ダーク ピアニスト
〜練習曲2 ゴールドフィッシュ〜
Part 3 / 3
「ギル。その犯人、誰だか捜せないかな?」
それから小一時間が過ぎ、少し落ち着きを取り戻すとルビーが言った。
「探してどうする?」
「殺す」
そういきり立つルビーにギルは冷静に言った。
「やめておけ」
「何でさ?」
「警察から目を付けられている」
「でも、このまま黙っておけないよ!」
「関係のない事だ。警察に任せておけばいい」
「どうしてさ? 正義の為に戦うんだって言ったじゃないか! 世の中の法と道徳をかいくぐり、裁けない悪を裁くんだって……。あれは嘘なの?」
「嘘じゃない。だが、それはもっと広い意味での社会正義だ。一人の為の殺人犯を捕まえる為じゃない」
「同じだよ! ただ一人を守るのも大勢の人を守るのも……。一人を殺すような奴はもっとたくさんの人を殺すようになるんだ。だから、そうなる前に潰す」
「自分がそうだからか?」
「そうだ! はじめは凄くいやだった。けど、そうする事でしか正義を守れないなら、僕は喜んでそうするよ」
「殺人犯と同レベルになってもか?」
「ああ! 僕は僕の正義を貫く! その為に傷が増えたっていい! 地獄に落ちたって僕は泣かない! 泣いたりしないんだから……絶対に……!」
膝に置かれた拳に涙が絡む。その滴に蛍光灯が反射して白い光り目が揺れる。
「シェリーは何も言わなかったよ。金魚が死んだ理由も、スカートの内側に出来た痣の理由も……だから、僕がその恨み晴らしてやるんだ。必ず……!」
その夜、ギルフォートはずっと警察無線を傍受していたが、これといって新しい情報はなかった。ただ、彼女は昼休みに学校の裏庭でボール遊びをしていた。そのボールがフェンスを越えて外へ出てしまったのだという。そして、そのボールを追って出たまま彼女は行方不明になったのだ。そして、数時間後、彼女は遺体となって発見された。学校から2キロ程離れた草むらに放置されていたのを通行人により発見された。が、その時には既に死亡していたという。今のところ目撃者もなく、警察は学校関係者や家族を中心に聞き込みをしているところらしい。
ルビーはまた、あの空き地に来ていた。そして、小さな十字架の前に座り込むと新しく摘んだ花を供えた。
「そのお墓は?」
不意に後ろから声がした。振り向くと昨日の警察官が立っていた。
「金魚さんのお墓……」
とルビーが言った。
「シェリーと二人で作ったの。赤くてとてもかわいかったの。元気に泳いでいたのに……僕、触ったりしなかったのに……死んでしまったの……」
「それでお花を供えてあげたのかい?」
「うん。独りぼっちじゃ寂しいでしょう? だから、お花といっしょにしてあげるの。二人で讃美歌も歌ってあげたんだ。お祈りもしてちゃんとお葬式にしてあげたんだよ」
「そう……」
ルビーが目を閉じ、祈っていたので警官もそうした。
「でもね、何か変なの」
とルビーが唐突に言った。
「ねえ、どうして今、ここにあの子はいないのかな? あんなに約束したのに……僕の事忘れちゃったのかな?」
「え?」
合点が行かなそうな警官にルビーが微笑む。
「シェリーとここで会う約束してるんだけど……。彼女、なかなか来ないんだ。どうしてなんだろ? ねえ、僕が嫌いになっちゃったからじゃないよね?」
純粋な瞳で警官を見上げる。
「僕、それが心配なの。僕は、シェリーに何も悪い事しなかったんだけど、彼女は誰かに悪い事されてたのかもしれないね。だって、スカートの内側に幾つも痣があったもの。僕の傷みたいに……」
と袖をめくって見せる。警官は驚いてその訳を尋ねた。とても普通についたとは思えないその傷の跡を、ルビーは簡単に説明した。
「いじめられたの。服の内側なら傷や痣が出来ても目立たないでしょう?」
と笑う。
「誰にされたの? まさかあの……」
温厚そうに見えたあの家族なのかと思って警官はゾッとした。が、ルビーは首を横に振って否定した。
「ううん。彼らじゃない。でも、背中の傷は僕の本当の父様がやったの。母様を殺して、僕も殺そうとして……僕は死ななかったけど、代わりに傷が出来たの」
と彼は微笑した。
「な……!」
警官は絶句したまま言葉を失った。
「だから、あの子も誰かにいじめられてるんじゃないかと心配なんだ。今度会ったら訊いてみるね」
「君……」
「それにしても、今日は遅いね。一体何をしているのかしら?」
遠くの空を見つめてルビーが言った。
「早く来ればいいのに……そうしたらピアノを教えてあげるのに……それから、また、二人でお人形ごっこをして遊ぶんだ」
と持って来たままごとセットの中の人形を抱き締めて彼はクスクス笑った。そんな無邪気な瞳はずっと遠い夢の国を見ているとしか思えない。
「可哀そうに……」
警官はそんなルビーの背中を見て呟く。
「この子には何もわかっていないんだ……何も……」
そして、夜。ギルフォートが女と部屋から出て来るのを捕まえてルビーが言った。
「新しい情報は? 無線を傍受してくれるって言うから期待してたのに……こんな時まで女といるなんて……!」
ルビーは怒ったがギルフォートは冷静に言った。
「これも立派な諜報活動の一つさ」
「何処がさ?」
と口を尖らせているルビーを宥めるようにギルは言った。
「シェリーの父親の情報を手に入れた。彼女の本当の父親は二年前に亡くなっている」
「それじゃあ……」
「今の父親は一年程前にやって来た義父さ。しかも、その男は流れ者で女癖が悪いと評判だ」
「フフフ。ギルみたいじゃない」
とルビーは笑ったがギルは無視した。
「それだけじゃない。その男には前科がある」
「前科?」
「そうだ。少女に対する猥褻行為だ」
「それじゃ……」
「証拠はない。だが、シェリーといっしょにいた友人の証言によると若い男が彼女に声を掛けていたという話が今日になって浮上したらしい。それで、警察では、懸命にその男の特定を急いでいる」
「ふーん。きっと犯人はそいつだね。どうして警察は早くその父親を捕まえないの?」
「まだ決定的な証拠がない」
「なら、僕が直接行って訊いて来るよ」
と出て行こうとするルビーの手首を掴んで言った。
「やめとけ」
「何でさ?」
「時間の問題だろ? おれが掴んだ情報くらいすぐに警察も掴むさ。あまり深入りをするな。おれ達は他所から来た人間だ。明後日の夕方にはここを発つ」
「え? もうお仕事は終わったの?」
「大方目安がついたんだ。そしたら、もうここに用はない」
「そう……そうなの」
ルビーはチョッピリ寂しそうな顔をした。そして、カーテンが開いたままの窓の外を見つめた。家の明かりが幾つか見えるだけの何もない夜がそこにあった。
「寂しい街だったね……」
ルビーは呟いて、そっとカーテンを引いた。
そして、翌日には教会でシェリーの葬儀が行われていた。事件という事もあり、それは家族と近しい者だけの密葬という形を取り、質素に行われていた。唯一、彼女の学校関係者とクラスメイトが小さな花を手に一本一本彼女の棺に備えていた。と、その時。突然誰かが入って来た。ルビーだ。彼は真っ直ぐ彼女の棺に行くといきなり眠っている彼女を抱き起こした。
「君! 何て事をするんだ!」
慌てて教会関係者と親族の者が止めようとする。が、彼は無視して彼女を抱くとオルガンの椅子に座った。そして、彼女を抱えたまま曲を弾き始めたのだ。皆呆気に取られ、ただ呆然と彼らを見つめた。が、やがて彼らは気づいた。笑っているのだ。ルビーに抱かれた少女が笑っている。そして、ゆっくりと目を開き、ルビーといっしょにオルガンを弾いていた。
「そ、そんなバカな……!」
人々が驚愕する。が、そこにあるのは極上の美だった。黒い翼を持つ彼と白い衣装を着た可愛らしい天使の二重唱……。そこにもはや苦しみはなく、美しい幻想と花畑が広がる。晴れた空には虹が掛かり、甘い蜜の香で満たされている。像から抜け出した本物のマリアが微笑み、二人は笑いながらワルツを踊る。そしてあたたかな安らぎに包まれてオルガンを弾く。やさしい思い出と安らぎの中で……。
――ずっとこうしていられたらいいのに……
夢見るように笑う少女の陰……。
――ずっといつまでも幸福な夢の続きが見られたら……
ルビーはそっと目を閉じた。そして、そっと少女に口づけをする。
(王子様が来たよ……お姫様はね、王子様のキスで目覚めるんだ……)
けれど、少女は目覚めずに、永遠に少女のまま微かに微笑んでいるだけ……。ルビーはゆっくりと首を上げ、教会に集う人を見た。皆、彼の幻想に浸りうっとりと彼が起こした奇跡を見ている。それは一瞬の奇跡に過ぎなかったけれど、それは永遠の奇跡に匹敵した。シェリーの母親は涙を流し、子供達の歌声は聖なる響きで教会を満たした。
――ありがとう
ルビーはそっと少女を抱いて棺へと戻す。そして、ルビーがもう一度振り向いた時、その男と目が合った。そいつは微かに微笑していた。ルビーはゆっくりとその男に近づくとじっとその顔を見た。すると男はじっとルビーを見つめて言った。
「君、シェリーのお友達なんだってね。それで、あの子はどうだった? 天使ちゃんのキスはどんな味がした?」
「僕のお人形を壊したのはあなたなの?」
男の問いを無視して、ルビーは淡々とした口調で訊いた。
「壊した? まさか。あれは私の娘だよ」
「あなたの? ちがうね! あの子は、天の国から来た娘だよ。誰の者でもない」
「ハハ。君は面白い事を言うね」
「面白い? 僕は真面目だよ。僕は本当の事しか言わない」
「ホウ。いいね。君、なかなかいい目をしてる」
とその時、教会の中にオルガンが響いた。正式な奏者が弾いて子供達がお別れの賛美歌を歌い始めたのだ。ルビーはそっと出口に向かう。そして、振り向いて言った。
「あ、言い忘れたけどね、あなた、背中に悪魔の死霊をしょってるよ」
と言ってルビーはクククと低く笑った。
「何……!」
それを聞いて男はカッとなって何かを言おうとしたがその前にルビーは扉を閉めて出て行った。そして、入れ違いに入って来た警察が言った。
「ちょっとお話を伺いたいのですが、署までご同行願えますか?」
「シェリーの義父は警察に連れて行かれたよ」
ホテルに戻ったルビーが言った。
「悪い事は出来ないものだな」
ジェラードが言ってルームサービスのコーヒーを飲む。
「ねえ、早くこの街を出ようよ」
珍しくココアに口もつけずにルビーが言った。真っ白い生クリームが溶けてゆっくりとチョコレート色に染まる様を見ているとルビーは何となく落ち着かない気がした。そこでグイとスプーンを突き刺してグルグルと回す。するとカップの中の世界は混沌として溢れたクリームがその淵を伝ってテーブルに落ちた。
「坊や。カップから零れているよ」
とジェラードがナプキンをくれる。
「そうだね」
ルビーはそれを使って拭いてみたが、その手もナプキンもベタベタと汚れてしまう。
「僕、手を洗って来るよ」
と言って彼は洗面台に向かった。
(みんな汚れてしまうんだ。洗っても洗っても落ちない何かに汚されてしまう……こんな風に……こんな風に……僕もいつか……)
カップの中のココアを思って彼は泣いた。甘くておいしい飲み物には、きっと涙の隠し味が入っているに違いない。だから、ちょっぴりほろ苦く、時折胸が締め付けられるような瞬間があるのだと……彼は本気でそう思った。
翌日。その日も朝からよく晴れていた。
「坊や。夕方には出発するからそれまでに荷物をまとめておくんだよ」
とジェラードが言った。
「うん。わかった」
と言ってルビーはクローゼットの中から服やおもちゃを引っ張り出すとトランクの中に詰め始めた。
「あれ? どうしてだろ? 全部入らないや」
閉まらなくなってしまった蓋を何とか閉めようとしてグイと押した拍子にソファーのクッションがずれて何かが覗いた。
「あれ? 何か落ちてる」
隙間から拾い上げるとそれは金魚だった。
「僕の金魚……!」
それはすっかりひからびてペシャンコになってしまっていた。が、それでも何とかその形をとどめている。
「ごめんね。僕の金魚さん……」
ルビーは、そっとティッシュの上に乗せてテーブルに置いた。
「支度は出来たか?」
その時、ギルが入って来て訊いた。
「ううん」
まだ、そこらには入りきらなかった荷物が散乱している。
「だって、どうしてもトランクに収まらないんだもの」
「バカが……。こんなに荷物を増やすからだ。待っていろ。何か入れ物を調達して来る」
「ありがと」
と言ったきり彼はじっとテーブルの上を見ている。
「何だ?」
ギルが覗く。
「金魚……? 見つかったのか」
「うん。ソファーのクッションに挟まってたの」
と元気なく答える。
「そうか……」
「僕のせいだね……金魚さんが死んだのも……シェリーが死んだのも、みんな……僕のせいなんだ……!」
と言って顔を覆う。
「おまえのせいじゃないさ」
ギルがそっとその肩に手を置く。
「ううん。僕のせいだよ。僕が悪い子だから……」
「何も悪い事をしていなくても奪われる命はあるし、奈落の底に堕ちて行く者もいる。運命はあまりに気紛れなロシアンルーレットなのさ。おまえもおれも、ジェラードでさえ運命の波に翻弄されているのかもしれない……抗えないままに……」
「運命を信じるの?」
「いや。だが運命の奇遇は感じるよ。今、こうしている事の意味や巡り会わせの不思議さをね」
「そうだね。きっと意味があったんだよね。僕がシェリーに会ったのはただの偶然じゃなく、必然だって……たったあれだけの時間だったけどきっと意味があったんだ。そうでしょう?」
「多分な」
ルビーはスッと立ち上がるとそっと金魚をティッシュに包んで手の中に納めた。
「僕、金魚さんのお墓を作って来るよ」
そう言ってルビーはあの空き地へ向かった。そして、その道の途中であの男と会った。
「どうしてここにいるの?」
ルビーが訊いた。
「警察で全部話したら信じてくれたよ。私は犯人じゃないってね」
逆行の中で影になった顔が笑う。
「ふーん。警察って随分甘いんだね」
とルビーが言った。あからさまに不快そうな表情をしている。
「おや? 君が持っているのは何?」
「金魚さん……死んじゃったんだ。だから、これからお墓を作りに行くんだよ。シェリーの金魚さんの隣に作ってあげるんだ。そうしたら、もう寂しくないからね」
「へえ。君はやさしいんだね」
「やさしい? それはどうかな? だって僕には見えちゃうんだもの。だから、本物の天使にはやさしく出来るけど、悪魔とは仲良く出来ないんだよ」
「悪魔?」
「そう……例えば、あなたのような醜悪な人とはね」
「私の何処が醜悪だって?」
「シェリーを殺した」
男の顔からサッと血の気が引いて行く。
「それだけじゃない。最近この周辺で起きている連続殺人の犯人さ。小さな女の子にしか性欲を抱けないんだってね? 自分より絶対的に弱い者に暴力を振るうのが楽しいの? 卑怯者って顔してる。あなたにはお似合いの仮面だ」
「君は一体何を言い出すんだい?」
男の心が引きつって行くのを感じた。
「おいでよ。シェリーが愛した空き地へ行こう。手伝ってくれるでしょう? 金魚さんのお墓を作るの」
その頃、警察では男に関する証拠固めを急いでいた。
「犯人は奴に間違いないんだ。何としても尻尾を掴んでやる」
警官は決意も新たにふと窓の外を見た。遠くあの空き地に黒い人影が見える。それは後姿であったが彼にはすぐにそれがルビーだとわかった。
(また、あそこで待っているのだろうか? あの少女の面影を……)
彼は切ない気分でいっぱいになった。と、そこへ若い警官が飛び込んで来て言った。
「アリバイが崩れました。シェリーの母親が奴に脅されて嘘の証言をしたと告白して来たんです」
その言葉にサッと部屋の中が沸き立った。
「すぐに逮捕状を!」
そして、夕方。なかなか戻って来ないルビーを迎えに来たギルが言った。
「一体何をしてたんだ? こんな時間まで……」
「お墓を作ってたんだよ。今度のはちょっと大きかったから時間が掛かっちゃったの……」
と言って土で汚れた両手をダランと下げてルビーが言った。
「おい。手が泥だらけじゃないか。ちゃんと洗わないとダメだぞ」
「うん。わかった。ちゃんと洗うよ」
と言って振り向くその頬に夕日が当たる。その視線のさきには小さな十字架が二つと大きな十字架が一つ……三つ並んで立っていた。そして、どれも赤い夕日の中に長い影を斜めに落とし、警察署の建物に向かって届きそうだった。
Fin.
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