを包んでいた被膜が夕闇に染まった。淡く透ける鼓動。漆黒の瞳に光が灯り、心の臓に人の世で生きるための寿命が映った。
――むく
もっこが見上げる。
「お行き」
無垢が頷くと、淡い雪のようなもっこはふわりと飛んで女の子宮へと重なった。そして、体を丸めてその中へ入り込んだ。
「幸せにおなり」
たった今産まれた命を想って無垢は祈った。
(どうか幸せに……)
通りゃんせ 通りゃんせ
――ここはどこのほそみちじゃ
――てんじんさまのほそみちじゃ
――ちょっととおしてくだしゃんせ
――ごようのないもの、とおしゃせぬ
もっこ達が唄う。
この子の七つのお祝いに、お札を納めに参ります。
だが、世の中にはその年まで生きられない子どもが大勢いる。
その魂がこのもっこ達なのだ。
それを知ってか知らずか、彼らはこの唄が好きだった。
――むく
――どうしたの? むく
――あそぼうよ
――ねえ、いっしょにあそぼう
残ったもっこ達が無邪気に笑う。
「そうだね。あそぼうか」
そこでは、旅立った仲間のことを、誰も憂いたりしない。まるではじめから存在しなかったかのように振る舞う。
そうして時はいつも淡々と流れて行った。
通りゃんせ 通りゃんせ
透ける泡のゆりかごで遊ぶもっこ達……。
その命はいったいどこから来るのか。
そして、彼らがもう一度人の世に転生し、生まれた先で、どんな運命を辿って行くのか。
無垢は知らない。
たとえどんなに望もうと今も、これからも、決して知りようがなかった。
彼にできるのはただ、ここで生を受け止め、あるべき場所へ、その生を帰してやるということ。ただそれだけである。
生まれる前に消えた命。
生まれてすぐに死んだ命。
事故や病気で亡くなった子どもの魂を無垢は担う。
だからこそ、彼はそんなもっこ達を愛しく思った。
次に生まれ変わったら、少しでも長く、豊かな生を育んで欲しい。
そう強く願った。
しかしそれは、多くの矛盾を含んでいる。
たとえどんなに望んでも、
真摯に祈り続けたとしても、
世の中のありとあらゆる理不尽を、
すべての不幸を払うことはできないのだ。
(それでもおれは、願わずにいられない)
生まれ変わってもなお、幸多かれと……。
(弱さ故のやさしさを
やさしさ故の哀しみを
ずっと目にして来たおれだから……)
人は醜い生き物だ。
追い詰められてなお、藁に縋り、
闇という他者を畏怖しながら、己という浅ましき獣を愛でてしまう。
誰もが目を閉じている。
誰もが耳を塞いでいる。
誰もが口を閉ざしている。
そうしていつも、真実は語られない。
大事なことは置き去りのまま……。
それでも人は生きて行く。
誰もが生きようと努力している。
この先もずっと……。
どんな悲劇が起ころうと
どんな災いが訪れようと
人は人間であろうとするだろう。
(この世でもあの世でもない境界の世界で……。
おれがおれで在り続けたいと願うように……)
何処からかまた、あの唄が響いていた。
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの細道じゃ
天神様の細道じゃ
ちょっと通してくだしゃんせ
御用のない者通しゃせぬ
――むく
また一人、もっこが無垢の袖を引っ張った。
「行きたいのか?」
女は井戸端にしゃがんで涙を拭っていた。もっこはじっと、その女を見ていた。
――かわいそう
女は長屋に住んでいた。町の貧乏長屋と言われている場所だ。旦那は大酒のみで博打打ち。病気のおっかさんを抱えて途方に暮れていた。
――かわいそうだよ
「ああ……」
女の手はあかぎれが酷かった。家には隙間風。家財も食料も何もなかった。みな借金の形に持って行かれたのだ。そこに生まれても何もいいことなどなさそうに思えた。が、もっこはその女を選んだ。
――あのひとのところにいく
「なぜ?」
――そばにいてあげたいの
「何故?」
――だって、ひとりだとさみしいでしょう?
「そうだな、だが……」
――わかってる。すぐにさよならするって……。だけど、あのひとのそばにいたい……
「そうか」
はじめから幸せになれるとは思えなかった。それでも無垢はもっこの望みを叶えてやった。
「では、お行き」
――ありがとう
命とは不思議なものだ。
誰かに必要とされているから生きる命。
誰かに必要とされたいと願って生きる命。
それがたとえ、他人から見れば不幸に思えたとしても……。
無垢はそっとその家の前に屁糞葛の種を撒いた。その実はあかぎれに効く。だが、撒いた種を烏が啄んで行くのを見た。
通りゃんせ 通りゃんせ
いきはよいよい かえりはこわい
それからまた、幾度かの季節が巡り、再び、無垢達はそこを訪れた。
細い路地に吹きこむ風は相変わらず冷たかった。
だが、ひっそりとした庭の隅に屁糞葛の花が咲いていた。
(女は? 赤子はどうなったのだろう)
しかし、長屋の部屋は空っぽで、家財も何も無くなっていた。何処か別の場所へ越したのか。それとも……。
腐り掛けた板塀に挟まれて、壊れた風車が風に揺れてかたかたと鳴った。
一度、手を離れた命の所在はわからなかった。
通りゃんせ 通りゃんせ
天神様の通る道……
時には妖の魂が無垢のもとへ来ることもあった。
だが、妖といえど、もっこはもっこ。人と変わるところは何もない。むしろ、人に比べてその姿は美しかった。しかし、世の中に出た途端。妖の子どもは醜い姿となり、妖と呼ばれて恐れられる。
(だが、本当に醜いのはどっちだろう。人の中にも在る醜さと、妖の中にも在るやさしさを天秤に掛けたなら、いったいどっちに傾くのか)
――ここにいてもいい?
「ああ」
――ずっとここに……。むくのそばにいたい
「生まれることが怖いのか?」
――うまれたらしんじゃう
時として、この世で受けた強烈な痛みを忘れずに来る者がいた。
――いたくてくるしいことばかりならいらない
「でも、おまえが生まれて来ることを望む者もいる」
――いやだ! うまれないんだ。もうにどと……
「おいで」
無垢は、そのもっこを懐に抱いた。
――あたたかいね。むくはやさしい。ここはやさしい。だから、ずっとここにいる
「ああ……」
心が痛んだ。
(おれはやさしくなどない。おれは、人であった時、人を死なせた。童を斬った)
通りゃんせ 通りゃんせ
この子の七つのお祝いに
(おれは神の子を斬ったのだ)
お札を納めに参ります
(おれはその札を切った。
人の世にあらしめる
封印の札を……
この手で……!)
行きはよいよい 帰りは怖い
(人の世の魂が行きつく場所をおれは知らない。
命の果てに何があるのかも……)
転生を続けるもっこ達……
(そのもっこ達を連れて、
この世でもあの世でもない空間の狭間で
おれは何処へ行こうとしているのか)
――ずっとここにいたい
お堂の前で風車が回る。
――ねえ、むくはなんなの?
「……」
――ひと? それとも、あやかし?
「おれは……もとは人であったものだ」
――ひと?
――なら、どうして、むくはうまれないの?
――むくはどうして……
「お食べ」
無垢はお堂に供えられていた団子をもっこ達に分けてやった。
――おいしいね
――うん。おいしい
――とってもおいしい
幸せそうにそれを頬張るもっこ達……。
お堂の脇では、村の子ども達がまだ遊んでいた。
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの細道じゃ
お堂へ続く暗い道。
妖の娘が姿を表す。
月が雲に隠れ、明かりが消えた。
――むく?
そうして、結局妖の子は妖の女の体内へ宿ることを選んだ。
闇の中で烏が鳴いた。
いきはよいよい 帰りはこわい
「お行き」
もっこの目が光った。人とは違う妖しくて純粋な瞳で……。
――さよなら、むく
さよなら……。そう言おうとして、彼は口を噤んだ。もっこ達の道はまだ続いている。そして、無垢が歩む道も……。その道の先に何があるか知らないままに進んでいる。
恐れながらも、退くに退けない遠い道……。
怖いながらも
通りゃんせ
耳の奥で木霊した。
通りゃんせ 通りゃんせ
記憶の中の銀の糸。
闇の狭間を手さぐりで、命を綴る。
通りゃんせ 通りゃんせ
いつか見た妖。蜘蛛の女が細い三日月に糸を張る。
臆病なもっこは、まだ生まれずに無垢の懐で眠っている。
「明日は何して遊ぼうか?」
この世とあの世の狭間で
無垢なる者は夢を見た。
風に吹かれて散る花の
一片に抱かれて……。
通りゃんせ 通りゃんせ
お堂を抜けて境界を潜り抜けると、
そこでまた、新たなもっこが彼を待っていた。
時が過ぎてももっこの数は増えるばかり……。
(おれの役目は終わらない。
次の命を守るために、
おれは存在しているのだ。)
通りゃんせ 通りゃんせ
いきはよいよい 帰りは怖い
人の営みが続く限り……。
怖いながらも
通りゃんせ 通りゃんせ……
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