劇団ヌーボー


EPISODE W(後編)

 ――助けて

夜、ルイはベッドの中でその声を聞いた。

――助けて

それはあの人形の声だった。目に涙をいっぱいためて、酷く悲しそうな表情をしていた。
「きっと何かあったんだ」
ルイはベッドから飛び起きると、いてもたってもいられなくなり、上着を取ると外に出て行こうとした。

「ルイ、こんな遅くに何処へ行くんだい?」
ダニールが起きて来て訊いた。
「パパ、人形がぼくに助けてって言うんだ。きっとフランソワに何かあったんだよ」
「人形だって? 夢でも見たんじゃないのかい?」
「違うよ。あれは夢なんかじゃない。とにかく早く行かなきゃ、手遅れになる。そんな気がするんだよ。だから、パパ、ぼくを行かせて」
あまりに必死な息子の様子に、ダニールもそれを信じることにした。
「わかった。パパも行こう」
二人は急いで上着を着ると一緒に外へ出て行った。


 通りはしんと静まり返っていた。
「こっちだよ、パパ! 早く!」
ルイが父の手を引っ張って言う。と、その時、
「危ない!」
思わず息子を抱き寄せてダニールが叫んだ。二人の前に猛スピードで飛び出して来た車があった。フランソワの店がある小路からだ。

「まったく、何て乱暴な運転をするんだ」
ダニールが文句を言う。
「ああいう無謀な運転をする奴がいるから事故で犠牲になる者が絶えないんだ」
ダニールは憎々しげに言うと、しっかりと手帳に車のナンバーを書き留めた。あとで警察に通報してやるつもりだった。
「パパ!」
突然、ルイが悲鳴を上げた。

「燃えてる! あれはフランソワの店だ」
「何だって?」
二人は全速力で店に向かった。


 ショーウインドーの中は空っぽだった。扉の隙間から幾筋も煙が出ている。
「フランソワ!」
ルイが扉に手を掛けた。
「待て、ルイ。フラッシュオーバーが起きたら大変だ。パパが行く」
ダニールは息子を下がらせると思いきってそのドアを開けた。熱気と煙が一斉に外へ流れて来た。が、炎までは吹き出して来ない。

「変だよ、パパ、人形がみんな無くなってる!」
煙を避けて中を覗き込んだルイが叫んだ。ダニールもすかさず中に入る。部屋の奥に赤い火の手が上がっているのが見えた。そして、床に伏している黒い人影……。

「フランソワ!」
ルイがそちらへ駆け付ける。ダニールは上着を脱ぐと周辺の火を消そうと奮闘した。だが、炎は既に天井まで伸びていた。

「フランソワ……!」
「ルイ……。ごめん。人形を全部持って行かれちゃった……」
微かな声でフランソワが言った。
「全部だって? いったい誰がそんな酷いこと……」
ルイの頭にさきほど路地から飛び出して行った車のシルエットが浮かんだ。
「とっくに返した筈の借金がかさんだと言って無理やり……」
彼はそれだけ言うと激しく噎せて咳き込んだ。怪我をしたのかそこに血液が混じっている。

「パパ!」
彼が意識を失ってしまったので少年は動揺した。
「ここはもう無理だ。早く彼を外へ運ばなくちゃ……。ルイ、おまえは先に行って救急車を呼ぶんだ!」
「わかった」
ルイはすぐに言われる通りにした。近所の人達も外に出て来た。誰かが先に呼んだらしい消防車がサイレンを鳴らしてこちらへ向かっていた。

「パパが来てくれてよかったよ。でなければ、ぼく一人じゃとても彼を助けられなかったもの」
ルイは涙を浮かべ、フランソワを抱える父の逞しい腕を見つめた。

 間もなく駆け付けた緊急車両で周囲は一時騒然となった。が、幸いなことに他の家への延焼は食い止めることができた。
「それで、あなたはここから逃げ去る不審な車を目撃したそうですね」
警察官に質問されたダニールはメモしてあった車のナンバーを見せた。
「フランソワは意識を失う前に、男達に無理やり店の品を持って行かれたと言ってたんです。きっとそいつらがやったんだ」
ルイも証言した。
「強盗放火殺人未遂だな。わかりました。すぐに緊急手配しましょう。まださほど遠くへは行っていない筈だ。ご協力に感謝します」
他に怪我人もなかったのでルイもダニールもほっとしてフランソワが運ばれた病院へ向かった。


 フランソワの容態は安定していた。煙を吸いこんでいたが、怪我自体は大したことなく、発見が早かったのが幸いしたようだと医者が言った。
しかし、店の方は大半が焼け落ちてしまった。これでは店を営業することも、そこを住居
にすることもできないだろう。
「彼、これからどうするのかな?」
ルイが心配そうに言った。
「うちへ来てもらえばいいさ」
ダニールの言葉にルイはうれしそうに頷く。

「そうだね。人形がみんな持って行かれちゃったのは残念だけど、きっと彼ならまた素晴らしい人形を作り出せると思うんだ」

 翌日、犯人達が乗っていた車が民家の壁に激突し、大破したと警察から連絡があった。そして、炎上した車の中から三人の男達の焼死体が発見されたという。荷物の中に人形やドールハウスの一部が発見され、フランソワの店に押し入った犯人達に間違いないだろうということになった。
しかも、その犯人の首には、人形を操るための糸が巻き付いていたという。まるで人形が復讐したみたいだとルイは思った。


 「フランソワ、具合はどう?」
ルイとダニールが病院を訪れると、彼はベッドの上に起き上がっていた。
「ありがとうございます。大分良くなりました。医者の話だと明日にでも退院してもいいそうです」
「それはよかった」
ダニールもうれしそうに笑う。

「ところで、今日、警察からこれを返してもらったんだよ」
ルイが差し出したのはあの灰かぶり姫の人形だった。
「焼けた車の中で唯一無事だったんだって……。不思議だね。ぼくもこのお人形の声を聞いたから、あの時駆け付けることができたんだ。だから、これはあなたが持っていてよ」

「でも、それは君が欲しかったんでしょう?」
「うん。だけど、この人形はあなたに恋してるんだよ」
「恋?」
「そう。だから、フランソワの傍にいるのが一番幸せなんだ。だから、あなたに持っていて欲しい」
人形の瞳がじっとフランソワを見つめる。
「……そうだね。これは僕が持っているよ」
彼はその人形を受け取ると、本当に愛する恋人を見つめるように優しい目をした。

「ああ、それにしても、これからどうしたらいいんだろう」
フランソワが不安そうに呟く。
「それなら心配いらないさ」
ダニールが言った。
「え?」
見上げるフランソワの瞳とダニールのそれが重なる。
「退院したら私のところに来ればいい。我が劇団ヌーボーにね」
「劇団ヌーボー?」
フランソワが二人を見つめる。
「うん。ぼく達、そこで役者をやってるんだ。それで、ぼくがパパにあなたのこと推薦したんだよ。あれだけ素晴らしい演技ができるんだ。うちのどの役者と比べても見劣りしないよ」
ルイは自信満々に言った。

「でも、僕は役者じゃないし、それに見ず知らずのあなた方にそこまでお世話になる訳には……」
「ならば、契約しようじゃないか。君の力を貸して欲しいんだ」
「でも、僕は素人ですし……。人形を作ることくらいしか能がないし……」
フランソワは少し俯いて人形を見つめた。

「それで十分さ。君には当面、人形を使ってのPR担当になってもらう。次の公演の宣伝用ディスプレイとか、マスコットキャラクターの制作とかね。もちろんすべての費用は劇団が持つし、君の生活のすべても保障しよう。そして、できれば、君自身にも演技してもらいたい。ルイの話だと、君には相当の演技力がありそうだからね。もちろん、仕事に見合った分の報酬は払わせてもらうよ。いずれは君の人形劇も復活させて、また子ども達を楽しませてやってもらいたいと思っているんだがね。どうだろう?」
「本当にそれでいいんですか?」
フランソワの瞳に光が射した。

「もちろんだとも。それで、明日には早速、君を歓迎するための記者会見を行おうと思う。承知してくれるかな?」
「ええ。僕は人形が作れるならどんなことでもします」
「よし。ならば契約成立だな」
ダニールが力強く言い、彼と握手した。
「よろしくお願いします。ムッシュ ヴァリエ」
彼の瞳が漣のように煌めいた。

「よかったね、フランソワ」
「ルイもうれしそうにその手を重ねる。
「ああ、本当によかった。またおまえの仲間を作ってやれるよ」
そう言うとフランソワは大事そうに抱えていた人形に話し掛けた。すると、たちまちその人形の頬に涙が流れた。
(やっぱりあの人形は生きてるんだ)
ルイは思った。


 そうして、翌日。フランソワは退院して、劇団ヌーボーの仲間に紹介された。
「よろしくお願いします」
彼が頭を下げると皆もよろしくと言って握手を求めた。
「それじゃあ、ざっと中を案内しよう。ルイ、おまえに頼んでもいいかな?」
ダニールに言われてルイは喜んでガイドを引き受けた。

「ここが劇団の稽古場で、そっちが更衣室とシャワー。奥は多目的ホールだよ」
「へえ、広いんだね」
「うん。何しろここには年少組からベテランまで4つのグループが活動していて、常に何かしらの劇が上演されているんだ」
歩きながら話していると、地下へ通じる階段が見えた。
「地下には大きな倉庫が二つと小さな荷物部屋が6つあってね、大道具や小道具なんかを管理してる。その先には小ホールもあるよ。そうだ。人形劇もそこで上演したらいいんじゃないかな。結構、評判のいいホールなんだ。見てみる?」
「そうだね」
フランソワが同意したので、二人は階段を降りて行った。

 地下に着くと、丁度、F倉庫から荷物を運び出しているガーディスに会った。
「あれ? その荷物何に使うの?」
ルイが訊いた。
「ああ、ここじゃ手狭になったからB倉庫へ移すんだ」
「そうなんだ。それじゃ、ここは何の部屋になるの?」
「さあ。また何か置く物でもできたら使い道もあるんだろうけど、おれは知らないな」
そう言うとガーディスは台車を転がして行ってしまった。

「使い道がないなら、この部屋、僕が使ってもいいかなあ?」
中を覗いてフランソワが言った。広さはおよそ6メートル四方あったが、そこには小さな窓が一つと、換気扇、それに天井にぶら下がった電球があるきりで、部屋自体は灰色に閉ざされて閑散としていた。
「別に構わないと思うけど、ちょっと息苦しくない? それに埃だらけだし……」
「掃除すれば大丈夫ですよ。ここなら静かだし、雑音も聞こえて来ないだろうから、落ち着いて仕事が出来そうだ」
彼はすっかりその倉庫が気に入ったようだった。部屋の中を歩き回ってはしきりに何かを呟いていた。
「それじゃパパに訊いてみるよ」
ルイが言った。
「ありがとう」
暗闇の中で振り向いた彼の目が、一瞬光ったように見えた。

 そして、その午後には、マスコミが招かれ、記者会見が行われた。
「それじゃあ、その人形によって、あなたの命は救われたという訳ですね? ムッシュ コルジュ」
ジェニー シモンズが訊いた。
「はい。それに、この人形の言葉を信じ、駆けつけてくれたルイやムッシュ ヴァリエのおかげです。これからは僕も劇団ヌーボーの一員として少しでも貢献し、恩返しして行きたいと思います」

「ところで、人形劇の方はどうなるんですか?」
同行していた黒野市之助が訊いた。
「周辺の子ども達の間では大変人気が高かったようですけど……」
「ええ。残念ですが、今、僕の手元にあるのはこの灰かぶりの人形一つきりになってしまいました」
そう言って彼は人形を見せた。その瞳は少し悲しそうに潤んでいた。その表情も切なそうに見えた。フラッシュが炊かれる度、その心の機微が見えてくるようで誰もが同調していった。

「数が増えたら、また人形劇もやりたいと思っています。ムッシュ ヴァリエも勧めてくれていますので……」
「その時には劇団ヌーボーが全面的に協力します」
と、同席していたダニールも言った。
「ただ、当面は劇団のお手伝いとして、舞台のミニチュアを製作するつもりです」
フランソワが付け足す。

「彼にはマスコットキャラクターの製作もお願いしているところですので、いずれは劇団ヌーボーのシンボルともなる可愛いキャラクターがお目見得するかもしれません」
ダニールが言うと再び、記者達の間でどよめきが起こった。
「そいつは楽しみですね」
「ムッシュ コルジュの人形を加えた、劇団ヌーボーの新たな飛躍を楽しみにしています」
会見は和やかな雰囲気のまま終わった。


 「ムッシュ コルジュか……。彼って何か独特なオーラを持ってるって感じしませんか?」
劇団の会見場を出たところで、市之助が訊いた。
「そうね。職人だっていうけど、彼、役者としても十分通用する顔よね」
ジェニーも言った。
「それにしても、あの噂、ほんとなんですかね? ほら、人形が強盗に復讐したんじゃないかっていうあれ」
「馬鹿ね。そんなことある筈ないじゃない。でも、記事にはそれっぽく書いておいた方がいいのよ。庶民はそういうオカルティックな話を好むから……」
二人は次の仕事場に向かうため急いでいた。

 それから2週間後。雑誌にはフランソワのことが特集された。若き人形作家の奇跡と人形の魅力についての記事だ。読者からの反響もまずまずで、ヌーボーとのコラボも今後の彼の活躍を期待させた。
 次回の公演の舞台では、早速彼が製作した人形が小物として起用されるという団長の発言も掲載され、その公演中、受付には舞台を再現したミニチュアも飾る予定だという。彼の作品を間近で見るチャンスもあるというので、劇団には問い合わせが殺到した。

 それから数日経ったある日、劇団の事務所前に設置されたディスプレイコーナーに彼の作品が展示された。
「すごいな。これをみんな彼が?」
エリックが感嘆の声を漏らした。
「そうだよ。フランソワが作った人形は最高なんだ」
ルイが得意そうに言う。
人形は、劇団員一人一人の特徴を良く捉えていた。それが舞台で演技している様を再現されたものだった。フランソワの話では、これはまだ試作品だということだったが、このままでも十分使えるとダニールも太鼓判を押した。
「驚いたな。どの人形もまるで生きているようじゃないか」
エリックがその一つを手に取って言った。

「生きているのさ」
あとから来たクロードが言う。
「どういうことだ?」
エリックがそっと人形を戻して訊いた。
「これさ」
雑誌の記事を広げてクロードが言う。
「時代を再現。生きている人形を作る作家ルイ フランソワ コルジュの奇跡……」
そこに写っているのは確かにフランソワだ。
「へえ。彼って有名人だったのか。だが、この記事がどうかしたのか?」
エリックが訊いた。
「日付を見ろよ」
クロードに言われて表紙を見た彼は信じられないといった風に瞬きした。

「1972年6月……?」
雑誌に写っているフランソワの手に抱かれているサンドリヨンの人形も恐らく同じ物に違いなかった。
「こんなことってあるだろうか。彼はいったい……」
その先はクロードも言葉を濁した。

「何言ってるのさ。きっとこれは彼のお父さんだよ」
ルイが言った。
「父と息子が同じ名前なんて珍しくないじゃない」
「それはそうかもしれないが……」
「もうっ。クロードがオカルト好きだなんて知らなかったよ」
ルイが言った。

「オカルト? いや、これは興味深い事実だよ。それとも、現実と言った方がいいのかな」
彼が言い訳する。
「現実か……。そうだな。どちらにせよ、おれ達は観客に夢という仮想の現実を売る商売をしているんだ。そこにまた、人形という新たな幻想が加わったとしても、そう悪いことでもないんじゃないかな」
エリックが言った。

「夢を売る商売か……。そいつはいいね」
いきなり声が響いた。
「フランソワ」
いつの間に来たのか、背後に彼が立っていた。
「一夜の夢のコレクション……。僕も、その夢を繋ぐお手伝いをしますよ」
そう言うと、フランソワも、その手に抱かれた人形も、満足そうにくすりと笑んだ。