ウーニャの恋


第1話 ある日


 「決めた!」
と叫ぶ。ウーニャはこのように突然ひとりごとを言う。
「ぼくは、決めたのだ!」
右へ左へうろちょろと這い回る彼の姿は、傾いたテーブルを転がるメロン味のグミを思わせた。丸っこくて、緑色。彼は小さな体で落ち着きなく動き回っていた。

と、やっとこ進路を決めて、ウーニャは朝日に向かって進む。
「ぼくは今日からニヒルに生きるぞ」
そう言うと彼は、そのビー玉大のまるい目を、くっと細めて自己満足に浸った。
「ふっ……とか言って笑っちゃうんだ」
そして、彼は夢想した。
「彼女はそんなぼくに恋をする。何て切ない眼差しなのって、ぼくのノーテンを撫でてくれるのだ。そしたら、ぼくは……」
ここから先は肉声ではなかった。プロポーズ。OK。そして、けっこん。色々なことが渦を巻いて、ウーニャの心を熱くした。

「けっこん!」
ただ一言、そう叫んだ。素晴らしい響きだった。早く『けっこん』なるものを手に入れたいものだ、と彼は切実にそう思った。
「東の空が眩しいぜ。ふっ」
彼が目をしばたたきながら、似合わぬことを言ったその時、重大なことを思い出した。
「そうだ、大変だ! ぼくとしたことが!」
ウーニャは飛んだり跳ねたりと大騒ぎをしてから、
「急げ急げ」
と自分を励まし、住み家である洞窟を出て行った。


 街に繰り出すと彼は目立たなかった。ブロック塀の上や、商店街の屋根など、およそネコのルートを進むからだ。
「しかし、ぼくはネコではないのだ」
また彼のひとりごとが始まった。
「ネコは毛がフサフサだけれど、ぼくはつるっぱげなのだ」
こうなると無駄な喋りは止めどない。
「ネコは尻尾があるけれど、ぼくにはないのだ。ネコはひげで危険に気づくけど、ぼくはなんとなく気づくしかないのだ」
言っているうちに何だか悲しくなってきた。隣の魚屋の屋根の上に座るネコをちらと見ると、その口元はどことなく勝ち誇っているようにも見えた。

「ネコはお魚が好きだけど、ぼくは」
ウーニャはぴょんととび下りた。まんじゅうの老舗『満天屋』のガラスケースにぺたっと貼り着くと、のこのこと這い上ってついに乗り上げた。
「ぼくはひとりの女性(ひと)が大好きなのだ。おじさん、田舎饅、下さいな」
「まいど!」
と親父がにんまり笑った。
「妖怪にも受ける『満天屋まんじゅう』とくら、大宇宙に羽ばたく日も近いね、こりゃ」
親父はそう言いながらウーニャの背中にまんじゅうの箱をくくりつけた。
「ありがと、おじさん。お代は」
「わかってらい、例の学校にツケとくよ」
ウーニャは実は懸賞で当てた五千円分の商品券を持ってきていたが、親父がそう言うのでありがたくそうさせてもらった。

 彼は妖怪ナマコネコ。迷子のはぐれ妖怪である。


 ウーニャが洞窟に帰ると、そこではギギッギギッという妙な音が響いていた。珍しいことではない。むしろウーニャはその音を聞いてご機嫌になった。
「ようし。彼女、起きてるな。この田舎まんじゅうを携えて彼女にプロポーズするぞ」
それは、彼女が愛用の鎌を研ぐ音だった。消耗の激しい鎌の刃は、常に鋭く尖らせていたい、というのが彼女のこだわりだった。

ウーニャはわざとらしく声のトーンをおとして呟いた。
「地平線が青いぜ」
彼の見つめる向こうに広がる空は、まるで馬鹿者の頭の中のように晴れていた。

洞窟の奥で鎌研ぎを続けながら、彼女は振り返らずに聞いた。
「おい、ナマコネコ、どこへ行っていた?」
「リーガさん。今日のぼくはほんとエラかったんです」
「はあ?」
「朝一番のおまんじゅう買ってきたんです」
リーガは初めて振り返った。
「何まんじゅうだ?」
「田舎まんじゅうです」
「何個入りだ?」
「8個入りです」
「何のために?」
「リーガさんにお貢ぎするために」
ふたりはしんとして見つめ合っていたが、やがてリ―ガは微かに笑った。
「おまえは良い使い魔だ」

それはリーガには珍しいほめ言葉だった。ウーニャは機嫌をさらに良くした。
「おまんじゅう、みんなあげます。だから、けっこんしてください」
彼は自分ではこの告白を、上出来だぞ、と思った。しかしリーガはだるそうに目を細め、振り向きもせずに言った。
「私に何かさせる気か」
「めっそうもない。これはぼくらと運命、命あるものの使命のお話なのです!」
「使い魔の分際で命令とはいい度胸だ」
ウーニャは少し考えると、瞬きし、言った。
「じゃ、けっこんしてあげます」
「足元から上から目線すんな!」

ウーニャとリーガにとって、ここまでは馴染みの会話だった。ところが、今日のウーニャは今朝の決心のために一味多かった。
「ふっ。照れなくていいんだぜ」
と不意にニヒルに笑ってみる。リーガの爪がウーニャを摘みあげた。
「きゃー!」
と悲鳴をあげるウーニャ。軟体だけあってグニャッとよく伸びる。
「私はな。手に入ったまんじゅうはなるべくすぐに食いたいんだ。早く食わせろ。おまえにも半分はやる。わかったか!」
ウーニャはしゅんとした。けっこんは諦めきれないが、やむをえずニヒルは諦めた。

「それで、けっこんは」
「くだらん」
「けっこん!」
「諦めな」
「無理?」
「無理!」

 こうして二人はまんじゅうでお茶をしながら、朝のひとときを過ごすことになった。ニヒルが駄目なら、次は何でいこうか。頭をそれでいっぱいにしつつ、こうしてウーニャの野望はまた明日まで延期になったのだった。

つづく