星空のミシェル
Prequel Ⅱ Cross――19才

Part Ⅲ


深夜零時を過ぎていた。研究室では3台のパソコンが忙しく作業を続けている。ルディーと僕とチャラの3人はそれぞれの担当のデータを解析していた。
「ルディー、君はもう部屋へ帰って休んだ方がいいよ。明日も授業があるんだろう?」
「おまえは?」
「僕はもう少し続ける。きりのいいところまで仕上げてしまいたいから……」
「なら、付き合うよ」
「いいよ。君はもう十分過ぎるほど手伝ってくれたもの。あとは僕の仕事さ」
「でも……」
「帰るんだ。これは命令だ」
軽く睨んで強く促す。

「残る」
彼は逆らう。
「何故?」
「興味がある」
「何に?」
「おまえに……」
「僕を研究データにしようっていうのかい?」
モニターの中に流れる文字列の中に、少し不機嫌そうな彼の表情が混じる。
「卒論に相応しいテーマだろ?」
ルディオが言った。
「卒論?」
彼は今年入学したばかりだ。それは少し早計だろう。

「1年で終わらせるつもりだから……」
彼はぼそりと言って僕を見た。
「おまえがいなくなるとつまらない」
「そんなことないさ。面白い授業だって沢山あるし、興味深いデータもここになら数多く蓄積されている。使い方次第で得るものが相当あると思うよ」
「必要ない」
彼は頑固だった。
「まあ、君がどうしてもそうしたいと言うなら、別に大学に残れとは言わないけど……」
確かに1年で履修を終えて出て行く学生もいなくはない。僕だって幾つかの学部は一年足らずで履修した。でも、僕はもっと幅広く知識を吸収したいと願ったからここに残っているのだ。スキップ組の子供達の多くはそうだ。といっても、僕ほど多岐に渡る学部に所属し、在学中に複数の博士号を取得した学生は前代未聞だということだったけど……。

他人は僕のことを特別だという。でも、僕としては納得がいかない。僕はただ自分がやりたいことや興味があることを学んだだけ……。何も他の人と違ったところなんてない。なのに、他人はいつも僕を特別視する。それは、僕の大学での実績のことなのか。僕がメルビアーナの皇太子だからなのか。それとも、僕が緑の血の子供だったからなのか? 僕の背後には常に監視者が目を光らせている。エルバをはじめとする近衛隊の者達だ。僕はもうすっかり慣れたけど、他の学生達にとっては違和感があるかもしれない。それでも、ここではすっかり有名人の僕に対して、皆が親切にしてくれる。でも……。ルディオ クラウディス。君のようなタイプは初めてだ。

「僕も、君にはとても興味があるよ。でも……今日は遅いし、また明日、ここで会おうよ」
彼は返事をしなかった。
「約束したろう? 僕の命令を聞くって……」
モニターには星図が映し出されていた。それを見つめていた彼が訊いた。
「メルビアーナってどんな星?」
「きれいな星だよ。温暖な気候と青く澄んだ海洋に囲まれた大地。資源にも恵まれている。主な産業は農業、水産、それに天然ガスや鉱石などの採掘。自給率100%の小さな独立国家さ」
「そうじゃなくて、人とか……」

「人口は1,748万人。出生率は2.3人。平均寿命は82.1才。産まれてから死ぬまでの間に掛かる費用のうち、医療費、学費、住宅費や光熱費など基本的な経費についてはすべて国が税金で賄っている。だから、国民は好きな職業に就いて働き、得た収入の17.5%を税金として支払い、残りの賃金で食費や娯楽費などに充てている。
悪くはないシステムだろう? でも、僕が王になったら、税金を今の半分に抑え、労働時間の短縮も行おうと思っている。それに、育児や介護がやりやすくなるような環境と人員も配置する。それに娯楽施設ももっと増やさなくちゃ……。施設の安全対策も強化し、いざという時の防災用のシェルターや緊急避難用の船も建造して……」

「理想的過ぎるな」
彼が言った。
「そんなに国民を甘やかしてどうするつもり?」
「甘やかす? そんなつもりはないよ。僕は国民一人ひとりが快適で幸せな人生が送れるように努めるだけ……」
「財源はどうするんだ?」
「それは既に用意してある。僕がここにいた間に取った特許で成果が上がってきているんだ。それを投入すればかなりの改革ができると思う。なるべく、国民に負担を掛けずに国をよくしていこうと思っている。メルビアーナは絶対王政の星だけど、王室はより国民と共に在りたいと願っている。常に庶民の目でその立場になって考えなければ本当によい国は作れないからね」

それは単なる机上の空論ではない。僕が綿密に練り上げた国の統治と運営に関する事項の一部を要約したものだ。けれど、ルディーはその考えについて賛成できないようだった。
「そんなにその星や民が大事?」
彼が訊いた。
「大事だよ。場合によっては僕自身の命より……。そういう教育を受けてきた。でも、それは強制ではない。人間としてそう在るべきだと僕自身が判断したからこそ、それを選択するんだ。人間としてより正しいと思う道をね。そうだ。君、天文学に関心ある?」
僕は時計を見て言った。1時12分前。もうすぐ偏光星RH2749の軌道が観察可能域に入る。彼が頷いたのを見て、僕は席を立った。
「おいでよ。僕の星を見せてあげる」


RH2749は僕がここに来て間もない頃見つけた珍しいタイプの偏光星だった。南西の空に浮かぶ十字架の星……。それは、僅か142秒の間だけ重なり、フラッシュして離れる。軌跡のような光の十字架……。光の強さが偏光しながら互いに公転を繰り返している恒星。それは本当に美しい宇宙の宝石のようだった。
「ああ、それ。ミシェルの十字架と呼ばれている星だろ? 噂で聞いたよ」
「ただのクロスだよ」
「でも、みんなが言ってた。あれはミシェルの星だって……」
「それは、僕が発見したからだろう?」


僕達は研究棟の屋上に出た。設置された小さなドーム。そこに僕の望遠鏡がある。
「おいでよ。ここは僕専用だから誰もいないよ」
本格的な大きな設備は天文台にある。必要があれば、僕もそちらに行くけど、ちょっとした観察ならば、ここで十分できる。
「ドームを開放しよう。今日は空が澄んでる」
闇を埋めるように大小様々な星が瞬いていた。今の時期は数多くの星が観察できる好機なのだ。そして、そこで繰り広げられる天文ショーの数々……。その一つが、クロス……。僕の星だ。

「想像してたより美しい……」
彼が言った。
「それに、ここは星がたくさん見える」
瞳に浮かんだ一瞬の憧憬の光……。
「君の星からじゃ見えないの?」
「ああ……。こんなには見えない。地球は大気が淀んでいるから……」
「君は地球の出身?」
「ああ。そんなに長くはいなかったけど……地球は好きだ」
「メルビアーナも地球に似てるよ。海と陸の比は8対2で、植物の品種や石の建造物なんかが地球の中世期に盛んだった都市構造に近い。童話の挿絵のような街なんだ。いつかおいでよ。歓迎するよ」

「その星はここから見える?」
「いいや。あまりにも小さくて遠い星だから……でも」
「それは確かに存在している」
二人の声が重なった。僕は微笑し、彼は真面目な顔をして言った。
「消えるなよ」
物語の筋に重ねてルディオが言った。
「心配してくれてるの?」
そう。確かに僕にとっては敵が多い。それに、改革を進めるには保守派の連中も黙っていないだろう。そして何より、メルビアーナは差し迫った大きな問題を抱えていた。惑星周期による地殻変動と太陽活動の変化による気象の異常。そして、磁気嵐の膨張。それをどう乗り切るか。王としての最大の正念場になるだろう。国民はまだ誰もその真実に気づいてはいない。閉ざされた情報の中で彼らは生きている。だからこそ、僕は多くの外の情報を持ち帰り、国民のために尽くさなければならない。それが王としての責務だった。

「大丈夫。僕にはまだやらなくてはいけないことが山ほどあるんだ。王となり、メルビアーナの統治者として……」
「王として? なら、おまえ個人の幸せは?」
「国民みんなの幸せが僕の幸せなんだよ」
「それでいいのか?」
「ああ……」
頭上で星が瞬いていた。その光の尾が重なって小さな十字架のように見える。それは僅か一瞬の奇跡……。この星の本体は既にない。もう七千年も昔に滅びてしまっているのだ。今、僕達が目にしているのは光の痕跡。そこに生物は存在していたのだろうか? そして、文明はそこに栄えていたのか……。今では誰も知る由がない。そして、僕達が住む星もいつかそんな風に滅びていくのかもしれない……。

「嘘をつけ!」
彼の手がいきなり僕の頬を打った。
「ルディー……」
僕は驚いて彼を見た。
「そうやっていつも自分をごまかして何になる?」
「ごまかす?」
「そうだ。強過ぎる抑制は精神を崩壊させる。おまえだって言ったじゃないか。心はそんなに強いものではないって……」
ルディーの言いたいことはわかる。でも、今はそうするしかない。

「ねえ、考えてごらんよ。僕達はあのクロスと同じ。一瞬だけ重なって、また遠ざかる。でも、またいつか必ずクロスする時が来る」
「実体のない残像にか?」
「いいや、もちろん実体はある。けど、すべてのものは一瞬にして生まれ、一瞬にして死んでいく……。そして再び、瞬間に生まれ、瞬きする間に散っていく……。過去も未来もなく、今、この一瞬がすべてなのだと思える。どれほど今が愛しくて、どれほど今が大切だったとしても、次の瞬間には再度無と同じ。僕らは宇宙に溶けていく……。この雄大な生の営みの中へ……。
僕達は宇宙の中の1個の細胞。宇宙は僕らと共に思考する。そして、その細胞もまた有限であり、無限なんだ。もしも、今、僕が死んだとしても悲しむことはない。僕はもう一度生まれ、君に出会うだろう。
僕は一つであり、全部でもあるんだ。君もまた同じ。僕と一つであり、全部でもあるのだから、僕達は互いを一人ではない者として認識できる。喜びも悲しみも共有すべきものとしてそこに存在し、もしくは何もないのと同じことなのだと知る……ねえ、僕達は互いに求め合って出会った魂なのかもしれないって思わない?」

「なら、超えてみないか? おれと……」
「君と?」
「そうだ。おまえほどの才能のある奴が何故辺境にある田舎の星のために働かなきゃならないんだ? おまえはもっと中央へ出るべきだ。銀河の中枢に……」
「それは……できない。これまで僕を育ててくれた星やそこに住む人々の期待に答えなければいけないから……。僕は彼らによって自由に学ぶための時間を与えてもらった。だから、国に帰ってその分恩返ししなきゃね」
「ミシェル……」
彼の背後で星が瞬いていた。僕達のクロスはもう見えなくなってしまったけれど、宇宙の闇は何処までも深く心の奥へと繋がっていた。

――なら、超えてみないか? おれと

それができたらどんなにか素敵だろう。僕は夢を見たかった。けど、管理された眠りは僕に夢を見ることさえ許さない。どんなに早くキーボードを叩いても、僕の心に追いつけない。心はずっと霧の中を彷徨している。何故今になって僕達は出会った? モニターの中に同じ文字列が続く……。心が乱れる。もう時間がないのに……。
「ミシェル、心拍数が上がっています。少し休憩してください」
チャラが言った。
「ありがとう。そうだね。ココアを入れてくれる?」
「わかりました」

――ツァラトゥストラ? そいつを書いた奴は気が触れてたんだぜ

「ルディー……」
確かに、ニーチェが辿った思想へのプロセスはそうだったのかもしれない……。狂気の果てに辿りついた扉……。その向こうには何があるのか? 光か? 闇か? 現実という黒い鎖でがんじがらめにされた精神を解き放つための宇宙か……。彼以降にも様々な考えをもつ思想家や哲学者が数多く現れ、そしてまた消えていった……。人はそうして多角的な方面から心について議論し、解き明かそうと努力してきた。が、結局のところ何一つ解明できてはいないのだ。一体何処からきて、何処へ還っていくのか? 人の心の在り処さえ、人はまだ真実を見出せないでいる。物理でも化学でもない何かが星を生み、宇宙を構成しているのかもしれない。人は人という概念に縛られ過ぎているために、真実を見出さないでいるのではないか……。人はもっと自由になるべきなのかもしれない。そう。僕は翔べる……。

翔 べ る……。

片羽を失くした蝶は花の上。そっと乗せてやったのに……。蝶は死んで土の上。蟻が死体を運んでいった……。それは自然の摂理です。でも……。僕はもう、とっくに狂っているのかもしれない……。あの時から……。シャーロッテ……。君をなくしたあの時から……。きっと僕が守るって約束したのに……。

――ここは危険です。お逃げください!
――でも……
――言うことをお聞き入れください。あなたはこのメルビアーナにとって大切な方なのです。だから、どうか……!
――シャル!

その時、放たれた一発の銃弾が僕と彼女との運命を隔てた。彼女は僕を庇って撃たれた。もし、あの時、僕が彼女の言うことをきいていたら……自分の非力さを自覚していたならば、彼女をあんな目にあわせずに済んだのだ。そして、今も彼女は眠っている。冷たい冷凍睡眠装置の中で……。そして、そのカプセルは今、僕の宇宙船に収容されている。本当の意味で彼女が目覚めるその日まで……。

人間にはどうしても超えられない壁がある。人間という強固な壁が……。皆がその壁の中で生き、多くの人は壁があることさえ気づかないでいる。僕は時々、その壁を見上げてはため息をつく。透明なその壁の向こうに広がる世界を手に入れたくて……。そっと手を伸ばしてみる。暗号の解き方はわかっているのに、僕はそのキーを押せずにいる。時間という危ういラビリンスの中で人は何処を目指しているのだろう。そして、僕は何処へ行きたいと願っているのか? 永劫回帰の波の中、無限に埋もれていく小さな魂よ。僕は果てない者へと呼び掛ける。いつか共に旅立つのだと……。


1週間はあっという間に過ぎた。僕はプライベートルームにルディーを招いた。もっと彼と話がしたかったし、彼に僕のコレクションを見せたかった。
「ガラクタ集めが趣味なのか?」
彼は相変わらず愛想のない感想を述べた。ガラクタといえばガラクタかもしれないが、それは歴史的にも価値のある物ばかりだった。金属製の玩具や民芸品、機械仕掛けのからくり人形……。僕は趣味でそんな研究もしていた。中には部品のない物や塗装が剥がれ、壊れたままの旧式ロボットなどもあったが、それはそれで愛嬌のある物たちだ。
「このミニチュア玩具。ブリキの車は地球の物だよ」
しかし、彼はそれらにはまるで無関心だった。

「おれが感心を持っているのは生きている人間。そして、今の社会や政治の仕組みだ。そんな子供だましの玩具や死んでしまった歴史じゃない」
「でも、歴史を知ることは大事だ。今という社会は昔を生きた人々が蓄積した知恵の上に広がっているのだから……」
「だが、人はいくらそんなものを習ってもそこから教訓や反省を得ようとはしない。人は歴史から何も学ばない。それは、今現在にしか感心が持てないからだ。が、おれはあえてそれを支持する。それは、未来を作るためにだ。でも、それは今さえよければそれでよしといった排他的な考えとは違う。そして、おまえの言う一瞬の原理とも合致しない。未来は永久不滅に進んでいく。おまえは何処かに果てが存在していると信じているようだが、おれに言わせれば意味がない。そんなものみずからの手で突き破ればいい。そうじゃないのか?」
「それで、突き破った外にはどんな宇宙が広がっているの?」
「これからそれを作るのが、おれ達の仕事だろ?」
何という豪胆さ。強靭な肉体と精神を宿している14才の少年。ルディオ クラウディス。これまで僕が出会ってきたどんな人間よりも、彼は特筆に値するだろう。そして、僕達にとって、忘れ得ない事件が起きたのはそれから間もなくのことだった。