風のローレライ


第4楽章 風の落葉

3 狩り


その日の帰り道、わたしはマー坊の家に寄った。
そして、仏壇に線香を供えた。
「ばあちゃん、おまえのこと、えらくかわいがってたから、きっと喜んでるよ」
「うん」
マー坊は冷たい麦茶とゼリーをくれた。
おばあさんがいない。それだけで部屋が広く感じた。

「実は、おれ、転校するんだ」
麦茶を飲み終えた時、マー坊が、ぽつんと言った。
「えっ? どうして?」
「父ちゃんの所に行くんだよ。おれはあまり気が進まないんだけどさ。プリドラの連中と別れたくないし、募金のことも気になるから……」
「募金のことなら心配しないで。わたし達だけでも何とかやれるし……」

「悪いな。おれ、向こうに行っても周りに呼び掛けてみるよ」
「ありがと」
わたしはそう言ったけど、何だかさみしいと思った。
「この家もなくなっちゃうの?」
「ああ。いずれはな。でも、今はまだ、このままにしておくつもりなんだ」
マー坊は空っぽになったわたしのコップに麦茶を注ぐ。

「ばあちゃんの思い出が詰まった家だし、1年は魂が残ってるって言うからな。向こうへ行っても、ちょくちょくこっちにも来るつもりだから……」
「そうか。じゃあ、こっちに来た時には声掛けてね」
「ああ……」
何だか彼、急に大人っぽくなったように見えた。リッキーのこと、必死に止めてたあの時にもそう思ったのだけれど……。

――ばあちゃんだってまだ生きれたさ! あんな連中にだまされたりしなけりゃな!

あれはどういう意味だったんだろう? わたしはそれをきいて見た。
「ああ。父ちゃんと遺品の整理してたら、この土地の売買契約書が見つかってさ。書類は記入済みで、あとはばあちゃんの実印を押すだけになってたんだ。けど、おれも父ちゃんもそんな話は知らなくて……。近所の人にきいたら、最近、よく中年の女が出入りしてて、何か脅されてるみたいだったって……」
「脅されてる?」
「あ、いや、はっきりとはわからないんだけどさ、あの日もその車が停まってて……。ばあちゃんが死んだのはその直後だって聞いたから……」

「じゃあ、やっぱり脅されてたんだよ! そいつらを捕まえることはできないの?」
困ったように、彼は顔を背けた。
「でも、証拠はないんだ」
「その契約書って、ほんとにおばあさんが書いたものなの? 無理に書かされたんじゃないの? だとしたら……」
「いや、もういいんだよ。そんなことしたって、ばあちゃんが生き返るわけじゃないし、それに……」
車が停まってたって……。そういえば、前にもここに来てるのを見た。そうか。あのバカ親ならやりかねない。もしかして、マー坊はそれを知って……。

「ごめんね」
わたしは言った。
「何でおまえがあやまるんだよ?」
「だって……」
線香の煙は消えて、そのにおいだけが畳に染みついていた。おばあさんの写真は、少し心配そうに、わたし達を見下ろしている。
「どっちにしても、歌の録音が終わるまではこっちにいるから……」
「うん」
複雑な気分をかかえながら、わたしはマー坊の家を出た。


それからまた、募金箱を持って駅前に立った。
でも、お金を入れてくれる人はほとんどなかった。
遅くまでがんばったけど、大した額は集まらなかった。

「アキラ! ビッグニュース!」
今井がバイクでやって来て、にこにこと札びらを見せた。ざっと見ても50万円くらいありそうだ。
「どうしたの? こんなに……」
「いい狩り場を見付けたんだ」
「狩り場?」
「カモがごろごろ転がってんのさ」
「カモって……。でも、それってまずくない?」
「平気平気。誰も訴えたりしねえよ。何しろ、競馬で儲けた金だからさ。そいつをスイと横取りしちまうってわけ。どうせ、奴らにしたって遊びで当てたあぶく銭なんだ。盗られたところで文句も言えないってわけさ」
「でも……」

「バレやしねえよ。それに奴ら、大当たりして有頂天になってんだ。大盤振る舞いして、酒入ってるし、記憶なんかあいまいになっちまう。な? すげえだろ? この分なら、あっと言う間に目標に到達するぜ」
「確かに……。そうかもしれないね」
わたしは渡されたお金を数えながらうなずく。
「おれ、生まれて初めていいことしたって感じ。この金で、病気の女の子の命が救えると思ったら、俄然やる気出ちまってさ。仲間達にも声掛けてるからさ、レースは明日まで開催されてる。おまえも来ないか?」
わたしは迷った。お金は欲しい。でも、これは盗みだ。

――どうせ、遊びで儲けたあぶく銭

そんなら、最初っからないも同じ。それに、そいつらの手に渡ったって、どうせお酒とか女とか、ろくなことに使わない。だったら、早苗ちゃんの命を救うのに役立てた方が絶対いいに決まってる。
「そうだね。行くよ」
「そんじゃあ、明日の4時にここで待ってる」


次の日。わたしは今井のバイクに乗って目的地に向かった。
しばらく行くと仲間が2人加わった。
大男の浜田(はまだ)と細身で髪を赤く染めてる明彦(あきひこ)って奴。

「へえ。今井の彼女にしてはかわいい子じゃん」
バイクを並べて走らせながら、明彦が言った。
「べ、別に彼女じゃねえよ」
今井が言い訳する。
「そうだよ! ただの友達!」
わたしも言った。

「おれ、知ってるぜ。彼女、平河と付き合ってんだろ?」
浜田があとから追い上げて来て言った。
「別に付き合ってなんかいないよ。平河もただの友達」
わたしは言った。
「何でそんなこと言うの?」
「こないだ、あいつのバイクに乗ってるの見たからさ」
「ふうん。そうなんだ」
平河か……。あいつにばれたら、きっと怒るだろうな。

「平河はいい奴さ。付き合うならあっちだろ?」
浜田が言う。
「それってひどくねえ?」
今井はむくれたけど、明彦も浜田に加勢した。
「こいつ臆病だからな。いざって時、彼女見捨てて逃げるんじゃねえ?」
「てめえら! ぶっ飛ばすぞ!」
今井は怒ってエンジンを吹かした。
「わりい。でも、そろそろ着くぜ!」

道路には人や車の数が増え、にぎやかなアナウンスも聞こえて来た。
「駐車場の向こうへ回り込もう!」
浜田が言うとわたし達はそちらへ向かった。

レースが終わり、人がばらばらと出て来た。多くの人は無言で歩き、負けた連中は悔しまぎれにわめいたり、はずれた券をまき散らしたりしてたけど、勝った奴はその表情と態度から、すぐに見分けがついた。
わたし達は、そんな奴に目を付けて、お金をいただくことにした。

「よし! あいつにしようぜ」
浜田が目で合図した。
それは中年の細身の男で酔っぱらっていた。黒い鞄を大事そうに持って、周囲を見たり、何度も鞄を気にしたりしている。お金はきっとあの鞄の中だ。
浜田がそいつにわざとぶつかり、気をそらした瞬間に、明彦がそれを奪って走る。
わたし達は、その先にいて鞄を受け取り、バイクでとんずらする。そんな計画だった。
「なあに、ちょろいもんよ」
浜田がウインクする。
「大丈夫。これまでだって、この方法で何度も成功したんだ」
今井が言った。
わたしはうなずいたけど、何だか胸の奥がざわついた。でも……。ここまで来たらやるっきゃない。

浜田がターゲットに向けて走り出した。
あと少しで接触する。と思った時、浜田とは反対側からかけて来た男がターゲットを突き飛ばして鞄を奪った。
「泥棒!」
男が叫んだ。

「待て!」
浜田と明彦が、そいつを追って走った。
それから、2人掛かりでその男を押し倒すと、鞄を奪い返した。

「あ、ありがとうございます」
ターゲットの男が走って近づいて来た。が、彼は明彦達が泥棒を捕まえてくれたと思って少し足をゆるめた。
その時、今度は鞄を持った明彦が走り出し、わたしにそれを放った。わたし達は全速力で逃げ、浜田達もそれぞれの方向に停めてあったバイクで逃走した。残されたターゲットは呆然としている。でも、その時には、もともと鞄を奪った男もすでに逃げ去っていた。

「な? うまく行ったろ?」
今井が言った。
「うん」
確かに、アクシデントはあったけど、簡単に奪えた。でも……。風の中に嘶きのような声が木霊している。あれって馬の声? それとも、わたし達をなじる風の戒め?
でも、そんなのはどっちでもいい。


レース場から離れた河原まで行くと、わたし達は鞄の中を確かめた。270万円入っていた。
「すげえ!」
今井が口笛を吹く。
「こっちも上々だぜ!」
明彦達も、逃げる途中で引ったくった金を見せて笑う。

「今日の収穫は全部で396万か。よし! じゃあ、約束通り、分け前は1人10万な。残りは寄付する。それでいいな?」
今井が、浜田と明彦に10万ずつ渡す。
「ほら、おまえにも」
今井は、わたしにも10万くれた。

「わたしはいいよ。みんな寄付する」
「でも、せっかく危ない橋渡ったんだ。これくらいもらったって悪くねえだろ?」
「いいよ。少しでも早く早苗ちゃんによくなって欲しいから……」
「そうか。じゃ、金はおまえに渡しとくから……」
今井がくれたお金はずしりと重かった。こんな大金持ったことがないから、何だか恐ろしい気がした。
「でも、こんなお金を先生に持って行ったら、怪しまれないかな?」
「匿名で寄付したら? 口座とかあんだろ?」
明彦が言った。

「そうだね」
わたしは、ポケットから募金の趣旨が書かれたプリントを出した。下の方に口座番号がある。
「これなら、コンビニでやれるよ」
浜田が言った。
「じゃあ、帰りにやってみる」

その時。バイクの集団がこちらに向かって近づいて来た。
「何だ? たった3人か? 俺らの縄張り荒らしてた兵ってのはよ」
十数台のバイクの連中を従えた坊主頭の男が言った。
「おい、やべえよ。奴ら、大蛇神の連中だ」
今井がささやく。
「何なの? そいつら」
わたしはきいた。でも、今井は完全にびびって青い顔をしている。

「おれ達が引き付ける。その間におまえは彼女を連れて逃げろ!」
明彦が言った。
「行け!」
浜田も言った。そして、彼らはバイクのエンジンを吹かして、「大蛇神」の前につっこんで行った。今井はそのすきに彼らとは逆方向につっ走る。でも、相手もそんな動きは読んでいた。3台のバイクが左右から追って来て完全にはさまれた。しかも、わたし達を追いこして行った1台が、くるりと向きを変えて前方をふさぐ。だめだ。かこまれた。

振り向くと、浜田と明彦も苦戦していた。
一人が浜田のバイクに自分のバイクをぶつけて転倒させた。明彦も3人にかこまれ、バイクから引きずり降ろされた。
「止めて! 2人が……!」
でも、わたしが叫ぶより早く、今井はバイクから引きずり落とされた。そして、あわてて飛び下りようとしたわたしを「大蛇神」の1人が抱え下ろした。

「何すんの? 放して!」
「何だ? まだ、ほんのネンネちゃんじゃないか。いけないね。こんな悪いお兄ちゃん達と遊んでたら……」
そいつの顔がぬっと近づく。
「うるさい! だまれ! あんたなんかキライ! 放して!」
わたしは、そいつの顔をたたいたり、引っかいたりしてやった。でも、男は平気な顔でにやにやしている。

「へへ。ガキはおれの趣味じゃねえけど、戦利品としてもらっとくか」
そんなこと言いながら強引に抑え付けて来る。
「へえ。いっちょまえに胸もずいぶんふくらんでるな」
そいつの指がブラウスのボタンに掛かる。

「やめろ!」
わたしは闇の風の力を使った。渦巻く風が、そいつの足をすくって転ばせた。わたしは急いでそいつの腕から逃れた。
見ると、今井は2人から殴られて鼻血を出していたし、少し離れた場所で乱闘になっていた浜田と明彦も、集団で殴られたりけられたりしている。
「卑怯者!」
わたしは叫んだ。
「大勢でよってたかって暴力振るうなんて恥ずかしくないの?」

「何だと?」
リーダーの男が言った。
「おいおい、勘違いしてもらっちゃ困るぜ。最初に俺らの縄張りを荒らしてたのは、おまえらなんだぜ!」
「だからって、集団でこんなひどいことするなんて!」
「ひどい? てめえらだって盗みやってたんだろうが! どの面こいてそんな正義感ぶったこと言ってるんだ?」
坊主頭がわめく。

「こっちにはちゃんと大義名分があるんだ」
明彦が言った。
「そうだ! おれ達にはちゃんとした目的がある。不治の病で死にかけている少女を助けるっていう崇高な目的がな!」
今井も言った。
「何だ? そりゃ……」
けげんそうなリーダーに、わたしは持っていたプリントをつきつけた。

「このちらしを見て!」
でも、そいつは相手にしなかった。
「ははん。そいで、すっかり正義の味方にでもなったつもりで、俺達の狩り場を荒らしてたって言うのか?」
「この辺りにゃカモなんかごろごろいるんだから、少しくらいもらったって問題ねえだろ?」
浜田が言う。

「ふざけるな!」
大邪神のリーダーは、プリントをぐしゃぐしゃと丸めて言った。
「そんなことで済ませられるか!」
「そうだそうだ! 矢崎さん、やっちまいましょう」
他の連中も、リーダーの言葉に感化されていきり立つ。

「もうっ! このわからずや!」
わたしはついに耐え切れなくなって風を放った。そこにいた誰も彼もが風に飛ばされ、人もバイクもばらばらにぶつかって落ちた。かわいそうだけど、今井達もそれに巻き込まれた。だって、わたしにはまだ、コントロールなんて出来ないんだもん。
飛ばされた連中は何が起きたのかわからずに呆然としていた。でも、それはこっちだって同じ。身体が熱く、集められた風が震え、力に満ちて、闇が暴走したがっている。
まるで、吹き荒れる台風の中にいるみたいだ。力を使ったわたしでさえ、立っているのがやっとだった。

「どう? これでわかったでしょう? あんた達なんて風の力にはかなわないんだよ」
けど、これをやったのがわたしだってこと、わからない奴がいた。
「風の力だと? ふざけるな!」
矢崎はこぶしを振り上げて向かって来た。でも、風の力には及ばない。小さな竜巻を起こしてきりきり舞いさせてやった。他にも何人か来たけど、かまわず吹き飛ばした。

「そ、そんな……!」
全員が大人しくなったところで、わたしはあらためて宣言した。
「今日からは、わたしがおまえ達を仕切る。あんた達はただ遊ぶための金を手に入れるんじゃなく、病気の女の子を助けるために、お金をかせぐんだよ!」


話してみると、矢崎は筋の通った男だった。
わたし達の実力も買ってくれた。
そして、早苗ちゃんのために募金を集めるという趣旨にも同意して、今日の上がりから300万寄付してくれた。すごい。この調子なら、1億だって遠くないかも……。

「大蛇神」は、この辺りではかなり大きなグループで、「FINAL GOD」も、その下部組織の一つだったのだと初めて知った。
そして、帰りは、矢崎のバイクに乗ることになった。
「アキラは、俺達の戦女神だからな」
そう言って大事にしてくれた。そんな風に言われるのは、何だかくすぐったい感じ。
「おまえがいりゃ、怖いものなしだからな!」
そう。わたし達は利害が一致したのだ。

それから、彼らと連れ立って、何度も「狩り」に出掛けた。
お金がおもしろいように集まった。これならあっと言う間に目標額になっちゃうかも……。

期末試験の成績はさんざんだったけど、気にしない。
あとは夏休み。そしたら、時間もいっぱいあるし、今まで以上にじゃんじゃんかせげる。


「桑原さん、ちょっと話があるんだけど、放課後、指導室に来てくれないかな?」
夏休みに入る2日前。突然、武本先生に呼び出された。
「指導室って……」
わたしが体をこわばらせたのを見て、先生は笑って言った。
「心配なら、ドアは開けておくよ。聴きたいのは募金のことだから……」

放課後、指導室に行くと、窓も開け放たれて風が自由に出入りしていた。
「このところ、寄付金の口座にまとまったお金がよく振り込まれるのだけれど、心当たりはないかな?」
先生が訊いた。
「いいえ」
わたしは、なるべく余分なことは言わないようにした。

「あちこちでちらし配ったから、誰かが賛同してくれたんじゃないんですか?」
「だといいんだけど……。どれも架空の団体名や個人名になってるんだ」
「架空?」
一度にたくさんは振り込めないから、怪しまれないように分散して振り込んだのに……。

「君が暴走族のバイクに乗っていたという目撃者もいるんだけどね」
テーブルの上には何もない。窓の向こうからはセミの声だけが響いている。
「先生は、わたしのこと疑ってるんですか?」
強い口調でわたしは言った。

「いや。信じているよ。君はそんなことをする子ではないと……。でも、人間、魔が差すということもあるからね」
きっと先生はあのことを知ってるんだ。でも……。まさか、闇の風を使って、心が読めるなんてことはないよね。
「これから長い夏休みに入るし、先生は心配なんだ」
「夏休みには、プリドラのみんなと歌の練習をすることになっていて、それをCDにして早苗ちゃんのための募金にしようって話してるんです」
「そうか。だったら、いいんだけど……。もし何かあったら、必ず僕に相談するんだよ」
そう言って先生は席を立った。あっさり帰してくれるつもりらしい。でも、わたしはもう、この人のことは信用しない。わたしは軽く頭を下げると、さっさと学校を出た。今日も矢崎達と約束がある。


交差点のところで平河と会った。
「乗ってかないか?」
彼は、わたしの脇にバイクを止めて言った。
「悪いけど、今日は先約があるの」
すると、平河はわたしをじっと見つめて言った。

「矢崎とか?」
いきなりきかれて困ったけど、わたしはうなずいた。
「おまえ、そんなことやってると、いつかパクられるぞ」
「平気だよ。わたしには風の力があるもん」
「力……」
平河は口を開きかけたけど、すぐに視線を落として籠の中のヘルメットを見た。それは、前にわたしのために買ってくれたあのヘルメットだ。そして言った。

「力におぼれれば、いつかその泥沼に引きずり込まれて這い上がれなくなる。そうなってもいいのか?」
「いいわけないでしょ? でも、今はそうしたいの! だって、時間がないんだよ。早苗ちゃんにとっては……。だから、わたしは自分が出来ることをする。それだけだよ」
「でも、矢崎達はそう思ってないんじゃないかな? おまえがいれば無敵だと思ってる。そんな連中に関わってるとおまえ、破滅するぞ!」
「大げさだよ。早苗ちゃんの手術が無事に終わったら、こんなことやめるし、矢崎達も説得する。それでいいでしょう?」

「そう簡単に行くんならな」
「行くよ! 大丈夫。わたしがそうするって言ってんだから……」
「アキラ……」
わかってる。でも、いまさら元にはもどれない。だから前に進む。
信号が変わり、わたしは横断歩道を渡った。


夏休みに入っても、わたしは矢崎達と狩りを続けた。
振り込む金額はどんどん上がって行く。ああ。快感だ。もう止められない。大人ってバカだ。こんなに簡単にバクチにおぼれ、かせいだ金を奪われて、慌ててる。惨めだ。そんなことでしか人生の楽しみがないなんて……。でも、そのおかげでわたし達は助かってるのだけれど……。

そして、8月半ば。CDもついに明日録音するってとこまでこぎつけた。何もかもが順調だった。そんな時。
「警察だ!」
いつもの狩りをした直後、誰かが叫んだ。
「散れ!」
矢崎が叫ぶ。パトカーが2台、わたし達を追って来た。このままじゃ捕まる。わたしはバイクの荷台から闇の風を呼ぼうとした。

「やめておけ!」
明彦のバイクが近づいて来て言った。
「何で?」
「警察にその力を使うとまずい。それに、顔を見られてるし、ナンバーもチェックされてる」
「じゃあ、どうしろって言うの?」
「素直に投降するんだ。その方がいい」
だけど、そしたら捕まっちゃうよ。そんなことを思っているうちにパトカーに追いつかれた。
「そこのバイク、止まりなさい!」
マイクで叫んでいる。

「どうするの?」
わたしはきいた。
「明彦の言う通りだ。投降しよう」
矢崎が言った。
「おまえは初犯だ。素直に反省した態度を見せればすぐに帰してもらえるさ。あとは身元引受人が来て釈放される」
「身元引受人って?」
それって親のことじゃないの? わたしはひどく不安だった。でも、矢崎はバイクを止めて、警察の指示に従った。


明彦とわたしは同じパトカーに乗せられた。
「風見、またおまえか? お父さんは立派なお医者さんだというのに、何がそんなに不満なんだ?」
「風見って……。もしかしてあの産婦人科の?」
わたしは何とはなしにつぶやいた。
「違う。あれはおじさん」
明彦がぼそりと言う。ってことは一族みんなお医者さんなんだ。

「このままじゃ、せっかく入った高校も退学になってしまうぞ」
警察官が言った。
「構いませんよ、あんな学校、いつやめたっていいんだ」
「馬鹿言うな。望んだってなかなか入れないエリート校じゃないか、藤ノ花なんて……」
「えっ? 明彦って藤ノ花高校だったの?」
わたしは驚いてきいた。だったらききたいことがある。育美さんのこととか……。
「名門だって? ふざけんなよ。あんなろくでもない学校……」
吐き捨てるように言う明彦の横顔をわたしは見ていた。やっぱり何かあるんだ。あの学校には……。わたしはもっといろいろなことをききたかったけど、警察官がいたし、それきり明彦は何も言わなかったので、わたしも口をつぐんでいた。


警察に着くと、わたし達は別々にされ、わたしは婦人警官に案内されて小さな部屋に通された。そこには机とパイプ椅子が3つあるきりだった。そして、彼女は向かいの椅子に座った。そして、もう一人、男の人がメモを取る係りらしい。

名前や住所、親のこととかもきかれた。それから、仲間のことや、具体的に何をしたとか、細かく質問された。明彦に言われた通り、今日やったことだけを正直に話した。そして、その前のことは知らないと答えた。疑われることはなかった。そうして、一通り質問が終わると二人の警察官は部屋を出て行った。

そのうち、迎えの人が来るから、と警察官は言った。じゃあ、やっぱりあのバカ親が呼ばれるの? こんなことなら、あの時、風の力を使って逃げればよかったんだ。明彦はどうしてそれを止めたんだろう。どっちにしても、このままじゃ帰してもらえない。

親に会うのはいやだった。でも、もしかしたら、メッシュの家の人が呼ばれちゃうのかな? そしたら、おばさんにすごい迷惑かかっちゃう。いっぱいやさしくしてもらったのに、きっと呆れられる。っていうか、多分追い出される。そしたら、どこへ行けばいいんだろう。わたしは不安でいっぱいだった。


それからどれくらいの時間が過ぎたのだろう。
警察官が入って来て言った。
「身元引受人が来たから今日のところは返りなさい」

あのバカ親が来たんだろうか? いやだ。帰りたくないよ。またあの家に連れ戻されるなんて……。こんな厄介を掛けて、警察沙汰を起こして、きっとすごく怒ってる。帰ったらすごく殴られる。もしかしたら、本当に殺されちゃうかも……。いやだ。そんなことになるなら、ここにいた方がましだ。お願い。わたしを帰したりしないで……!

でも、ドアはどんどん遠ざかって行った。そして、絶望が近づいて来る。怖い。足がすくんだ。
「ほら、こっちだよ」
腕を掴まれて角を曲がる。でも、そこで待っていたのは親じゃなかった。

「武本先生……」
「ご両親は拘留中なのでね、親戚もいないようだし、取り合えず学校に連絡して、担任の先生に来てもらったんだ」
「拘留中?」
どういうこと? でも、それについては誰も説明してくれなかった。

先生は警察の人に深く頭を下げて言った。
「この度は、うちの生徒が大変なご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。私からもよく注意を致しますので、ぜひ穏便にお願いします」
「まあ、この子はバイクの後ろに乗っていただけだし、初めてだと言うのでね、夏休みで少し気が緩んでいたのでしょう。反省もしているようなので、今日のところはこのままお帰し致します」
「ありがとうございます」
そう言うと、先生はもう一度頭を下げるとわたしに言った。

「行こうか?」
そうして、わたしの手を取ると警察署を出た。

まさか、先生が来るなんて思わなかった。親じゃないけど最悪だ。わたしは、よっぽど警察で言ってやろうかとふつふつとした思いにかられていた。
「この人は犯罪者です」
学校で、風の力を使って抑えつけ、わたしの服を脱がしました。そしてむりやりキスして……それで……。
でも、わたしはだまっていた。そんなことを言っても誰が信じるだろう。それに……。

警察を出てからずっと、先生は何も言わなかった。わたしの手を握ったまま、黙々と歩いている。握った手の温もりはなかった。まるで蝋人形みたいに白い。そして、それは軽く触れているだけ……。拒めば簡単に振り切れるだろう。でも、わたしはそうしなかった。また、あの風の力を使われるのが怖かった。

それにしても、いったいどこに連れて行くつもりなんだろう。車に押し込められたら、もう逃げられない。
でも、先生は駐車場を通りこして、道路に出た。夜の住宅街はしんとしていた。誰も道を通らない。先生と二人きり……。どこまでも靴音が響いている。

「ここで、少し待ってて」
先生はそう言うと道端に生えていた草花の上に落ちていたビニール袋をどかすと倒れ掛けていたその茎を戻している。白い花が開き掛けていた。
「何なんですか?」
わたしがきくと、先生は静かな声で答えた。
「月見草だよ。かわいそうに、茎が折れ掛けていたんだ」
そう言うとまたわたしの手を取って歩き始める。

「人知れず、夜だけに咲く花……」
月の光に照らされてぽつりと言う。
「僕が一番好きな花だ」
そう言う先生の顔は白く見えた。もしかしたら、わたしの顔もそんな風に見えたかもしれない。


気づくと、わたし達はメッシュの家のマンションの前に来ていた。
「あの、先生……」
「心配はいらない。彼らに今日のことを知らせてはいない」
夜中だというのに、街灯にとまったセミが鳴いている。
この人には、怖いことされて憎んでいたはずなのに、どうして……。
美術の成績は3だった。誰に対してもひいきはしない理想の先生。

「それじゃ」
と、先生は言った。

――僕の彫刻のモデルになってよ

彫刻……。白い石で出来た。この人の方こそ、彫刻で出来ているのかもしれない。
「……すみませんでした」
わたしはそう言って頭を下げた。でも、先生は微笑しただけで、何も言わなかった。背後で消防車のサイレンが響いている。

――僕が一番好きな花

高いマンションに囲まれた一画。
長く伸びた影の先で、白い月見草が揺れていた。
その花言葉は……。無言の愛情だってことを、あとで知った。