ダーク ピアニスト
〜練習曲1 紫の呟き〜
Part 2 / 3
ホテルの中は何処も光で溢れていた。ルビーは軽く目を細めて瞬きした。広間には人が大勢集まっている。
(本番は明日なのに……)
と、ルビーは思って天井を見上げた。豪奢な金色のシャンデリアが必要以上な明るさを持って乱反射している。
「ボン ソワール。ルビー坊ちゃま」
いきなり後ろから愛想を振り撒いて話し掛けて来たのは、ランビリエだった。
「あのシャンデリア……」
とルビーが照明を指差す。
「これはまたお目が高い。さすがでございますね、坊ちゃま。これは私がオーストリアの職人に特別注文して作らせた品でございます。カットを多用してより光を反射させる。どうです? 従来の物とは比べようもない程に輝いていますでしょう」
ランビリエは得意そうに言った。が、ルビーは淡々と告げた。
「少し明るさを落としてくれない? 眩し過ぎるよ。目がチカチカする」
「そうですか? 私にはこれで丁度よいと思えるのですが……」
と渋る男にルビーは薄く微笑んで言った。
「僕、イミテーションには慣れていないんだ」
「な……」
ランビリエが何か言おうとした時には、もうルビーは奥にいたジェラードを見つけて駆け出していた。
通り過ぎる瞬間、彼が抱えていた瓶のラベルが見えた。
「あのボトルは……」
ランビリエは驚愕した。
「マクミールの特上ワイン……?」
何故それを今日来たばかりの小僧が持っているのかと彼は訝しんだ。が、取り合えずルビーの機嫌をとっておくに限ると判断したランビリエは照明を少し落とすようにと使用人に命じた。
「ルビー。こんなに遅くまで何処に行っていたんだい?」
ジェラードが言った。
「ごめんなさい。こんな時間になっているなんて思わなかったの」
「仕方のない子だね。明日の本番には遅れるんじゃないよ」
と笑って窘める。
「はい」
とルビーは返事して、それから僅かに首を傾げて言った。
「それでね、僕、欲しいものが一つ出来たの」
と見上げる。
「何だね?」
「葡萄畑だよ。すっごくきれいな紫をしてるの。甘くていい匂いがして、お日様に当たってみんな輝いてるの。僕ね、その葡萄達とお話して来たんだよ。それはみんなワインになるんだって……お爺さんが大事に育ててるから、毎年最高のワインが出来るんだよ。ねえ、僕、あの畑が欲しいの。買ってもいい?」
ジェラードは黙ってルビーの話を聞いていたが、軽く顎に手を当てて言った。
「畑を買ったところでおまえには農家の仕事なんか出来ないだろう?」
「うん。僕には出来ないけど、代わりにお爺さんが育ててくれるよ。だから、ねえ、いいでしょう?」
と覗く。
「それは、もしかしてムッシュ マクミールの畑のことについておっしゃっているのですか?」
不意にランビリエが口を挟んだ。二人の視線がそちらを向く。男は恐縮したように一旦首を引っ込めたが、さり気なくルビーが抱えているボトルを見た。
「そうだよ。これもマクミールさんにもらったんだ」
瓶を抱え直して彼は言った。
「今、丁度ワインをお持ちしようと思っていたのですよ」
とランビリエが言った。
「ワイン? なら、僕はこれを飲む」
「わかりました。それでは、今、グラスをお持ちしましょう」
「ねえ、ジェラードも飲んでみて。そうしたら、お爺さんの畑がどんなに素晴らしいものかわかるから……」
とグラスに注いだそれを差し出す。
「うーん。確かに……これは美味だ。芳醇で艶のある味わいだね」
ジェラードが感嘆する。
「ねえ? そうでしょう?」
ルビーは得意そうに笑いながら彼の周りを歩き回った。
「これはさぞかし名のある翁の手によって醸造されたワインなのでしょうね」
ジェラードはもう一度グラスに口をつけると唸るように言った。
「ええ。それはもう……。ムッシュ マクミールは、ルムァール村はもとより、周辺の村では知らぬ人がいないというワイン作りの名人です。遠い外国より買い付けに来る者さえおりまして……。地元に住んでいる私共でさえ、滅多に味わうことの出来ない秘蔵のワインなのでございます」
「そうだよ。なのに、その畑が潰されようとしているんだ。だから、僕、欲しいんだよ」
ルビーが言った。
「ははは。おまえは無類のワイン好きだからね。それにしても、そんな貴重な畑が何故潰されようとしてるんだい?」
ジェラードが残りのワインに舌鼓を打ちながら訊いた。
「残念ながら、ムッシュ マクミールは恩年80ににもなるご老体。あとを継ぐ息子も亡くなって今は一人。広大な畑の管理をするには限界だということで、私共がそこを買い、ご老人には何不自由なく余生を過ごしてもらえればとの配慮からそうさせてもらったのです」
とランビリエがしおらしく説明する。
「ほう。それは何とも惜しむべき人材と技術ですな」
ジェラードの言葉にもっともらしく頷くと、ランビリエが付け足した。
「ここだけの話、ムッシュ マクミールには多額の借金もありまして……。私共が救済の手を差し伸べたという事情もあったのですが……」
「嘘だ!」
ルビーが叫んだ。
「ルビー、突然大きな声を出すんじゃないよ。ご婦人方が驚いているじゃないか」
ジェラードが軽く注意を促した。見れば、周囲の婦人達が何事かと言いた気にこちらを見ている。
「ごめんなさい」
とルビーは首を竦めた。
「でも、本当のことだから……」
ちらとランビリエを見て言う。
「ははは。坊ちゃん、それはあまりのお言葉。一体どういう意味でしょう? それとも何か証拠の品でもお持ちですか?」
僅かに唇の端を上げ、意地悪い瞳でルビーを見つめる。
「それは……」
――ランビリエに証拠の書類を奪われて……
――いつか必ず証拠を掴んで、そして……
老人やフランツの無念の表情が浮かぶ。
「証拠はないけど……」
ルビーはふっとボトルの中の液体を見つめた。
(この葡萄達が知っている)
「坊ちゃん、差し出がましいことかもしれませんが、お言葉には気をつけた方がよろしいかと……。安易に発言すると不用意に人を傷つけてしまうこともありますからね」
「そうですね。うっかりすると墓穴を掘ることにもなりかねない。わかりました。これからは十分注意しましょう」
ルビーはあっさりと引き下がった。
「いえ、おわかりになっていただければそれで結構です」
ランビリエは満足そうに頷いた。
「ところで、あそこにあるのが明日僕が弾くことになるピアノですか?」
ルビーが訊いた。
「ええ。スタインウェイの最高級品です。お試しになりますか?」
「弾いてもいいの?」
「ええ、何なら人払いしても構いませんよ」
「いいえ。このままで構いません。ちょっと音色を確かめたいだけですから……」
そう言うとルビーはピアノに向かって駆け出した。
「まあ、可愛い坊や」
「彼がピアノを弾いてくれるのかしら?」
談笑していた婦人達がひそひそと囁く。
確かにそのピアノはスタインウェイだった。が、あまりにごてごてとした金と銀との装飾が、その見た目の重厚感と品位を損なわせていた。恐らくこれもランビリエが無理な注文をして作らせたのだろうとルビーは思った。しかし、見た目はともかく、その本質は最高級のピアノであることに変わりない。88鍵の白と黒との鍵盤は、素朴に品よく並んでいた。
照明が少し暗くなって落ち着いた雰囲気になっていた。
ルビーはすっと目を閉じるとあの広大な葡萄畑を思った。
そして、体の中にじんわりと広がっていくワインの仄かな香気……。
ルビーは静かに体を揺する。
そして、とんと指が鍵盤に触れた。
瞬間。すべての時間が止まる。そして絶妙な余韻が人々の心に広がった次の刹那。その指が一気に頂点から駆け下りる。抗えない激流のような渦に巻き込まれ、繰り返し起こる波の記憶に人々は酔いしれた。
あのランビリエでさえ、ルビーの弾くピアノに魅きつけられ、そこから動けずにいた。そして、その最後の音の余韻が消えて喧騒が帰って来てもそこにいた者達の心はその場から離れられずにため息をついた。
「いいですね。見てくれはどうあれ、このピアノは最高だ」
ルビーはワインのお代わりをもらうと紅潮した頬で言った。
「光栄です」
ランビリエが頷く。
「ただ、本番の前にはもう一度調律を頼みます。ファの音が少し高い」
「かしこまりました」
ランビリエは承知した。
「本当に驚きました。あなたのように素晴らしい演奏家がドイツにいらっしゃったとは……」
「ありがとう」
周囲で女達がしきりに彼の気を引こうとこちらを見たり、投げキッスを送ってきたりした。ルビーはいちいちそれに愛想を振り撒くとランビリエに言った。
「ところでさっきのお話なんですけど、僕はどうしてもあの葡萄畑が欲しいんです。1000万ユーロで譲ってくれませんか?」
「1000万ユーロですって?」
ランビリエが目を見開く。
「少ないですか? 今、僕がお小遣いで出せるのはこれくらいなんですけど……」
「いえ。とんでもない。しかし、本当によろしいんですか? その、お父様が何とおっしゃいますか……」
と声を潜める。
「私なら別に構わないよ。その子が小遣いで買うと言うならね」
ジェラードが言った。
「はあ……。そうでございますか」
ランビリエの瞳が輝く。もともとあの土地は買い叩いた土地だった。買値の10倍で買い戻すというならそう悪い話でもない。ランビリエはほくそ笑んだ。
「それじゃあ、いいんですね」
とルビーが言った。
「ええ。坊ちゃまがそれでよろしければ……」
「それじゃ決まりだ。僕は明日銀行へ行ってお金を下して来ます。だから、あなたはちゃんと契約書を書いて僕に下さい。そうだ。気が変わらないうちにちゃんとあの土地を僕に譲ると仮の契約書をここで書いてよ。それから、今すぐ部下に電話してこのことを伝えて下さいね。つまり、お爺さんには手を出さないと……」
「はあ?」
呆然とした顔でルビーを見つめるランビリエ。
「僕、取引は完璧なものにしておきたいんだ」
「わかりました。今すぐ部下に電話して仮の契約書を書きましょう」
と言って、ルビーの要求を受け入れた。その契約書の内容はジェラードが確かめてくれた。
「これでようございますか?」
「うん。いいよ。でも、明日の僕の出演料は用意してもらえたんですか?」
「え?」
「そうですね。あなたはいろいろと僕の要望をきいてくれたから、特別に100万ユーロにしてあげてもいいですよ」
「100万ユーロだって? たかがピアノの演奏に……」
ランビリエが目を剥いた。
「出せないの? ならば僕は弾かない」
ルビーはくるりと背を向けると女達の群れに近づいて言った。
「残念ながら、明日の演奏会は中止になりました。ムッシュ ランビリエは僕の演奏にはお金を払う価値がないと言うのです」
悲しそうな表情だった。それを聞いて女達は憤慨した。
「まあ! 何てことでしょう。あなたのあの素晴らしい演奏に価値がないなんて……」
「ムッシュ ランビリエには芸術を理解する耳がないのよ」
「所詮、成り上がり者なんだわ。いくら金でけばけばしい程飾っても、メッキのようにすぐ禿げる」
女達の毒舌は容赦なく支配人のプライドを切り裂いた。
「酷いわ。わたし達、あなたの演奏を聴くためにわざわざミラノから参りましたのに……」
「そうよ。あなたのピアノを聴くことができないのならここへ来た価値がないわ」
彼女達の多くは闇の産業の取り引きを行う夫に動向してきた婦人や令嬢だったが、遠く彼の評判を聞き、集まって来た者も多かった。
「ルビー、あなたの演奏は本当に素晴らしいわ。まさしくショパンの転生としか思えないほどに……」
「ええ。ここは生前のショパンも訪れたことがあるという縁のある土地なんですよ」
と地元に近い街に別荘を持っているのだという婦人も言った。
「そうですか。僕も好きです、ショパン……。それに、ここは何だかとても懐かしい気がして……」
ルビーがふっと目を伏せる。と、その長い睫毛とその表情に影が降りてそれがまた魅力的だと女達が騒ぐ。
「あんな非常識な支配人の言うことなど気にすることはありませんわ」
「そうよ。わたし達が御味方しますわ」
「そんなことより、甘いスウィートは如何?」
「あらあら、肩に埃が……。すぐに払って差し上げますわ。じっとしてらして……」
皆が彼を賛美し、世話を焼きたがった。
「ふん。奴は何処にいてもお人形だな」
窓際でじっとそちらの様子を見ていた銀髪の男が呟く。
「あら、それって嫉妬かしら?」
隣で女が囁いた。
「いや。君の方が何倍も魅力的さ」
そう言うと男はさっと女の腰に腕を回すと長い通路へと歩いて行った。
「あのう、ルビー坊ちゃま、先程の演奏料金の件でございますが……」
女達に囲まれて楽しそうにしているルビーに恐る恐る支配人が話し掛けた。
「ケチ」
ルビーはわざとそちらを見ずに言った。
「え?」
「明日には取引が成立して1000万ユーロの大金が手に入るっていうのに、今日、僕に払う100万ユーロは出せないと言うんだ」
グラスを見つめてルビーが言うと女達が一斉にランビリエを睨みつける。すると彼は手をすり合わせて慌てたように言い訳した。
「いいえ。私は決してケチな男ではございません。今夜すぐにでもあなたの出演料は用意致します。それでよろしいですかな?」
「わかりました。ならばよろしく。僕も明日は最高の演奏を披露するとお約束しましょう」
それを聞いて女達が歓声を上げて喜んだ。
「ねえ、ギル、ちょっと調べて欲しいことがあるんだ」
いきなりドアを開けてルビーが入って来た。ドアには当然鍵が掛かっていたが彼には意味がなかった。量産されている簡易ロックを外すことなど彼にとっては容易いことだからだ。
「あとにしろ」
ベッドルームから声がした。彼は一人ではないらしい。抑えてはいるが微かに女の声が漏れている。
「それじゃ、あれを貸して」
「テーブルの上にあるだろう。持って行け」
見ると、数冊の本に混じってそれはあった。それは天文学の本であったが、そこに載っている宇宙の写真をルビーはとても気に入っていた。必要がなくなったらくれると約束してくれたのだが、まだそうはならないらしいので、時々それを借りてはベッドの中に持ち込んでいた。夜にその写真を見ると和む気がした。ギルフォートは幾つかの星や星雲の名前を教えてくれたが、ルビーにとって名前などどうでもよいことだった。彼にとってはそのものが、本質がそこに在ることが大事なことだった。
――だからと言って、それを覚えなくてもいいという口実にはならない
そうギルフォートは言った。が、ルビーにとってはどれも等しく「きれいな星」でしかなかった。
ギルフォートの用事はまだ済まないようなのでルビーはそっと部屋を出ると自分に割り当てられた部屋に戻った。そこは彼一人の部屋の筈だったが、ベッドルームの間接照明が点いていた。一瞬、部屋を間違えたのかと思ったが、ソファには見慣れたぬいぐるみが置かれている。
「誰?」
鋭く言った。
「あら、きりりとしたお顔も素敵なのね」
ベッドルームにいたのは女だった。ルビーは少し緊張を緩めて言った。
「どういうつもり?」
「あら、坊やは初めてかしら? ホテルにはこんな気の利いたサービスもあるのよ」
「サービス? なら、それもホテルの料金に含まれているのかい?」
「まさか? オプション料金よ。けど、今夜は特別。わたし、あなたが気に入ったの。さあ、ベッドの中へいらっしゃい。うんと楽しませてあげる」
「それは素敵だ。でもいいのかい? 僕は見た目ほど子供じゃない。それに……」
彼は持って来た本をテーブルに置くとベッドの彼女を軽く押し倒して言った。
「君をいただいたからといってピアノの演奏料を負けたりしないよ。それでもいいの?」
「ふふ。なるほど。あなたは大人ね。いいわ。ランビリエに伝えとく」
二人は軽く口づけすると腕を絡めた。と、ルビーがすっと立ち上がって言った。
「先にシャワーを浴びて来るよ。土埃を落として来ないとね」
そうして彼は一人でシャワールームに入った。
20分後。ルビーは再びノックもなしにギルフォートの部屋を訪れた。髪も濡れたまま、バスローブを羽織っただけの姿だった。そして、泣きそうな声で彼の名を呼ぶ。
「ギル……」
「何だ?」
男はまだベッドルームにいた。
「部屋に戻ったら彼女がいて僕を誘ったんだ。なのに……」
奥でごそごそと動く気配があった。それから女の小声がした。
「どうやらわたし、お先に失礼した方がよさそうね」
「悪いな。そうしてくれ」
男が言った。それからすぐに女が出て来てルビーの脇を通り過ぎた。後ろでドアの閉まる音がした。それからギルフォートも出て来た。下はズボンを履いているが、上は軽くワイシャツを引っ掛けただけというラフな格好だ。
「また女に逃げられたのか?」
冷蔵庫からワインを出すと言った。
「僕のこと気に入ったなんて言って、ほんとは何も僕のこと見ていなかったんだ」
「泣くな。偽りの愛に溺れる者は偽りの海に沈む。おまえにイミテーションは似合わない。そうだろう?」
「でも……」
二つのグラスに注がれたワインをじっと見つめるルビー。
「ほら、髪を拭け。風邪を引く」
ギルフォートがタオルを持って来て渡す。
「ランビリエの奴が女を使って僕を懐柔しようとしたんだ」
そのタオルを握り締めてルビーが言った。
「あの支配人、余程行いが悪いらしいな。ろくな評判を聞かん」
「そうだよ。僕、あのおじさん嫌い」
と言ってグラスを傾けた。が……。
「美味しくないよ、このワイン」
ルビーが顔を顰める。
「仕方がないだろう。ホテルの備えつけなんだから……」
「マクミールさんのところのワインは美味しいよ」
その名を聞いたギルフォートが僅かに眉を上げる。
「マクミール? ジョゼフ マクミールのことか?」
「うん。そう。知ってるの?」
「ああ……」
と部屋の隅のトランクを示す。ルビーはそれだけで意味を理解した。
「それは僕のお仕事?」
「いや」
ギルフォートは呟くように言った。
「珍しいね。ギルが個人的なお仕事を引き受けるなんてさ」
「知り合いを通じて強引に頼まれたんだ」
と言って男もワインを飲み干した。
「ところで何か訊きたいことがあったんじゃないのか?」
「うん。ランビリエのこと、調べて欲しいんだ。お爺さんの畑を守るために証拠が欲しいんだよ。お爺さんの息子夫婦を殺したのが誰なのか……。真実が知りたいんだ」
「証拠か……」
そうして、ギルフォートは夜のうちにすべてを調べ上げた。そして、夜明け前に彼らは行動を起こした。証拠はランビリエの自宅にあった。隠し部屋に置かれた二重扉の金庫の中に……。
村の中心から北に少し離れた所にランビリエの邸宅はあった。広大な敷地は外から見えないように高さおよそ2.5メートルの塀で囲われている。中には庭園とプール、それに、ナイト照明付きのテニスコートまで備えられていた。
「ふん。ランビリエの奴、よほど悪いことをしてるんだな。こんな石壁で囲ったらせっかくの景色が台無しだ」
ルビーはその石壁の上から屋敷の中を覗った。警戒すべきはサーチライトに赤外線センサー。時折巡って来る警備員と放し飼いにされているドーベルマンだ。
「たくさん仕掛けりゃいいってもんじゃないのに……」
ルビーは呆れた。赤外線は固定された位置にあるのでそこに近づかなければ問題がなかったし、サーチライトも一定の間隔で動いているので余裕で避けられる。人間の警備員はついさっき通り過ぎたばかりなので当分は戻って来ないだろう。1番の問題は犬だったが、それさえも彼にとっては何の心配もなかった。彼には動物を魅了する魔性があった。
彼はさっと暗がりに飛び下りると屋敷に向かって駆け出す。
その気配を察して犬が尻尾を振って近づいて来る。
「しっ! 遊んであげたいけど、今はだめ」
と言うと、彼はポケットの中からジャーキーを出し、犬達に与えた。犬達は夢中になってそれを食べ、眠りについた。
「ごめんね。しばらく眠っていて……」
それから彼は建物の外壁に沿って登り、小さな出窓の淵に立った。そこには見事な観葉植物と花の鉢植えが飾られていたが、よく見ればそれはすべて造花だった。
(ふん。どこまで偽物が好きなんだ)
ルビーはその鉢植えを音がしないようにそっと浮かせて下に下すと居場所を確保した。
そこはランビリエの書斎だった。中に人がいる様子はない。が、窓を開ければたちまちセンサーで警報が鳴り響く。そんな仕掛けになっていた。ルビーは部屋の中を観察する。
(ギルが言っていたセンサーに通じてる回線ってどれだろう?)
幾つかある線を目で追って彼は首を傾げた。
――回線を切断したら40秒で片付けろ。でないと警備員が来る
(そんなこと言ったってよくわかんないや)
ルビーは思い切ってすべてのラインを切断することにした。
(どれか当たってると思うの)
彼は窓の外から念を集中した。そして、念動を使って、ロックを外し窓が開くのと同時に部屋へと飛び込み、回線の束を捻じ切った。確かにその中のどれかが正解だったらしく、非常ベルは鳴らなかった。しかし、電気系統のラインも切断してしまったらしく、額の後ろにあった隠し扉のあるスイッチが作動しない。
(どうしよう?)
時間がなかった。彼は数歩後ろに下がると自らの体に念を集め、そのまま本棚に突っ込んだ。隠し扉はその壁の向こうにある。頑丈な本棚は微塵に崩れ、本が飛び散り、壁ごと崩れると地下への通路が開けた。
「よかった。これだ」
ルビーはそこから地下へ通じる階段を駆け降りると、厚い扉を蹴破ってその部屋へ辿り着いた。そこには確かに金庫があった。それはおよそ彼の身長ほどもある頑丈で重そうな金庫だった。他にそれらしき物は見当たらないのでそれに間違いない。しかし、中を確かめている時間はない。彼は何とかそれを持ち上げようとした。が、尋常な力では持ち上がらない。
「やっぱり中身だけもらった方がよさそうだ」
ルビーは再び念を集中しロックを外そうとした。が、装甲並みに厚い金属だ。力だけでは切断することは出来なかった。彼はそっと耳を近づけてダイヤルを回す。慎重に素早く噛み合わせの音を探る。カチカチという僅かな音を手掛かりに組み合わせを確かめる。
「合った」
1枚目。そして、2枚目の皿が噛み合った。
しかし、靴音、そして非常ベルが響いた。
タイムリミット。
「くそっ! もう少しなのに……」
彼は最後の盤を合わせることを諦め、もう一度念の力で扉の隙間を狙い撃ちした。すると、最後の盤が断ち切られ、ついに金庫の扉が開いた。
「やった」
彼は持って来た鞄に金庫の中身を詰め込んだ。そこには現金や金塊や書類にディスク、宝石など、ランビリエにとっての宝が詰まっていた。が、それらを選り分けている余裕はない。手当たり次第に大きな鞄の口に投げ込んだ。そして、紙やディスクなど重要そうな物はすべて収納し、彼は鞄のファスナーを閉めた。
と、そこへ警備員が駆けつけ、ライトを当てた。と同時にルビーは扉の内に残っていた宝石類を投げつけた。宝石は弾丸と化し、彼らのライトを破壊する。そして、ルビーは更に金庫の中から札束を掴むと鞄を持って男達の頭上を飛び越え、階段を駆け上がった。
「待てっ!」
警備員が追う。上に出ると他にも何人か駆けつけて来ている。彼らは銃を構えていた。その彼らの眼前に札束を放る。札はばらけて男達の前に散らばった。
「な、何だ?」
「金だ」
彼らが一瞬気を取られた隙にルビーは窓から飛び降りた。
「逃がすな!」
「撃て!」
庭にいた警備員も集まって来る。鞄は思ったより重かった。ルビーは懸命に走ったが、多勢に無勢、追い詰められた。が、その時、頭上からヘリコプターのローター音が響いて来た。そして、空からの銃撃。数人の警備員が転がった。そして、そこにロープが降りて来る。ルビーはそれを掴むとするすると登って行った。
「くそっ! 逃がすな!」
残った警備員達がしきりに発砲したが、ヘリコプターはそれを嘲笑うかのように次第に彼らの頭上から遠ざかって行った。
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