星空のミシェル
Prequel Ⅱ Cross――19才
Part Ⅳ
その夜。僕のプライベートルームに予期せぬ訪問者があった。しかし、僕はその男の顔をよく知っていた。
「エルバ、何だ? ノックもせずにいきなり僕の部屋に入ってくるなんて無礼だろう?」
デスクで電子回路の組み立てをしていた僕が振り向くと、彼はピタリと足を止め、銃口をこちらに向けた。
「何の真似だ?」
僕は椅子から立ち上がると男に詰問した。
「冗談にしては性質が悪いぞ」
しかし、彼は表情一つ変えずに言った。
「冗談などではありません。あなたは次期国王としての資格を喪失しました。皇太子失格です」
「理由は?」
「第一に、私の忠告を無視して、会ってはならない不穏分子と接触を続け、その人格に悪影響を受けました」
「ルディオ クラウディスのことか?」
「はい。そして、第二に、あなたは私に対して反抗的な態度を取った」
「そんなことは理由にならないだろう」
エルバの言い分は正当とは思えない。
「皇太子は近衛隊の傀儡にならなくてはいけないという決まりでもあるのか?」
「……」
彼は沈黙した。
「答えられないのか? ならば話は終わりだ。銃を収めて責務に戻れ!」
しかし、彼は硬直したように同じ姿勢でそこにいた。そして、静かに口を開いた。
「メルビアーナの王は何故世襲制を取らないのだと思いますか?」
「自明のことだろう」
エルバは頷いた。
「あなたは選ばれたのです」
「だから、自制しろと言うのか? 王を選ぶのは誰だ? 国民か? 官僚か? それとも一部の貴族を名乗る支配層か? 近衛隊もその一つだな。ならば、馴れ合いと利権の関係を生まないフェアな政治のために、議員や閣僚も一期ごとに総入れ替えをすることを提案する。僕が王になったら、実際にそうするつもりだ。無論、軍や近衛隊も例外ではない」
「私を排斥するつもりですか?」
「皇太子に銃を向ける反逆者が何を言うか! 貴様、この場で銃殺されたとしても文句は言えない立場だぞ」
彼の眉間に寄った皺が微かに震える。同時にトリガーに掛かった指が動く。僕は椅子を前方に向けてスライディングさせると、反対方向に跳躍して間仕切りの背後に身を潜めた。デスクの上にあった作りかけの回路と間接照明が砕け、太い木枠が燃えてテニスボール大の焦げ穴が空いた。あの場にいたら完全に即死していた。エルバは本気なのだ。
僕はベルトに装着していた護身用の銃を抜いた。間仕切りはラタンと布製。盾にはならない。彼が発砲してきたレーザーで数箇所が燃え、炭化した布が崩れた。僕はその間仕切りを蹴飛ばすとソファーの背後に伏せた。そこから何度か反撃を試みた。が、エルバは軍人。素早い動きと的確な攻撃に翻弄され、僕の攻撃はかすりもしない。が、それは彼にとっても同じことが言えた。僕にかすり傷さえ与えることができればこの勝負は終わる。けれど、僕はこんなところで人生を終えるつもりはない。
――誰も信じてはいけません
――シャルも?
――そう。このシャーロッテであったとしてもです。人は裏切るものです。長年かかって積み上げてきた信頼もたった一晩で覆ることだってあるのです。信じ過ぎてはいけません
どうしてだろうと思っていた。そんなことがある筈がないと……。しかし、起こりうるということだ。長年に渡って僕に仕え、信用してきたエルバが今、僕に対して銃を向ける。それが現実……。非情な現実なのだと認めなければならない。エホバの神の烙印は、その額に深い影を落とし、悲しき罪の陰影を刻むだろう……。
閃光が閃き、ソファーが炎に包まれた。
彼は火力の出力を上げてきた。いよいよ本気で僕を殺そうとしているのだ。僕はソファーの影から部屋の中央へと飛び出した。盾を失くした僕はエルバとまともに対峙した。背後には燃え盛るオレンジの炎……。ドアの前に立つ彼の瞳に映るのは獣のように蠢く灼熱の光……。僕達は銃口を互いの心臓に向け、指を引き金に掛けたままじっと相手を見据えた。
「何故こんなことをする?」
「あなたが裏切ったから……」
彼が答える。
「裏切り者はおまえだろう!」
指に掛かる圧力が重い。
「あなたがいけないのです。ずっと私の方だけを向いていてくださればよかったものを……ずっと手塩に掛けてきたのに……。ずっと……」
「エルバ……。おまえは……」
笑い声は天高く渦巻いて、狂気の音階を奏で始める。
「エルバ!」
赤いグラスが熱で弾けた。狂気を映した花びらのように……。
「ああ、他の者に渡すくらいなら、いっそ私の手で殺して差し上げる。そうすれば、永遠にあなたは私のものだ」
炎の陰影がちらちらと彼の表情を歪めた。
「や…めろ……!」
「私のものだ。永遠に私の手の中に……!」
エルバの指が引き金を引いた。同時に僕もトリガーを引く。瞬間。ダンッという弾かれたような音と閃光が部屋一面に広がった。それからどさりと重い音が響く。同時に外の空気が一斉に流れ込んできた。扉が開いている。そして、少年がそこに立っていた。
「スプリンクラーは?」
ルディオが言った。
「作動しないんだ」
「防火布は?」
「そこのカーテンが使える」
僕が言い終わる前にルディーはさっとそれを外して燃えているソファーに掛けて包んだ。延焼は最低限で食い止めることができた。でも……。
「エルバ……」
倒れた男にはまだ微かに息があった。
「エルバ!」
僕は彼の元に駆け寄ると跪いた。名前を呼ぶと微かに目を開けた。
「……どうぞ、善き王におなり…くださ…い……。ミ…シェル……あなたのこ…とが…す……」
「エルバ!」
絶命する寸前、彼は穏やかな表情を浮かべた。それは、僕が初めて彼に会った時に見たやさしさと同じ笑みだった……。
「ふん。しぶといな。首の骨をへし折ってやったのに……」
背後に立つ長身の影が言った。
「どけよ。そいつを始末してくる」
「始末って……」
僕は振り返った。
「そんなものがこの部屋にあったらヤバイだろう? ついでにそこの燃えカスも全部まとめて持っていってやるから、もし、まずいデータが残っていたら消去しておけ!」
「証拠を隠滅しようというのか? でも、これは正当防衛だ。そうだろう?」
僕は主張した。が、彼は反論した。
「くだらない裁判なんかで貴重な時間を取られるのは御免だ。おまえの権限で何とかしろ」
「ルディオ……」
少年は闇さえも支配していた。光と影……。それはまさしく表裏のものだ。そして、そのどちらもが同じ一つのものから生まれ出て同じ一つの運命を生きる……。この少年に掛かったらあのメフィストでさえ屈服させられるのではないか。
彼は異端だ。そして、僕もまた同じ異端を辿る者だ。
そして、その狭間で犠牲になってしまった彼、エルバ……。その距離は僅か1メートルもない。けれど、心の距離は1パーセクよりも遠い。禁断の中に訪れた沈黙……。僕は静かに頷いた。
「よし。なら、完璧に消してきてやる。おれと猫の手当てをしてくれたお礼に……」
そう言うと彼は闇のしじまに姿を消した。
――おれと猫の……
そんなの割が合わないだろう。
「ルディー……」
取り払われたカーテンの向こうから闇の光が差し込んでいる。
「君はどうして……」
これもまた僕のせいなのだろうか? 呪われた僕の因果……。何処までも拭いきれない緑の……!
――ミシェル……どうぞ、善き王に……
「エルバ……」
クロスした運命が二人の人生を大きく変えてしまった……! 重なり合った想いは窓の向こうで闇に呑まれた。エルバの後任はすぐに見つかるだろう。彼一人が僕の護衛に付いていた訳ではない。だけど、ルディーは? あの子はどうなる? 取り返しのつかない罪を負わせてしまった……。これもまた、僕が必要以上に彼に関わったせい? エルバの忠告を無視して……。だから、僕は罰せられたのですか?
部屋の隅に転がった僕の銃……。軽量小型の光線銃は改造されて、パワーを最大にすれば、厚い装甲でさえも焼き切ることができる。銃身はもう冷たくなっていた。僕は、それを手の中に包んだ。
――ミシェル
誰かが僕を呼んでいた。けれど、瞬間に囚われてしまった僕は振り返ることも、先へ進むこともできなくて、行き場を失った感情が心の奥で凍てついた。
「ミシェル……?」
空間が割れ、音もなく戻ってきた少年が言った。
「エルバを何処に置いてきた?」
僕は窓際に立って、闇を見つめたまま訊いた。
「心配するな。ちゃんと宇宙に還したから……絶対に見つからない原子の海に……」
「原子……?」
「ああ」
それは物質になる前の素粒子にまで分解したということなのか。それとも、何処かの遠い宇宙に還ったという意味なのだろうか……。その視線は、僕よりずっと高いところを見つめていた。
「間に合ってよかっただろ? 一瞬でもおれが来るのが遅れていたら、宇宙の歴史が狂うところだったんだ」
一瞬……。その一瞬にどれほどの重さがあったのか……。僕達は知っていた筈……。でも、失われた命は戻ってこない。エルバを殺したのは僕なのか。それともルディオなのか。どちらにせよ、僕達は命という闇の鎖で繋がれてしまった。決して逃げることのない黒い闇の鎖に……。
「歴史は信じないんじゃなかったのか?」
「おれは、自分とおれが信じる者を信じる」
何故、そうもきっぱりと言い切れるのだろう。還らない命を前にして……。僕だって人が死ぬのを見たのはこれが初めてじゃない。でも……。僕の中の赤い血が冷たい緑に侵されていく……。そんな幻想に囚われていた。命の灯火を消すことなどいとも容易い……。ならば、心が死ぬこともまた容易いことなのか? が、それは人類にとってはあまりに未知の領域であり、宇宙の闇よりもずっと深く生々しい場所に位置していた。
「君は……平気なの?」
「責めているのか?」
「そうじゃない。もし、あの時、君が殺らなければ、きっと僕がトリガーを……」
安全装置は外されていた。それはいつでも引くことができる。僕の手がそれを確かめる……。でも、あの時はエルバの方が早かった。本当なら僕が死んでいる筈だったんだ。この僕が……!
「ねえ、君が本気なら、今すぐ僕を原子分解することだってできるのでしょう?」
「おれが……怖いのか?」
そう問いかけてくる瞳が微かに震える。
「いや、違う。僕は、僕自身が恐ろしいんだ」
そう。僕自身の存在が他人を傷つけ、命を奪う。いつだって……。
「悲しいのに、涙が出ない……乾いてしまった……何もかも……」
僕は……空調の効いた部屋の中で、まるでスクリーンを通しているかのように、淡々と事実を見つめている自分が恐ろしかった。泣けない心が悲鳴を上げて、握り閉めた金属に鼓動が伝う……。
「ミシェル……」
「好きだったんだ。エルバのことが……」
撃ち抜くことができない心の壁に、僕は銃を向けたまま動けずにいた。
「忘れてしまえ」
彼は僕の手から取り上げた光線銃を念動で飛ばすとデスクに置いた。
「おまえは……何処にも逝かせない……!」
少年の声は少し擦れていた。
「ここに来る前、おれは愛する人を失くした……だから、おれは強くなろうと決めた。絶対負けない強さを手に入れて、それで……」
「ルディー……?」
蜃気楼の街に灯りが灯る……。
「今度こそ失くさない……! 絶対守る」
砂漠の街に降りしきる星の流れが、君の頬を濡らし、僕のそれに溶けて心に沁みた……。
「ミシェル……」
彼の唇がそっと僕のそれに触れた。強く抱き締めてくるその手が熱い……。僕達はずっと長い間孤独だった。失くした愛が沈むブラックホールで……。僕達は今、宇宙の神話を呼び覚まそうとしていた。
クロス……。
それはただ一瞬の奇跡。二人の運命が重なって、そしてまた、別れを繰り返す……。僕達は何度も交流を重ね、互いに友情を深めていった。
できることなら、もっと時間が欲しかった。でも、僕達に残された時間はもう一月もない。それでも、僕達が過ごした一月は、他の学生の4年間に劣るものではないと確信している。そして、ついに最後の夜が訪れた。僕達は並んで星を見ていた。すると、彼が唐突に言い出した。
「『惑星M』って話を知ってる?」
「何?」
僕が見上げると彼は微かに頷いて続けた。
「絵本だよ。地球にいた頃読んだ……。そこには緑の血を持つ超人だけが住んでいるという」
「緑の血……」
僕は驚愕した。何だろう? 僕はそんな内容の絵本を知らない。図書館にも目録でも見掛けなかった……。でも、緑の血の……。それは僕の血と何か関係があるのだろうか?
「不思議な話さ。でも、おれはずっとそこに行きたかった」
「何故?」
「そこでなら超能力を隠す必要がないだろ?」
ルディーはそう言うと淋しそうに微笑んだ。
「ルディー……」
やはり、彼は孤独だったのだ。
「でも、しばらくの間、そのことを忘れていた。ところが、ここに来た時、おまえの噂を聞いた。おまえとメルビアーナの……。それが惑星Mのことなんじゃないかと思った。メルビアーナは田舎で連邦にも所属してないし、国交さえほとんどないから、一般にはあまり知られていない。そうだろ?」
「ああ」
「だからさ。もしかしたら、おまえがその緑の血の超人なんじゃないかと……それを確かめたくて、あの時、おまえを林に呼び出したんだ。けど、おまえは赤い血の普通の人間だった」
「普通の?」
それは僕の心に新鮮な驚きを齎した。
「それで、君はがっかりした?」
彼は微笑して言った。
「……好きになった」
「ルディー……」
魅かれ合うものの正体を僕は見つけた。夜明け前の静かな時間。僕達は百年よりも長い時間を生きて、千年よりも凝縮した自分の生き様を話した。
「一緒に来ないか? おれと……」
暁に星が燃える頃、彼が言った。
「それができるなら幸せかもしれないね。でも……」
自由に生きる選択……。僕はそれを考えたことがなかった。
「やっぱり帰るよ、メルビアーナへ……。僕が生まれ育った星に……」
もう僕達の気持ちに迷いはなかった。
「そう言うと思ったよ」
その頬に差し込む光は外から来たものだったのか、彼自身のものだったのか定かではない。けれど、その黒い瞳は、これから未来へ向かう生気に満ちていた。
「おまえ、王には全然向いてないな」
ルディオが言った。
「でも、システムによって選ばれたんだ。最も王に相応しい適任者であると……」
そう反論する僕に彼は言った。
「そのシステムには欠陥があるな」
「わかった。それじゃあ見直してみるよ。僕が王になったら……」
「まあいいさ。けど、永劫回帰はやめておけ。あんなの読んでたら、絶対頭がおかしくなる」
「そうかな?」
「そうだ」
彼は頑固に言い張った。
宇宙にはたくさんの星が瞬いている。その一つ一つに暮らす人間とその運命を抱いて……。その運命の歯車の中で僕達は多くを学び、多くを失くし、そしてまた生まれては死ぬことを繰り返している。束の間の魂の邂逅と別れ…。
僕は彼のために3つの贈り物をした。
「何?」
受け取った彼が包みを開く。
「友情の証だよ。その紙はチャラのコーヒーレシピ。それと……」
紙の本は2冊。
「これって……」
1冊目はこの間、地下室で彼が見ていた本のコピー。
「その本は以前読んだことがあったから、僕が書き起こした。でも、見つからないようにね。それは本来持ち出してはいけない物だから……」
彼が頷く。それから次の本のタイトルを見て、少し首を傾げる。
「ああ、エントロピーの増減についての入門書。これなら、少し理解し易いと思う。君、物理は苦手? 水曜に手伝ってもらった部分だけど、悪いけど間違えていたから僕が修正しておいた」
「……」
むっとした表情の彼の肩に手を乗せて僕は笑い掛ける。
「ああ、気にしなくていいよ。あれって誰でも勘違いするんだ。けど、覚えておくと便利だし、応用半径が広いからやっておいた方がいいよ」
「わかった……」
それでも、彼は素直に頷くとにっと笑って言った。
「その代わり、おまえはカラーコーディネイトとネーミングのことをもっと勉強した方がいいぞ」
向こうからチャラがやってくるのを見て彼は念押しするように頷く。赤のボディーにオレンジとピンクのラインが暖色系のアクセントになっていて洒落ていると思うのだけれど、彼はもっとシックな色合いの方がロボットらしくていいと主張していた。
「わかった。心得ておくよ」
「ミシェル、そろそろ時間です」
チャラが顔面のモニターに予定を表示する。
「わかった。すぐに行く」
そうチャラに伝えると、僕はルディーと握手した。
「いつかまた、宇宙の何処かで……」
それから、最後に真実を伝えた。
「僕、本当は緑の血の末裔なんだ」
「え?」
少し驚いたような顔をして僕を見つめる。
「本当だよ。僕は生まれた時には、緑色の血をしていたんだ。今はもう違うけどね。近くにきたら、きっと寄ってね。メルビアーナに超人はいないけれど、きっと歓迎するよ」
そうして、僕はルチーナクロスをあとにした。
「ルディオ クラウディス……。またいつか会えるといいな」
宇宙港からは多くの学生を乗せたシャトルが飛び立っていく……。僕達の船はそんなメイン航路を避け、大きな衛星の裏側を抜けて静かに進んだ。惑星の重力圏を離れるとチャラが言った。
「星がたくさん……。きれいだよ、ミシェル。スクリーンを開放しますか?」
「そうだね」
ここは渦巻き銀河のほぼ中央。敷き詰めたように星がきらめいている。コクピット全体がスクリーンとなって投影された宇宙は、透ける銀河と遥かなる闇へと続く僕達の遠い未来を暗示しているようでもあった……。
Fin
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