クリスマス特別公演「ダーク ピアニスト」(後編)

 ピアノの音が聞こえている。ショパンの練習曲「蝶」だ。華麗で繊細で愛らしい曲……。静かに上がる緞帳……。そこには明るい蛍光灯の下でお茶の支度をしている女性の姿が……。ルビーの母親だ。
「ルートビッヒ、いらっしゃい。お茶の支度が出来ましたよ」
「はーい。今行きます。母様」
ピアノが止んで彼、ルートビッヒが駆けて来る。現れた彼を見て、会場からおおっと嘆息が漏れる。扮しているのはルイ ヴァリエ。可愛らしさと演技力の高さには定評のある彼。今回もまた登場と同時に観客の心を掴んだようだ。彼は席に着くと母と二言三言会話して、それから、ふっと顔を曇らせた。
「父様が来るの?」
「ええ。今日戻ってらっしゃるって連絡があったの」
「ふうん。ぼく、父様は嫌いだな。ぼくのピアノとちっとも合わないんだもの。技巧ばかりに走って、感情に欠けてる。あんなのショパンの音じゃない!」
紅茶をかき混ぜながら彼が言う。会話の間スローなペースでピアノの演奏が流れている。何処か悲しく、狂気じみたその曲は、やはり同じ「蝶」の曲である。

「それは一体どういう意味だね?」
父親のフリードリッヒが登場する。
「別に……。言葉通りの意味だけど……」
振り向かない彼の襟首を掴んでフリードリッヒが叫ぶ。
「何だ? その態度は。こちらを向きなさい!」
「どうして怒るの? ぼくは本当のことを言っただけなのに……」
「黙りなさい!」
バシッと平手で子供の頬を打つ。と、椅子から落ちた彼に引きずられ、テーブルクロスがずり落ち、上に乗っていた食器や過敏が落ちる。ピアノは「木枯らし」と「蝶」とをリミックスしたものへと変わっている。
「やめて! あなた……! ルートビッヒはまだ子供なのよ」
母が止めに入る。
「うるさいっ! どけ!」
突き飛ばされた彼女がテーブルにぶつかり、果物籠が落ちて中身が転がる。
そして、ナイフがフリードリッヒの手に……。振り下ろされたナイフ。
「お願い! やめて!」
「母様……!」
照明が赤く染まり、ピアノは「幻想即興曲」のコーダへ……。そして、暗転。

 照明が点くとそこは地下室。ルートビッヒが目を覚ます。
「ここは何処? どうして……? 母様! 開けて! ここを開けて! 誰か……」
僅かに差し込む月光に腕を伸ばし指を動かす。それに重なるように静かに聞こえてくるソナタ14番「月光」……。
ワインを抱えて歌う彼の透き通った声が観客の涙を誘う。それから、彼は最後の一粒になってしまったキャンディーを口に含んで目を閉じる。
「これでやっと……ぼくも母様のところへ…行……ける……」
ルイの迫真の演技が観客を泣かせた。ルイはこの手の役には定評がある。そして、暗転。

 次に照明が点った時。そこは部屋の中だった。そして、ルイが倒れていたのと全く同じ場所に、例の彼が倒れている。寸分違わぬポーズ……。そして、目覚めた。
「あれ? いつの間にか僕、眠っちゃった」
勢いよく飛び起きて彼は言った。それから彼は部屋の中を言ったり来たりしながら歌う。それを見て観客は呆然とした。子供から大人へ……。ルイからクリフへと移ったにも関わらず、まるで違和感がなかったのである。ごく自然にそれは移行し、少し背が伸びて、声が若干低くなったかなと感じる程度で、まるで同一人物のような錯覚に陥るほどだった。
「成功だ」
ダニールは満足した。思った以上に素晴らしいシンクロだった。

 そして、物語は進行し、ギルフォートとのシーン。
「次のお仕事は何時?」
「明日。ホテルでパーティーがある」
エリックは元々グリーンアイなのでギルフォート役には適任だ。
「パーティー? 僕、好きだよ。ピアノも弾けるし、ワインも飲める。でも、お仕事は嫌い。ねえ、人が死ぬの僕は怖い。お願いだから、もう僕に人を殺させないで……!」
舞台ということもあり、台本は書き下ろし。原作とは若干違う形で進行する。
「ならば、ここにいろ」
ギルフォートが言う。
「いいの?」
見上げるルビー。が、次の瞬間、ギルフォートは彼を突き飛ばすと銃を構えて発砲。男が倒れる。その手から銃が転がる。それを拾い上げてギルフォートが言う。
「おまえが殺らなくても誰かが殺る。それをどんなに拒んだとしても、もう逃げられない位置におまえは立っているんだ」

「逃げられない位置……」
生と死と……。二人の男の間に立ってルビーが問う。
「人はどうして生まれて来るんだろう? いつかは死んでしまうものなのに……。それとも、死んだからまた生まれなくちゃいけなくなるのかな? ねえ、どう思う? 僕はやっぱりあの時、死んでしまってて、だから、またこうしてここに今、僕は生きてお仕事をしなくちゃいけないのかな?」
ルビーは歩きながら、棚の上の人形の位置を変えたり、花瓶の花を抜いてギルフォートの上着のポケットに差し入れたりしていたが、ふと棚の上のウサギのぬいぐるみを下ろすと自分がそこに納まると頬杖をついて彼を見た。
「そいつは難しい問題だな」
ギルフォートが言う。
「ふうん。ギルでも難しいことなんてあるんだ」
「ああ。ぬいぐるみに訓練したことはないからな」
さっきまでルビーがいた場所に置かれたそれを軽く突いて言う。
「ふうん」
ルビーはつまらなそうに頷くと隣に置かれたアドベントカレンダーを見て微笑する。そして、小箱の蓋をそっと開けると中にあったキャンディーを取り出そうと手を伸ばす。

「まだだ」
ピシリとその手を叩かれて不満そうな顔をするルビー。
「今日の分はもう食べたろう」
「だって、あれは朝の分だもん。これはお昼の分だよ」
「1日一つずつ。でないと日数が合わなくなってしまうだろう?」
「いいの。だって明日はクリスマスだもん」
「違うだろう」
「だってクリスマスパーティーなんでしょう? 僕、クリスマスって大好き! もっと毎日クリスマスならいいのにな」
「それじゃあ、サンタクロースの身がもたないだろうよ」
「そうだ! 僕、今年もサンタクロースにお手紙書いたの」
と言ってそこから飛び降りるとあちこちポケットを探してやっと見つけた便箋を取り出すと彼に渡す。
「だから、お願い。また、宛名を書いてね」
「ああ。それで封筒はどうした?」
「待ってて。今、持って来る」
と言って下手から退場。一人残されたギルフォートがそっと手紙を開く。
「ふん。去年よりは少しましになったな。さて、今年は何が欲しいって……?」
が、便箋に目を通す彼の表情が曇る。

――母様に会いたい……。他にプレゼントはいりません。だから、お願い! 夢でもいいから一度だけ母様に……

「ルビー……」
彼はそっと便箋を折りたたむ。そこへルビーが笑いながら駆けてきて封筒を渡す。
「僕、一生懸命書いたんだ。だから、お願い。忘れないでちゃんと出してね」
「ああ……」
暗転。

 大きなクリスマスツリーに電飾が点る。人々の談笑や食器の音……。静かなBGMが流れ、舞台はパーティー会場へと変わる。照明が点ると華やかな人々がグラスを傾けたり、思い思いの場所で談笑している。ボーイが飲み物を運んで通り過ぎる。
「わあ! すごい! きれい!」
ルビーが駆けてきてツリーに見蕩れる。イリュミネーションの点滅に合わせて粉雪が舞う。幻想のような雪の中で螺旋上に駆け上って行くトナカイとそり……。
「ほんと。美しいわ」
あとから来たエスタレーゼも言う。
「そうでございましょう。これは今日のパーティーのために特注で作らせたのです」
このパーティーの主催者であるムッシュ ヴェルナーが言った。
「お気に召しましたでしょうか?」
「うん。僕、気に入った。ねえ、ジェラード、今年は家でもこんなツリーを飾りたい」
ルビーが言った。

「おやおや、困ったねえ。坊や。これは特注品だから、何処にも売っていないんだよ」
ジェラードの言葉にルビーが拗ねる。
「いやだいやだ! 僕、これと同じのが欲しいよ」
「ルビー、我侭言わないのよ。クリスマスツリーなら家にもあるじゃない。今年買ったばかりのオーロラツリーが」
エスタレーゼが宥めようと声を掛ける。
「いやだよ。あれには雪が降らないもん。それにサンタさんのそりもないし……」
ルビーが言った。
「サンタクロースならオーナメントがあるじゃない」
「オーナメントは動かないもん」
「ほんとに困った子だねえ」
ジェラードも言う。
「だったら、いい。僕、今日はピアノ弾かない」
突然の言葉に皆が唖然とする。
「何だって?」
「弾かないよ。僕、気分が悪いの。部屋に戻る」
「ちょっとルビー、待ちなさい」
エスタレーゼが慌てて止める。

「プレゼントはいらないんじゃなかったのか?」
突然、ルビーの前にギルフォートが立ちはだかって言う。
「ギル……?」
見上げるルビー。
「どうしてそれをあなたが言うの?」
「おまえの文字は癖が強いから教えて欲しいとサンタクロースに頼まれたんだ」
その返答に、ルビーはふっとため息をつく。
「それで? サンタさんは叶えてくれるって言ってた?」
「ああ。おまえがちゃんといい子にしていたらとな」
ルビーはじっと考えた。それから、ちらとツリーを見て頷く。そこには光の文字でピアノと浮かんでいる。
「わかった。僕、弾くよ」
そうして、彼はピアノの方へ歩いて行く。

途中、サンタクロースに変装したホテルの人間とすれ違う。
「メリークリスマス!」
そう言って差し出されたプレゼントをルビーは断る。
「僕はいいよ。それをもらってしまったら約束を破ることになっちゃうもの。代わりにワインをもらうよ」
通り掛かったボーイのトレイからグラスを受け取りそれを飲んだ。
「メリークリスマス!」
あちこちでそんな声が響いている。サンタクロースが配る特製のプレゼント。子供にはおもちゃを、婦人には薔薇や香水を、そして、取引先には暗号を……。
「クリスマスは好きさ……」
そう呟くとルビーはそっとグラスを返す。
「聖なる闇に浮かぶ十字架……。人はそれを見て狂喜する。そして、それを見て希望を抱き、イリュミネーションのその中にブレンドされた悲しみが、いつまでも点滅を繰り返す……。終わることのない永遠の悲しみを、心の奥になぞりつけるように……。そうやって僕はいつも……」
暗転。

ツリーのイリュミネーションと舞台の上段に照明子供時代のルビーと両親。雪が降っている。
「わあ! 見て!父様、母様、 雪だ。雪が降ってるよ。きれい……」
「本当に……。何て幻想的で美しいのかしら」
「雪が好きか? ルートビッヒ」
「うん。大好き!」
「私もだよ。ルートビッヒ。いやなものの何もかもを覆い隠してくれる雪が……私は好きだ」
「父様……」
ソリの音。鈴の音。通り過ぎる記憶……。

――何もかもを覆い隠す雪が好きだ

暗転。

 ツリーのイリュミネーション。そして、舞台下部に照明が点る。
「初めて父様と好みがあった瞬間。そして、考えが分かれた瞬間。今までのものを覆い隠すのではなく、前からあるものをより美しく見せるために新しい可能性を感じさせてくれる雪……僕が好きなのはそんな雪……。だって、雪が溶けてまたもとの姿が見えてしまうなら、何も変わっていないと気づいた時、余計に悲しくなるもの……」
ルビーの独白。そこに鐘の音が響く。彼はピアノに向かうと静かにその蓋を開ける。鐘の音の余韻が終わると彼のピアノがリストの「鐘」を奏でる。スポットライト。そして、幻想的な光の演出……。舞台の2階部分では彼の子供時代……。両親と雪の中で戯れている幸せな時間が影絵のように綴られて行く……。そして、コーダ……。照明が点り、パーティー会場に戻る。と、会場から拍手が起こり、客席もそれに同調する。拍手の海……。そして、続いて「愛の夢」の演奏が始まる。再びしんと静まる客席。そして、ルビーのモノローグ……。

「……イリュミネーション……ああ、こんなにも美しいのに……何故人は偽りの光の中でしか生きられないんだろう。どうして僕はそんな偽りの影を愛する? あの本物の雪のように、僕はいつか本物の光の中で君を愛する……。それができたら……。サンタクロースはいるのだろうか? 愛する者へ想いを伝えるための真のサンタクロースは……。本当に欲しいものはここにない。僕が本当に欲しいものは……」

ピアノと点滅を繰り返すイリュミネーションの光……それはツリーから螺旋上に飛び出して舞台を巡り、天井を移動して、会場全体を聖なる夜へと導く……。小さな星の光が瞬いて会場へと降り注ぐ……。光の演出がなされ、またも客席からは感嘆のため息が漏れる。そして、また舞台でのピアノにスポットが当たる。再びモノローグ。
「僕は何処へ行くんだろう。僕の愛は誰のために流れてく……? ギルはエレーゼと一緒にいるね。ジェラードはボーイさんと何か話してる。そして、ターゲットは……」
次々と会場内を照らす照明がその男を捕らえた。
「完璧なアリバイと完全な犯罪……。さようなら、ムッシュ ボルチエ。あなたのやり方は多くの人の人生を犠牲にし、その屍で作った不安定なピラミッドの上に片足立ちで立っていたピエロのよう……。
僕は見ちゃったんだ。あなたのせいで両親を亡くし、泣いてる少女の横顔を……。だから、あなたは消えて……。メリー クリスマス」
曲は終盤。一筋の細い光がその男の胸に差された花を散らす。ルビーはそのまま曲の終わりまで弾ききる。拍手。そして、悲鳴。
「きゃあ! 誰か、人が死んでる!」
騒然とするパーティー会場。右往左往する人々。ルビーは静かに鎮魂歌を奏でる。
第一幕完。


 「よし! いい感じだ。この調子で行こう!」
ダニールがみんなを激励して回る。舞台では、短い休憩の間に大急ぎで次のセットが準備されている。照明や音響も入念なチェックと確認が行われ、出演者は衣装を変えたり、メイクを直したりとこちらも忙しい。今回、2役をこなすダニールとパトリシアは急いで次の役のための着替えに行った。
「クリフ」
一人、楽屋の隅で台本を読んでいた彼にアーネストが声を掛ける。
「前半、すごくよかったよ。こないだは悪かったな。おまえのこと素人だなんて馬鹿にして……。後半もがんばれよ」
そう言って肩を叩く。が、クリフは上の空でぶつぶつ言っている。アーネストはちっと軽く舌打ちをしてその場を離れた。そして、大道具や小道具が並ぶ小部屋を通り抜けると、ふと、仕掛けロープに目がいった。今、そこには彼のほかには誰もいない。アーネストはふとそのワイヤーに手を掛けた。


 そして、第二幕が始まった。パーティー会場。しかし、先ほどまでの華やかな雰囲気とは変わって、皆、寄り添うように集まってしんとしている。ルビーは一人、まだピアノの椅子に座って指1本でスローにクリスマスソングを弾いている。そこへ捜査官が現れる。ダニール扮するICPOの刑事だ。
「私は、ICPOのエミール ドロップスです。皆さんのお話は大体わかりました。が、もうしばらくここにとどまっていただきたい」
ドロップスの言葉に皆が不平を唱えるが、彼が鋭い眼光で一瞥すると皆大人しく引き下がった。
ルビーは一つ欠伸をすると言った。
「僕、もう疲れちゃった。眠い……。部屋に戻ってもいい?」
そう言って出て行こうとするルビーをドロップスが止める。
「いいえ。あなたにもここに残ってもらいます」
ルビーが驚いて男を見上げる。
「その子には関係がない。寝かしてやったらどうだね?」
客の男が言う。
「そうよ。彼はピアノを弾いていたんですもの。無実だわ」
「そうだ。両手が塞がっているのに武器なんか持てる筈ないじゃないか」
皆がルビーを庇ってくれた。ここまではいつもと同じ展開だ。しかし、その日は違っていた。
「たとえ、両手が塞がっていたとしても、最後まで可能性を疑ってみる必要はあります」
ドロップスが言った。

「あなた、何が言いたいの?」
ルビーが訊いた。
「これが初めてのことじゃないでしょう?」
ドロップスは含みのある言い方をした。
「何のこと? 僕にはさっぱりわからない」
「あなたが今までに関与していた、いや、関与していたかもしれない事件は実にフランス管内だけで17件。そのうち、ピアノの演奏中に起きた事件が4件あります。どうです? 偶然にしては多い数ではありませんか?」
「僕を疑ってるの?」
「いえ、可能性を考えているのです」
「そう。なら、あなたの気が済むようにいくらでも調べたらいい。でも、今、僕は疲れてるんだ。眠らせてもらうよ」
ルビーはそう言うとピアノの椅子に腰掛けるとそこにもたれて眠ってしまう。そんなルビーにそっと自分のショールを掛けてやる女性がいた。パトリシアが演じるマダム ローリエだ。彼女はドロップスに近づいて言った。
「彼は本当に無実です。だから休ませてあげて下さい」
「何故そう言い切れるのです?」
ドロップスが訊く。
「何故なら……私が真の犯人だからです」
「何だって?」
皆が驚く。
「わかりました。では、あちらでじっくりとお話を伺いましょう」

 二人が出て行くと人々がざわめいた。
「おい、本当かね?」
「どうしてマダム ローリエが……?」
「何故、彼女はあんなことを言ったのかしら?」
エスタレーゼが言った。
「さあ……」
ギルフォートが首を傾げる。ふとルビーが目を覚まして自分に掛けられていたショールを取る。
「いい香りがする……。母様と同じ……」
ルビーははっとしてそれを掴むとギルフォートのところへ行く。
「ねえ、母様は何処?」
「ん? 何を言ってるんだ?」
「母様だよ。母様がこれを掛けてくれたんでしょう? すぐにわかったよ。だって、これ、母様と同じ香りがするもの」
ふわふわとしたショールに顔を埋めて言う。

「ルビー、残念だけどそうじゃないのよ」
エスタレーゼが言った。
「え? だってサンタクロースが……。ギルがお手紙出してくれたんだ。だから……」
「可哀想に……。きっと夢を見たのね。それはマダム ローリエの物なの。あなたのお母様の物ではないのよ」
エスタレーゼの言葉に少なからずショックを受けたルビーが言う。
「それじゃ、マダム ローリエは何処なの? ショールを返さなきゃ……」
しかし、誰もが俯いたり、視線を逸らしたりして様子が変だ。
「どうしたの? マダム ローリエは?」
「彼女は警察に連れて行かれた」
ギルフォートが答える。
「警察? どうして?」
「さっきの事件の犯人は自分だと名乗り出たんだ」
「そんな……! 違うよ。彼女は犯人なんかじゃない!」
「ルビー」
ジェラードが制する。彼は再びショールに顔を埋めて言った。
「違うのに……。こんなにやさしい人がそんなこと出来る筈がないんだ……。」

 ツリーに積もる雪……。そこにドロップスと手袋をはめた捜査官がやって来て、ツリーの鉢の中から拳銃を見つける。
「やはり、あの女の供述通りです」
ドロップスは頷くと皆の方を見て言った。
「えー、皆さん、取り合えず、今日のところはお部屋へ戻られて結構です。あとでまた連絡するかもしれませんので、その時にはぜひ協力の程、よろしくお願いします。長い時間お疲れ様でした」
そう言うとそこから出て行こうとするドロップスにルビーが言った。
「それだけ?」
「ああ。疑って申し訳ありませんでしたね。ゆっくりベッドでお休み下さい」
「僕じゃないよ。マダム ローリエはどうなるの?」
「彼女は重要参考人として今夜は警察に泊まっていただきます」
「何故? 彼女は犯人じゃないよ」
「ほう? それでは、あなたは真犯人をご存知なのですか?」
「それは……」
「あなたが犯人だと言うならともかく、彼女の証言通りに凶器も見つかりました。余程のことがない限り容疑が覆ることはないでしょう」
「だったら、せめて、これを返してあげて……。警察署の中は寒いでしょうから……」
と、ルビーがショールを渡す。
「わかりました。お渡ししましょう」
そう言うとドロップスは踵を返して立ち去った。

「どうして……?」
ルビーはじっとツリーを見つめて呟く。
皆もぞろぞろと退場し、最後まで残っていたルビーの肩をギルフォートが叩く。
「ねえ、どうして? 彼女は何もしていないのに……」
「恐らく、誰かを庇っているんだろう」
ギルフォートが言う。
「庇う? 誰を?」
「わからない。だが、ムッシュ ボルチエは敵が多い男だった。たまたま今回恨みを抱いていた人間が奴の抹殺を企てたとしても不思議ではない。そのタイミングが偶然、重なってしまったということだな」
「でも……。あれは僕が……」
「いや、死体にははっきりとした銃跡があった」
「見たの?」
「ああ。だが発砲した奴の顔は見ていない。おれの位置からでは死角になっていたからな。だが、撃鉄の音を聞いた」
「誰がやったんだろう?」
「わからん」
「それがわかれば彼女を助けられるのでしょう?」
「多分な」
「なら、助けようよ。彼女は無実だもの」
「厄介なことだな」

その時、背後のテーブルの影から狙っていた男に気づき、ギルフォートが蹴りつける。男の手からナイフが飛ぶ。そうして、ギルフォートは組み伏せた男を引きずり起こして尋問する。
「貴様、何者だ? 何故、おれ達を狙う?」
男はひいと悲鳴を漏らす。
「あ! この人、偽者のサンタさんだ」
ルビーが叫ぶ。
「そうでしょう? 僕にプレゼントくれようとした。ほら、あの時と同じ目の下にホクロがあるもの」
「夢を配るサンタクロースがこんなことをしてはいけないな」
ギルフォートも言う。
「う、うるせえっ! おまえらになんかわかるもんか!」
「なら、貴様を警察に突き出すしかないな」
ギルフォートの言葉に男が怯える。

「そ、そんなことをすればおまえらだってただじゃすまないんだぞ」
「おれ達は完全なる被害者だ。何ら困ることはない」
「おれは知ってるんだからな。おまえらがほんとは犯罪組織の人間だって……」
「そんなことは警察だって知ってるさ」
ギルフォートが平然と答える。
「な、何?」
「知らないのはあなたの方みたいだね」
ルビーが言った。
「お、おれは……」
「ねえ、もしかして、あなたはマダム ローリエの知り合いの人?」
ルビーの言葉に驚いてその顔を見る。
「な、何でそう思うんだ?」
「だって、彼女が使ってたのと同じ香水の香りがするもの」

男は僅かに沈黙したあと、はっきりと頷いた。
「そうだ。おれはジャック ローリエ。マダム ローリエはおれの姉さ」
「それじゃ、彼女はあなたを庇ったの?」
ルビーが言った。
「そうさ。おれのような馬鹿な弟を持ったばかりに姉さんは……」
「何があったの? 話してよ」
ルビーが言った。ギルフォートも押さえつけていた手を緩めてやる。ジャックは半身を起こして言った。
「4年前、おれ達姉弟は親が残してくれた会社を継いだんだ。地元に密着した地道なやり方でおれ達の会社は順調に伸びていた。商売もそこそこに上手くいき、姉の結婚も決まり、幸せだった。けど、ヴェルナーがおれに近づいて言ったんだ。姉の婚約者は金にも女にもルーズであんな奴と結婚したら、姉は不幸になり、会社だって乗っ取られてしまう。だから、すぐに婚約を解消した方がいいとおれをそそのかした。それから、上手い取引があるとか、今、株を買っておけば有利だとか次々と言ってきて……」
「まんまと騙されたという訳か」
ギルフォートが言った。

ジャックはがっくりと頭を垂れて言った。
「ああ。本当に馬鹿だった。おれは世間のことなんか何も知らなかったんだ。ヴェルナーの口車に乗せられておれは次々と株や先物取引、果ては賭け事にまで手を出して、遂には会社も何もかも失うことになって……。結局、姉さんの結婚も白紙に戻され、おれ達は信用を失った。それでも、姉さんはおれを庇ってくれた。なのに、おれはどんどん泥沼へ落ちて行き、とうとうこんな犯罪にまで……」
「どうしてそこまでしなきゃいけないの? いやだと言えなかったの?」
「脅されたんだ。奴の狙いは最初から姉さんだった。でも、なかなかいい返事をしないからと、もし、おれが言うことをきかなければ姉さんに乱暴すると……」
「酷い奴だね」
ルビーが同情する。
「そう。本当に酷い奴さ。ヴェルナーは人の命なんか何とも思わない……!」
突然、一発の銃弾がジャックの胸を撃った。ギルフォートがすかさずジャックのナイフを投げつける。が、男は逃げ足だけは早かった。

「ジャック! しっかりして! ジャック」
ルビーが倒れている彼に呼びかける。が、返事はない。
「許さない……!」
ルビーは立ち上がると暗い目をして言う。暗転。

 淡い照明が点る。ルビーはピアノを弾いている。スローなテンポの「聖夜」だ。そこへゆっくりとヴェルナーがやって来る。彼が中央まで来た時、ぴたりと演奏が止まる。
「何ですか? わざわざ私を呼び出したりして……」
「あのツリーね、とても気に入ったの。だから、僕にちょうだい」
「ははは。あれはこのホテルの目玉品ですよ。このツリーを見るために宿泊してくれるお客様とて大勢いるんです。無理な相談ですよ」
「だって、もう必要なくなるでしょ?」
「そうですね、今年のクリスマスが終わったらお譲りしても構いませんよ」
「そんなの駄目だよ。僕は今すぐ欲しいんだ。今年のクリスマスに間に合うようにね」
「困りましたね、そんな我侭をおっしゃられても……」
「いやなら、あなたの金庫の中身と交換ってのはどう?」
「何だって?」
ヴェルナーの顔色が変わる。

「あなたがやってきたいろんな裏取引や偽造したサインなんかの紙切れだよ」
「私はそういった類の冗談は嫌いでしてね」
突然の停電。事故か演出かわからない不安の闇の中で、唐突に、ピアノの音が響く。「革命」
が、まだ明かりは点かない。しかし,曲が終わった次の瞬間。闇の中にぼうっと浮かび上がる影。ルビーだ。ピアノの上方に浮かんでいる。
それからあとずさって逃げようとしているヴェルナーが淡い照明に浮かぶ。

「僕は闇のピアニスト……。闇を奏で、真実を紡ぐ……」

そして、照明が灯り、ヴェルナーの体がゆっくりと空中に持ち上がる。そして、天井近くまで浮かぶとやがてゆっくりと降下し、舞台中央の空中でルビーと向かい合わせになる。恐怖に怯えた男の顔が近づく。
「や、やめてくれ……」
ルビーは漆黒の衣装に身を包み、悪魔のように笑っている。が、男の恐怖はそれではない。クリフを釣っている筈のピアノ線が外れていた。事故だ。それを何とか伝えようとした。が、まるで聞こうとしない。彼は演技の中にのめり込んでいた。
「あなたに罰を……」
イリュミネーションの光が連なって男の体に絡みついた。
「た、助けてくれ……」
コードはどんどんきつく男の体を締め上げていく。そして喉元まで絡みついたそれがぐいとその体を釣り下げる。男は並々ならぬ恐怖を感じて青ざめた。とても演技とは思えない迫力だ。彼は本気だった。本当に殺されるのではないかという恐怖に戦いていたのだ。
「ふふ。人間のクリスマスツリーだ」
照明が落ち、イリュミネーションだけが点滅を繰り返す。そして暗転。

 次に照明が点いた時、そこは警察署だった。
「メリークリスマス!」
サンタクロースの衣装を着たルビーが大きな袋を引きずってやって来る。
「はい。僕からのプレゼントだよ」
袋ごと置いて彼は出て行った。
「何だ? これは……」
ドロップスが袋を開くとそこには電極に巻かれたヴェルナーと書類が一緒に入っていた。その書類を見て驚く。
「これは……。すぐに逮捕状を取れ!」
内部が騒がしくなった。

 それから、マダム ローリエはすぐに釈放された。警察署から出て来た彼女にルビーが言う。
「メリークリスマス!」
そして、はっとする。
「母様……」
彼女は母の面影に似ていた。
「あの、どうかして……?」
彼女が訊いた。
「ううん。何でもないの。ただ……」
「ただ……?」
「一度だけ……」
そう言うとルビーは彼女に抱きついて言った。
「メリークリスマス!」
「メリークリスマス!」
彼女もそう言って微笑する。
「ジャックは無事だよ。昨夜、病院に運ばれたけど、命に別状ないって……」
「ありがとう。可愛いサンタさん」
そう言って彼女はそっとルビーの額にキスをする。
「ありがとう。さよなら、僕の……思い出のあなた」
言うとルビーは駆けて行く。

そこへドロップスが出て来て呟く。
「彼は本当は何者だったのか。複数の事件に関わる殺人鬼なのか、それとも、悪辣な犯罪者達から人々を救う天使だったのか」
「サンタクロース……」
彼女が言った。
「そうですね。世界中に奇跡を起こして回る……彼はそういう者だったのかもしれない……」
ドロップスが続ける。空からは雪が降り始める。

 そして、ゆっくりと舞台は回り、ギルフォートとルビーが歩いて来る。
「わあ! 雪だ。もみの木に雪が積もってる。やっぱり本物が一番きれいだね」
ルビーが言う。
「そうだな」
ギルフォートが答える。
「ねえ、サンタクロースってほんとにいると思う?」
唐突にルビーが言った。
「ん? いるから毎年、手紙を書くんじゃないのか?」
「うん。そうだよ。僕には最高のサンタクロースがいてくれるから……。今年もサンタさんはちゃんと来て僕の願いを叶えてくれた」
そうして、ルビーは自分がかぶっていたサンタの帽子をギルフォートにかぶせるとその頬にキスをした。
「ありがとう」
そして駆けて行く。ギルフォートはそっと帽子を取って呟く。
「メリークリスマス……」
――幕。

 それから、すぐに緞帳が開いて、出演者全員のカーテンコール。サイドにはクリスマスツリーが飾られ、ピアノの前にはルビーが座っている。そして、彼のピアノに合わせて全員でクリスマスソングを合唱。会場全体に降り注ぐ光のイリュミネーション。そして、サンタクロースの衣装を着た団員達が観客にプレゼントを配る。
「メリークリスマス! よい年を!」
最後は全員が舞台から降りて客達と握手して回り、後ろのドアを開放し、客達を見送る。
「これで劇団ヌーボークリスマス特別公演をすべて終了します」
アナウンスが流れ、皆、名残惜しそうに会場をあとにする。


 「クリフ、君の演技、すごくよかったよ。これでルビー役はハマリだな」
ダニールに言われて、彼はきょとんとした顔で見上げる。
「あの、僕、何かしたんでしょうか? あまり覚えていないんですけど……」
「覚えていなくたって構わないさ。舞台は成功したんだ」
ダニールは言った。が、彼の存在に脅威を感じている者もいた。
「おれ、ほんとに奴に殺されるかと思ったよ。マジぞっとしたぜ。台本に生かしたまま警察へ届けられると書いてあってよかったよ」
ヴェルナー役のフェリックスが言った。
「そいや、あの時、ピアノ線何処に付けてたんだ? 全然わかんなかったよ」
エルンストが言った。
「何処にどころか、付いていなかったんじゃ……」
ルイも言った。

「そうだよ。おれが外したんだ」
アーネストが告白する。
「何だって? 何故そんなことを……」
「ちょっと脅かしてやろうと思っただけなんだ。舞台で恥をかかせてやろうと……」
「アーネスト!」
ダニールが睨む。
「すみません。もう二度としません。あんな怖い思いをするんなら……。お願い。許して下さい。神様、仏様、クリフ様ぁ」
アーネストにしがみつかれてクリフは訳がわからず呆然としている。

「ほんとにわかってないのかね? あれ」
エルンストが言う。
「多分ね」
ルイも諦めたように言う。
「とにかく舞台は成功したんだ。よかった」
ダニールが満面の笑みを浮かべて言った。
「いいんですか?」
エリックが呟く。
「何だかわからないけど、僕は自分が怖い」
クリフが天井を見上げて言った。
「何はともあれ、メリークリスマス!」
ダニールが乾杯の儀を唱え、盛大にパーティーは始まった。

Fin