「星空チャンネル」2018年クリスマス特別編
星砂のシャドーライン
おじちゃんがサンタクロース
広いリビングには大きなクリスマスツリーが飾られていた。知香はそこに吊るされたリンゴの数を数えていた。
「One,two,three...eight」
そう声に出して、ノートに書いた。
「There are eight apple...あれ? appleには、sを付けるんだっけ? わかんないや。どうしよう。ジョンはまだお仕事だし、リンダはまだ出掛けたきり帰って来ないし……」
少女はブラウスにカーディガンを掛け、短いスカートといった格好をしていたが、寒さは感じなかった。
「あたたかい……」
知香は温風が吹き出して来る口にそっと手を当てて見た。
――クリスマスには何が欲しい?
昨夜、そうジョンに訊かれた。
確かに街では12月になると、店にクリスマスツリーが飾られたり、音楽もそれまでとは違った雰囲気の物が聞こえて来たり、大人達は皆、どこか浮き足立っていた。去年までは親の店の手伝いで、いつもの月よりずっとくたくたになるまで働かされた。無論、小さな知香には客の酒の相手は出来なかった。が、その代わり、キッチンで山ほど出る洗い物をしなければならなかった。不足した物を深夜のコンビニに買いに走る事もあったし、掃除もゴミ捨てもその他の家事もみんなやらされた。冬は嫌いだった。寒くて身体が凍えるし、手のあかぎれが酷くなる。
知香はそっと自分の手を見つめた。今年はまだ、白いままのきれいな手をしていた。この家には自動食器洗い機もあるし、自動掃除機も備えられていた。それどころか、家の仕事を手伝う家政婦や知香の勉強を見てくれる専門の家庭教師までいる。
「夢みたいだ」
知香は鏡に映った自分をしみじみと見つめて言った。
「はじめにおじちゃんの所に連れてってもらえた時も思ったけど、世界には、まだ知らないことがいっぱいあるんだ」
それを早く知りたいとも思ったし、知りたくないとも思った。それを知ってしまう事が何だか恐ろしいような気もしたからだ。
――クリスマスにはサンタクロースが来て、君が望んだ物を届けてくれるよ。だから、手紙を書こう。サンタクロースに感謝を込めてね
そう言って、ジョンは綺麗な絵の付いた便箋と封筒をくれた。
「なんでサンタクロースに感謝しなきゃいけないの? 何もしてもらっていないのに……」
知香はテーブルに置かれたそれを見つめて言った。
――サンタクロースというのは俗称さ。昔、聖ニコラウスという人が貧しい者達に恵みを与えた。それが広まって良い行いをした子どもには贈り物をくれるという伝説になったんだよ
――じゃあ、サンタクロースはいないの?
――いるかもしれないし、いないかもしれない。それは知香の心次第さ
――それじゃあ、知香は信じない
――何故?
――だって、知香、ちっともいい子じゃなかったもん。きっと贈り物なんてもらえないよ
子どもが俯く。
――じゃあ、その訳を考えてみよう。どうして知香はいい子じゃなかったの?
ジョンが訊いた。
――だって、店ではいつも、洗い物がたくさんあって、手が赤くなって痛くて……。お皿を落として割っちゃったこともあったし、バケツの水を引っ繰り返して床をびちゃびちゃにしたこともあった。それに……
――それは知香のせいじゃないよ
子どもの言葉を聞いて、ジョンは寂しそうに微笑した。それから、静かに言葉を続ける。
――それに、次からは少しだけ慎重にすれば失敗しなくて済むよ
――だけど、ママはすごく怒った。みんな、すごく怒って知香をぶったよ。知香が悪いんだって……知香が悪い子だからって……すごく……
――知香は悪くない。神様は見ててくださるよ。それに、僕も見てる。リンダや良もみんな、君を見ている
子どもと視線を合わせると、ジョンはその肩を抱いた。
――おじちゃんが見てるの?
知香はくすぐったそうに目を瞑り、それから、もう一度はっきりと目を開いて彼を見つめる。
――ああ、そうだよ。知香はちっとも悪くないって、ここではみんな知っているんだ
――悪くないの?
――そうだよ。だから、願ってもいいんだ
――わかった。それじゃ、考えてみるね
「だけど、わかんない。何が欲しいのかって言われても……。ここにはもう、何だってあるんだもん。そうだよ。服も本も人形も、本当に何だってある。おじちゃん以外のものは何だって……」
壁には贈られて来たクリスマスカードが張られていた。ほとんどがジョンやリンダ宛てだったが、1枚だけ知香に宛てられた物があった。ロバートからのものだ。
「くまちゃん……」
テディーベアとクリスマスツリーの絵が付いたカードには、大きな文字で「Merry Christmas!」と書かれていた。
「メリークリスマス……」
知香は、それを声に出して読んでみた。クリスマスおめでとうという意味だとリンダが教えてくれた。しかし、添えられたコメントには、仕事でクリスマスには行けないのでプレゼントを贈ると書いてあった。それを聞くと知香はがっかりした。冴木の他に知っているのはロバートだけだったからだ。そのロバートが来られないとなると、パーティーといってもどこか寂しい。しかし、本来、クリスマスは家族で祝うものなのだとリンダが教えてくれた。
「家族……」
知香はあとずさった。
「それじゃ、ママ達が来るの? いやだよ! 怖い! 会ったら、きっとまた知香をぶつもん。掃除をさぼったって、食器を洗わなかったって、きっとぶつもん」
「彼らは来ないよ」
ジョンが言った。
「ほんとに?」
「ああ。もう、知香を叩いたり、怒ったりする者はいない。だから、安心して、ここにいていいんだ」
「じゃあ、おじちゃんは? 冴木のおじちゃんは来る?」
「いや。彼はこの時期、とても忙しいからね」
「そう」
知香は俯いた。
(忙しいなんて嘘だ。おじちゃんは知香を捨てたんだ)
――私は子どもは嫌いです
(捨てたんだ)
(何だってするって言ったのに……。絶対に迷惑かけないって誓ったのに……。どうして? おじちゃんは知香が嫌いなの?)
リンダがクリスマスケーキはどんな物にするかと訊いた。
「生クリーム? それともチョコレート? そうじゃなかったらアイスケーキとか……」
「そんなの何だっていいよ」
「あら、ケーキは嫌い?」
「そんなの食べたことないもん。味なんか知らない」
「そうなの? じゃあ、全部食べてみる?」
リンダは笑って、カラフルなケーキの写真を見せてくれた。が、知香は選ぶ事が出来なかった。
「いらないよ。ケーキなんか……。なんでケーキ食べるの?」
「お祝いよ、12月25日はイエス・キリストの誕生日なの」
「キリスト?」
「神の神子としてお生まれになったの。神様とわたし達、人間との間の取り次ぎをしてくださるの。その事は今度教会に行った時、神父様がお話してくれるわ」
「どうでもいいよ。そんなの。だって、知香はキリストって人のこと、何も知らないもん。どうして、知らない人の誕生日をお祝いしなくちゃならないの?」
「言ったでしょう? 彼は神と人間との間をつなぐ者。人間が犯した罪を背負い、贖うために処刑されたの。そして、神様はわたし達の罪をお許しになった。つまり、人間にとっての救世主なのよ」
「わかんない!」
「すぐにわからなくてもいいのよ。わたしだってまだ、全部わかっている訳じゃないんだから……」
そう言うと、彼女は軽くため息をついた。
「リンダも?」
「そうよ」
彼女はやさしかったが、知香は益々混乱した。
(じゃあ、なんでお祝いするんだろう)
カレンダーの日付が変わって行く度、クリスマスツリーの下にプレゼントの箱が増えていった。
「これは、みんな知香のよ。でも、当日までは開けちゃだめよ」
リンダが言った。
「うん。だれだか知らない人の誕生日だもん。知香、開けたりしない」
そして、25日。パーティーの支度は調っていた。三つのケーキ。ターキーの丸焼き。果物やオードブル。シャンパンのグラスも用意した。知香はツリーの根元にあったプレゼントの箱を開けた。ドールハウスやきれいな絵の付いた本。ぬいぐるみのくま、そして、ぴかぴかのスケート靴もあった。どれも素敵な物ばかりだった。が、知香は開けているうちに、だんだん恐ろしくなった。
「これってみんな高い物なんでしょう? 本当に知香がもらっちゃっていいの? 知香、働いてないのに……」
「いいんだよ」
ジョンが言った。
「そうよ。知香ちゃんは、これからいろんな可能性が広がっていくんですもの。何でも試してみないとね。遊んでいるうちに素晴らしい才能が見つかるかもしれないでしょう?」
リンダも笑い掛ける。
「だめだよ!」
頭を振ると、知香が叫んだ。
「遊んだら叱られるもん。仕事しないと……」
「ここでは、遊ぶ事が仕事なんだ」
ジョンが言った。
「遊ぶのが仕事だなんて、そんなの変だよ」
知香には納得が行かなかった。
「こんなのって……」
キャンドルには火が灯り、大きなクリスマスツリーには星やベルが飾られ、電飾が輝いていた。着ている服にもリボンやレースの飾りが付いて、ふわふわとしたカーディガンには可愛い動物が編み込まれている。
「知香じゃないみたいだ」
温風にさらされて、子どもは落ち着かず、自分の居場所を探していた。
「さあ、そろそろパーティーを始めましょう」
リンダが言っても知香はなかなか席に付かなかった。
「だって、これ、ほんとに知香が食べてもいいの? こんなの変だよ。こんなごちそう、食べるなんて変だ。知香はキリストの事なんて知らないのに……。そんな人の誕生日、ちっともおめでたくないもん」
子どもはそう言って拒否した。
「知香……」
頑なな心はなかなか解けず、大人二人は途方に暮れた。
その時、玄関チャイムが鳴った。
ジョンがドアを開けると、そこには花束を持った冴木が立っていた。
「やあ。ジョン。遅くなって済みませんでした」
中に入ると冴木は言った。
「ハッピー バースデー! ジョン」
そして、抱えていた花束を渡す。
「ありがとう、良。覚えててくれたんですね」
ジョンがうれしそうに受け取る。
「え? ハッピー バースデーって……。今日ってジョンの誕生日だったの?」
知香も玄関に来て訊いた。
「ああ。僕も25日生まれなんだよ」
照れたようにジョンが頷く。
「なあんだ。それじゃ、お祝いしなくちゃならないのは、ジョンの方じゃない」
そう言うと知香は走ってリビングに戻った。
「さあ、乾杯しよう! ジョンのお誕生日!」
知香がジュースの入ったグラスを掲げて言った。
「ふふ。そうね。お誕生日おめでとう、ジョン」
リンダもグラスを掲げる。
「今夜は車で来たので、私も、ジュースをいただきます」
冴木も知香と同じ葡萄のジュースを注いで掲げる。
「乾杯!」
そうして、皆がケーキを食べ始めた頃、再びチャイムが鳴った。今度の客はロバートだった。
「あ! くまちゃんだ! 来てくれたの?」
真っ先に玄関に出て行った知香が喜ぶ。
「ああ。カワイイ! のちゃん。急いで来たぜ」
そう言うとひょいと知香を片腕で抱き上げる。もう片方には袋からはみ出したぬいぐるみが覗いている。
「先に贈ったくまだけじゃ寂しいと思ってな。友達のくまも連れて来てやったぜ」
「ありがとう」
知香は礼を言うと、先に送られたくまの隣にそれを並べた。
「ねえ、知ってた? 今日はジョンの誕生日なんだって」
知香が訊いた。
「ああ。こいつとは長い付き合いになるからな。ほら、ジョンにはとっておきのプレゼント持って来たんだ」
「とっておきって何?」
ジョンが訊いた。
「これさ」
差し出した堤を開けると古い本が入っていた。
「これは……古文書?」
「ああ。沖縄の古書店で見つけたんだ。おまえ、こういうの好きだろ?」
「風の民話か。すぐには解読出来ないけど、役立つかもしれないね。ありがとう」
ジョンはその本を持って奥の部屋に行った。
「おじちゃん、来てくれてありがとう」
知香が冴木に近づいて言った。
「別におまえのために来た訳ではありません」
冴木は顔を顰めたが、知香はそんな彼の前で頭を振って言った。
「それでもだよ。ジョンは、今日、サンタクロースがプレゼントくれる日だって言ったけど、知香にはぜんぜん関係ないと思ってた。キリストの誕生日なんて知らないもん。でも、今日がジョンの誕生日だったら、話は別。それなら、ちゃんとお祝いしなくちゃいけない」
「そうなんですか?」
冴木が訊いた。
「うん。ジョンはやさしくしてくれるもん。だけど、知香はジョンにあげる物、何も持ってなくて……」
少女は悲しそうな顔をした。
「そんな事はないと思いますよ」
冴木が言った。
「なんで?」
その時、丁度部屋に戻って来たジョンが静かに答えた。
「それはね、ここに君がいてくれるだけで、僕は十分うれしいと思っているからだよ。この家で小さな子どもとクリスマスを過ごすなんて事なかったから、とてもうれしい。知香がいてくれる事が、僕にとっては最高の贈り物なんだ」
「ほんとに? 知香、ここにいていいの? 産まれて来て良かったの?」
「もちろんだよ」
ジョンが笑顔で言うと、リンダやロバートもそれに頷いてみせた。
「おじちゃんも?」
冴木を見て言う。
「祝福しますよ。おまえが産まれて来た事を……」
子どもはうれしいと言った。
「おじちゃんが……」
しゃくり上げながら、子どもが続ける。
「……サンタクロースだったんだ。今、やっとわかったよ。みんなに会わせてくれて……。知香にいっぱい幸せをくれた……。もしもあの時、おじちゃんに会わなかったら、こんな風になれなかった……。おじちゃんが本物のサンタクロースだったんだ」
テーブルに灯されたキャンドルの炎が静かな時を映していた。
「幸福におなり」
冴木はそんな少女にぎこちなく笑い掛けた。
――どうしたらもっと美人になれる?
――もっと笑顔になれたら……
テーブルに置かれたサンタクロースの人形の目も笑っていた。
「おじちゃんもジョンもリンダも、それに、くまちゃん……じゃなかったロバートも、みんな、大好き!」
知香は満面の笑みを浮かべ、みんなも喜んで乾杯をした。その夜はいつまでもツリーの灯りが消えず、誰もの胸に残る楽しいパーティーになった。
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