劇団ヌーボー


クリスマス特別公演「ダーク ピアニスト」(前編)

 朝の稽古場では、皆がそれぞれのメニューを組んで自主トレに励んでいた。柔軟や腹筋、発声練習をやる者もいれば、台本片手に読み合わせをしている者もいる。ここは劇団ヌーボーの本拠地。パリのライラック通り73番地だ。ここに劇団の事務所、稽古場、そして、専用の地下劇場がある。

「ルイ、今年のクリスマス公演、何を演るって?」
エルンストが言った。
「さあ。脚本家があのミカエルだからね。どうせクリスマスにはこの上ない感動的な悲劇を……ってんだよ、きっと」
ルイが首を竦めて言う。彼らは子役の中では売れっ子コンビだ。エルンストは14才。そして、ルイは12才。ルイは座長ダニール ヴァリエの息子でもある。
「もうウンザリなんだよね。毎回ラストは死ぬ役ばっかでさ」
ルイが言った。
「仕方ないじゃん。ストーリーは感動的だし、客足は伸びてるし、そんでおまえときたら、ほんと似合ってんだからさ。薄幸な美少年役」
エルンストが笑う。
「冗談じゃないよ。おかげでぼく、人生においてどんな死に方をしたって完璧なラストが迎えられるんじゃないかってほどのシチュエーションは獲得済みだよ。ミカエルにも言ったんだ。今年の公演、ぼくは出ないからって……」
「おいおい。ご冗談。看板子役のルイが出ない舞台なんて、チョコレートのないチョコチップクッキーみたいなもんだぜ」

エルンストの言葉にルイは反論する。
「クッキーなら甘さが残るんだからいいじゃん」
「でもさあ、クリスマス公演だぜ」
エルンストが言った。
「それにさあ……」
ルイが何か言い掛けた時、座長のダニールが来てパンパンと手を打った。
「聞いてくれ。今年のクリスマス公演の演目が決まった」
皆、そちらを注目する。
「今年は、『ダーク ピアニスト』でいこうと思う」
ざわめきが起きた。
「それって舞台で演るの難しくありません?」
「適任者がいませんよ」
「誰がピアノを弾くんですか? いや、音は別録音にするにしたって……」
「まあ、そうなんだが、あえてその難関にトライするってのがいいんじゃないか。確かに、課題はある。しかし、演って演れないことはない。キャストを発表する」
座長が役名とキャスト名が書かれた紙を広げた。

「ギルフォート役にエリック サバンか」
「ジェラードをセオドア ジョーン、エスタレーゼはソフィー サンティーヌ……まあ、適役だな」
「でも、主役のルビーは誰が演るんだ? あそこだけ空欄だぞ」
「そう。実はまだルビー役は決まってない。ただし、子供時代はルイに演ってもらう」
「そうするとますます難しくありませんか? 子供から大人へ移行した時の違和感で失敗することだってありますよ。特にルイは強烈な個性持ってるし……」
「そうそう。何ならルイにずっと演ってもらえばいいんじゃないの? ルビーって小柄で声も高いって設定なんだし……」
「実は、それも考えたんだが、まあ、ちょっと待って欲しい。実は今一人交渉中でね。彼ならピアノも弾けるし、体系からいってもピッタリなんだ」
「そんな都合のいい役者がいたんですか?」
「一体何処の所属の?」
「いや、まだフリーなんだ」
「フリー?」
「まさか、あのリート クリフザートって人?」
ルイが叫ぶ。皆が一斉に注目した。ダニールは頷いた。
「無理だよ。彼、確かにピアノは弾けるけど、音楽院の学生だよ」
ルイが言った。
「何だって? それじゃ演劇経験は?」
「全然ないって本人が言ってた」
ルイの言葉に皆が事情を聞きたがった。


 要は一週間前。ルイのピアノ発表会でのことだった。役者というのは一応何でもこなせないといけないのでルイも一通りの習い事はしているのだ。そこで、その日、一般の生徒と同じように発表会に出ることになった。
「ルイちゃん。パパが見てるからね」
ダニールは何度も彼の髪をなでつけたり、曲がってもいないネクタイを直そうとしたりそわそわ落ち着かない。
「記念のビデオ録画してるからね。できたらこっち向いて笑って。演奏が終わったらお花を……。ああ、そんなに緊張することはないよ。ほうら、リラックスして落ち着いて、軽く深呼吸してごらん。スーハースーハーって」
「落ち着いて欲しいのはパパの方だよ」
ルイは呆れた。ダニールは劇団をまとめる座長としては天下一品。なおかつ、役者としてもかなりの者で、特に極悪人を演じさせたら彼の右に出る者はいないとまで言われている強面だった。しかし、一人息子のルイにだけはメガが付くほどの親バカだった。学校は彼らが住んでいるマンションのすぐ前、信号を渡った真向かいにあったが、心配だからと車で学校の敷地にまで入っていく始末。ルイは役者としても有名だったが、それ以上に不名誉な形で名を知られていた。

「パパのせいで友達が全然できないんだ」
そう文句を言うと、
「何、友達なら大勢いるじゃないか。エルンストやエリックや、それに……」
「それってみんな劇団の人達じゃないか。ぼくは普通に学校や近所で一緒に遊べる友達が欲しいんだよ」
「外だって? それは危険だよ。ルイちゃんはとっても可愛いから悪い人にさらわれちゃうかもしれない。それであーんなことやこーんな悪いことなんかされて、もしものことなんかあったら、パパはとても一人でなんか生きていけないよ。だから、ルイちゃんにはいつもパパの目が届くところにいて欲しいんだ。わかるだろう?」
「全然わかんない」
そんな具合にだ。

「ルイはそろそろ反抗期なんじゃないですかね?」
エリックが言った。
「反抗期だって? とんでもない。ルイちゃんはいつまでも可愛いルイちゃんでいて欲しいよ。お願い。パパのこと嫌いにならないで」
これが、ついこの間の芝居ではギャングの大ボスを演じて会場を震え上がらせた名演技と称えられた同じ人物とは到底思えなかった。が、役柄と役者というのはそれくらいかけ離れているものなのかもしれない。
「エリック、ビデオ失敗しないでよ。可愛いルイちゃんの成長の記録なんだからね」
「そんなに心配なら自分で録画ったらどうですか?」
「だめだよ。カメラなんか覗いてたら、ルイ君のすべてが見れないじゃないの。それに思い切り拍手をして、お花を持っていって、握手とキスとそれから抱き締めてハグハグしなきゃならないし……」
「パパ、そういうの禁止だから……」
「禁止? そんな筈ないだろう? 誰だって可愛い我が子のためならそれぐらい、いいや、それだって足りないくらいなのに……」
「いいから黙って。もうすぐ始まるんだから……」

 そんなこんなで賑やかにピアノ発表会は始まって、ルイはまた皆の前で大変恥ずかしい目に合わされたのである。ルイが弾いたのは「エリーゼのために」。自分では65点くらいかな?と思っていたのだが、ダニールは大声で言った。
「ブラボー! 素晴らしいよ、ルイちゃんって天才! これなら音楽院にだって推薦されちゃうかも。ねえねえ、君、君もそう思わないかい?」
出演者席に座っていた黒髪の彼の肩や背中をパンパン叩いて言った。その彼は気の毒にされるがままじっと耐えていた。それがリート クリフザードとの出会いだったのだ。彼は発表会のゲストとして招かれていた。教室の先生の知り合いで、ピアノ科で最も注目されている学生だという。彼は18才で今年、パリの音楽院に入学した。

 子供達の演奏が終わると、模範演奏ということで彼が舞台に上がった。彼は短いショパンの練習曲を2曲弾いた。確かに彼の演奏は素晴らしかった。が、一緒に聴いていたダニールが注目したのは、彼のスター性だった。
「すごい。彼は天才だ」
ダニールが叫ぶ。
「ほんと。すごくいい演奏だったね」
ルイが言うとダニールは首を横に振った。
「いいや。ピアノじゃない。舞台だ。彼が舞台に立った瞬間。まるでスポットライトが当たったように輝いていた。あれは役者だ。あれはものになる」
ダニールの目が獲物を狙う獣のように鋭く光った。そして、演奏が終わって舞台の会談を降り掛けていた彼を捕まえて言った。

「君、身長はいくつ?」
「168cmですけど……」
「体重は?」
「56kg」
「よし! 完璧だ」
ダニールは叫んだ。そのあまりの迫力に彼は体を震わせた。
「どうだ? 君、役者にならないか?」
「え? あ、あの、僕……」
彼は戸惑っていた。しかも完全に視線が泳いでいる。
「パパ。よしなよ。困ってるじゃないか」
ルイの声も耳に入らない様子でダニールは言った。
「我が劇団ヌーボーには君の才能が必要だ」
「で、でも、僕はピアニストに……」
彼はおどおどと言った。
「ピアノ? 駄目だ駄目だ。君は役者の方が向いている」
「駄目……?」
彼はショックを受けていた。
「僕のピアノ……そんなに駄目ですか?」
瞳に涙が浮かんでいる。

「パパ!」
まずいと見てルイが中に入ろうとしたが無駄だった。彼の気持ちなど無視してダニールが言ったのだ。
「そうだ! だから、役者になりなさい」
「そ、そんなに……僕のピアノ……」
その頬に涙が伝う。
「あーあ、とうとう泣かしちゃった」
ルイが同情する。
「ところで、君、今までに芝居を演ったことはある?」
「……2才半の時、教会のクリスマス会でキリストを演っただけです」
「おお、キリストか。それは素晴らしい! これは決まりだな」
ダニールが手を打つ。
「ちょっと待ってよ。パパ。それってただ抱っこされてるだけの役だろう?」
「でも、キリストだぞ。きっと彼がそこにいるだけで世界に希望を与える光となったことだろう」
ダニールは力強く彼の手を握った。
「い、痛い……放して……」
彼はどう見ても逃げたがっていた。

「あのう、恐れ入りますが、他の皆さんもおりますので、個人的なお話は発表会が終了したあとにお願いします」
ついに主催者であるピアノ教室の先生が来て言った。
「ほら、パパ、迷惑だってさ。早く客席に戻って」
ルイに言われて渋々席に戻るダニール。
「さあ、クリフ、あなたも席に戻りなさい」
先生に言われてもまだ彼は呆然として呟いていた。
「僕の演奏が……そんなに……駄目だなんて……全然……駄目だなんて……ああ」
彼は楽屋の袖の暗幕に隠れて泣いた。

 「パパ! あんな言い方したら傷付くよ。いくらパパが劇団の創設者で社会的には認められているからって、前途ある若者の未来を奪う権利なんかないんだよ」
ルイが言った。
「そうだ。彼こそは前途有望な若者だ。我が劇団ヌーボーにとってはぜひとも必要な人材だ」
ダニールは熱く言った。
「そんなのって迷惑なの! 彼はピアニストになりたいんだって言ってるじゃない。ねえ、エリックからも何とか言ってやってよ」
「そうだね」
彼はビデオカメラのファインダーを覗きながら言った。
「そろそろカメラも買い換えた方がいいんじゃないかな。こんな旧式の使ってるのうちだけだし……。重くて持ってるだけでも疲れるんですけど……」

「エリック!」
ルイが責めるように言う。
「ああ。リート クリフザートね」
エリックはファインダーを覗いて言った。
「見事に擬態してるなあ。何処が暗幕で何処が彼なのかわからない」
「ちょっと!ふざけないでよ、エリック」
「ふざけてなんかないさ。確かに彼には才能があると思うよ」
「でも、演技なんか見てないし、第一、彼はピアニストになりたいんだよ。人の夢を妨害していいなんてことないだろ?」
「さあて、それはどうかな? 夢なんて所詮は移り気なものだからね」
「もういいよ。僕は彼の夢を応援する」
そう言ってルイはクリフのところへ駆けて行った。

「ねえ、あなたのピアノ、とても素晴らしかったよ。ぼく、とても感動したんだ。あなたには他の人にはない素晴らしいピアノの才能があると思うよ。だから、夢を叶えてよ。パパが言った失礼はぼくからも謝るからさ。ねえ、元気出して。世界中の人達に夢と希望を与えるようなピアニストになってよ」
「なれると思う?」
「うん。あなたなら絶対なれる。だから、もうパパの言ったことなんか気にしないで」
「わかった。ありがとう。君のおかげで少しだけ自信が持てたよ」
と言って彼はぎこちなく笑った。
「よかった」
それを見てルイも喜んだ。そうやってルイはいつも父親の度を越えた言動や態度によって引き起こされたトラブルを謝罪したり、修復したりするのが息子としての役目となっていた。


 「あれで終わりだと思ってたんだ」
と、ルイが言った。しかし、事態はそのあとにも続いていたのだ。家に帰ってからもダニールはずっとその若者のことが頭から離れなかった。
「ねえ、愛しのマデリーヌ。君もそう思わないか?」
美しい妻の写真にダニールは熱心に話し掛けた。マデリーヌはルイの母親で、美人でこの上なくやさしい人だったという。が、彼女はルイがまだ2才の頃、交通事故で亡くなった。その時のダニールの嘆きは尋常なものではなかったという。それから、ルイに対しての必要以上の親バカが始まったのだ。道路をたった一本渡るだけの学校にまで送り迎えをするのは車が道路を走っているから危ないという理由からだ。愛する妻を奪った車に愛する息子まで奪われたくないという愛情からだと本人は言うのだが、それはあまりに屈折しているとルイは思う。それについて他の劇団員達は何も言ってはくれなかった。どうして黙ってるのかと訊いたことがあった。劇団員の中でもダニールが一番可愛がっているエリックに言わせると、せめてそれくらいは大目にみてやらないと彼の精神が壊れてしまうからだと言った。
そんな柔な精神じゃないだろうとルイは思うのだが、もしかすると、ダニールの関心が自分に向いていることで他の劇団員達へのうざったらしい干渉が及ばないからではないかと密かに思っている。

「エリックは知ってるんじゃないの?」
ルイが言った。彼は顔を背けたが、その態度は肯定したようなものだ。
「何があったの?」
ルイが訊いた。
「別に何も。ただ、音楽院に行って、彼に台本を渡しただけだよ」
エリックが言った。
そう。発表会のあと、ダニールは毎日のように音楽院に通い、彼を説得していたという。
「リート クリフザート? そんな奴うちにいたっけ?」
始めのうちは学生達の間で彼を知る者はほとんどいなかった。まあ、この秋に入学したばかりだというのだから無理もないかと結論づけたのだが、聞き込みをしているうちにそれは彼のあまりに消極的で地味な性格によるものだということがわかった。クリフにはほとんど友達がいなかった。彼はいつも独りぼっちで誰とも交わろうとせず、部屋の隅にいた。時にはあまりにその風景に溶け込み過ぎていて誰も彼の存在に気がつかないこともあるという。他の多くの学生は快活で自己主張も激しく、活発に意見交換をし、互いに切磋琢磨して成長していくのが普通だった。確かに彼はピアノの腕は優秀だが、性格が災いしてピアニストとして成功するのは難しいだろうと教授が懸念していたという噂も聞いた。

「そんな影が薄くて事故主張ができないんじゃ、役者の世界でなんて到底やっていけやしないよ。役者ってみんな我がままだし」
ルイが言った。
そう。確かにその通りだ。が、ダニールはそれでも彼を見つけては口説いたという。時にはカーテンの陰で、時には温室の影、また、ある時は誰もいない教室の影でいつも彼はひっそりと佇んでいた。
「これが、次のクリスマス公演で演る台本。君にはこの主人公ルビーを演ってもらいたいと思ってる。ぜひ、読んでみてくれ」
無理に押し付けてダニールは言った。
「そんな、僕、困ります」
彼は慌てて返そうとした。が、ダニールはもういない。クリフは仕方なくその表紙を見た。
「ダーク ピアニスト……? 何だか怖そうなタイトル……。ホラーかな?」
彼は中は見ずに本を持って廊下に出た。

クリフはこれまで順風満帆な人生を歩いてきた。ピアノの才能が有りそうだというので、勧められて音楽院を受験し、見事合格。最高の教授に師事し、その教授からも可愛がられていた。このまま行けば優秀なピアニストとして世に出ることも暗に約束されているようなものだ。
「ただし、君のその引っ込み思案の性格ね。それを何とか直さないといけないよ。そのせいでどれだけ損をしているかと思うと気の毒でならない。君には余りあるピアノの才能がある。なのに、実にその性格がせっかくの才能を駄目にしているのかと思うと私は残念でならないんだがね」
「で、でも、教授……僕……ぼくは……」
性格が駄目だと言われて彼は傷付いていた。教授は深いため息を漏らす。
「だから、そうやってすぐに泣く。もう子供じゃないんだから、そんなことくらいでビショビショ泣くんじゃないよ」
言われると彼はますます激しく泣き出した。
「素直でいい子なんだけどね……」
それだけはどうやっても治すことはできなかった。

 数日後。その教授のコンサートがあった。所属している学生は全員聴きに行くことになっている。ホールの前の椅子に腰掛けていたクリフは俯いて何か呟いていた。彼の膝の上には台本が開かれていた。彼はそれを読んでいたのだが、開演の時間になり、周囲の人間が皆ホールの中に入っても彼はまだそこにいた。誰も彼の存在に気がつかなかったのだ。が、開演の鐘が鳴り始めた時、幸運にも彼の存在に気づいてくれた人がいた。
「クリフ、もう始まるぞ」
彼はピアノ科の同期で一度彼と連弾したことがあった。その彼に腕を掴まれ座席に連れていかれた。そして、教授の演奏が始まる。が、彼は台本から目を放さない。彼は闇に溶けていた。相変わらずブツブツは続いていたが、ほとんど声になってはいなかったので周囲の人間も気にしなかった。が、その演奏がクライマックスに近づいた頃だった。突然、誰かが大声で叫んだ。
「やめちまえ! 下手糞め! そんなのちっともショパンじゃない!」
それはクリフだった。演奏がピタリと止んだ。恐ろしい程に張り詰めた空気がホールを満たした。
「誰だね? 今言ったのは」
教授が立ち上がって言った。
「僕です」
クリフも立ち上がる。会場内はしんと静まり返っていた。
「なら、君が弾いてみたまえ」
教授が怒鳴った。すると、クリフは不敵に笑んでさっと駆け出すと舞台に飛び乗った。そして、平然として教授を脇に押し退け、椅子の高さを調節すると優雅な手つきでさっきまで教授が弾いていたショパンの曲を弾いた。呆気にとられたような教授と言葉も出ない観客。演奏が終わってもしばらくの間沈黙が続いた。

「ブラボー!」
誰かが言った。それと同時にあちこちで声が上がり、拍手が巻き起こった。クリフは当然といった顔で観客に向かって微笑すると一礼して舞台を降りた。
それは音楽院始まって以来のセンセーショナルな事件だった。実際、彼の演奏がどれくらい素晴らしかったのかというと、それが内部でのコンサートだっただけに本当のところはよくわからない。しかし、それはあっという間に学生達の間に広がり、外部へと漏れた。マスコミがスキャンダラスなニュースだとオーバーに報道した。

 「え? 退学?」
教授室に呼ばれたクリフは愕然とした。教授からそうするようにと勧告されたのだ。
「どうしてですか?」
「どうしてだと? 君に指導することはもはやない。君とてそう言っていただろう。君の望む通りにすればいい」
教授は立腹していた。
「そんな……僕……僕、どうしたら……」
彼は途方に暮れて涙を流す。
「そんな涙は通用せんぞ! そうやっていつも見下していたとは大した役者だ。とんだ食わせ者め! 出てけ!」
突き飛ばされ、ドアを閉められた。
「僕、知らない……。何故あんなに教授が怒ってるのか……僕が何をしたというの? 何もわからないのに……」
音楽院から追い出されて彼は悲嘆に暮れた。


 「おい、見たか? この記事」
フラッシュ芸能の雑誌を広げ、ダニールが言った。
「リート クリフザート? 教授のコンサートに乱入だって?」
エリックがその記事を見て驚く。
「まさか、あんな大人しそうだったのに……今は退学して行方不明……・」
「パパ……」
ルイも心配そうに言う。
「チャンスだ。彼は今、マスコミでも時の人になり得る、ここで彼を起用し、クリスマス公演の記者会見を行えば……注目度120%! 公演の成功間違いなしだ」
ダニールは言った。が、ルイは怒って言った。
「酷いよ。パパは自分のことしか考えていないの? 自分の劇団の成功しか……。彼、音楽院を辞めさせられちゃったんだよ。パパのせいで彼の人生を狂わせてしまったかもしれないのに……」
「何を言ってるんだ。彼は自らそうしたんだ。別に私がコンサートに乱入した訳じゃない。そうだろう?」
ダニールが言った。

「しかし、いきなり大事なクリスマス公演の主役を演らせるってのはどうかと思いますよ」
エリックが言った。
「そうですよ。相手は芝居経験もないずぶの素人だっていうし……」
クロードも言った。
「今度ばかりはよく考えてみた方がいいんじゃないのか?」
劇団の人達も大半が賛成できないと言った。
「いや、必ず成功する。だから、みんなも協力してくれ。手分けして彼を探すんだ」
「座長」
「無理ですよ」
「素人にあんな難しい役がこなせる筈が……」
皆が言った。

「何が無理ですって?」
突然、背後から声が響いた。皆が一斉に振り向く。と、稽古場の入り口に人影があった。薄い暗がりの中に紛れてしまいそうだったが、それは確かに彼だった。
「リート クリフザート……」
が、明らかに雰囲気が違う。彼は黒い大きな鞄と、台本を持っていた。そして、不敵に笑んで言った。
「僕はルビー ラズレイン……。この役、演らせてもらいます」