ダーク ピアニスト
〜練習曲4 人形遣い〜

Part 3 / 3


 「ルビーを見ませんでしたか?」
遅れて来たジェラードにギルフォートが訊いた。
「いや。いないのか?」
「ええ。先にホテルへ帰ると言って出たんですが……」
外はもうすっかり夜の帳に包まれている。ルビーの放浪癖はいつもの事だったが、今回は事情が違う。昼間もあんな事があったばかりだ。ルビーは明らかに狙われている。その正体もまだハッキリしない。
「もう一度その辺りを見て来ます」
と言ってギルは部屋を出て行った。


「チャオ! ギル。今晩どう?」
ホテルのラウンジで赤毛の女が声を掛けて来た。が、彼は軽く手を振って言った。
「悪いな。今夜は古傷が痛むんだ」
「あーら、妬けるわね。どんな可愛い子の爪跡かしら?」
「古傷と言ったろう? 君のセクシーな小指には叶わないさ。後で連絡する」
と女の耳に囁いて別れた。
「チャーオ! 待ってるわ」
軽く投げキッスをして女は彼を見送った。ギルフォートはそのまま外へ出る。もうホテルの中は隈なく探した。後は外しか考えられない。夜風が冷たくなって来ている。
(風邪を引かなければいいが……)
ちょっとした事ですぐに熱を出す彼の体質をギルは熟知していた。

「古傷か……」
彼は開いた胸のシャツを掻き合わせてふと空を見た。
「風が沁みるな……」
そこは南の筈なのに、やけに温度が下がっている。が、それだけではない何かを彼は肌で感じていたのかもしれない。
(ルビー……)
ギルフォートの胸には3本の傷が今もくっきり残っている。あの時、ルビーが付けた傷だ。他に彼の体にこれ程の傷を付けた者等いない。あの光の爪は何だったのか、未だにその正体はわからない。ルビーの超能力の一つの変容でしかないのだ。が、それは、当の本人に訊いたところで上手く説明は出来ないだろう。そして、ギルフォートにもそれは不可能だった。人間の能力はまだ未知数なのだ。

ギルフォートは地元のフランクフルト大学を卒業した後、パリ大学に留学した。そこでは、主に言語学並びに心理学を専攻し、研究成果を上げた。けれど、それとて、現実とはまるでかけ離れていた。過去の学術書に頼るより、目の前にいるルビーを観察した方が余程有意義な研究になりそうだった。しかし、彼は学者を目指していた訳ではない。ましてや論文で身を立てようとも想わない。出来る事ならルビーの存在をなるべく世間から隠しておきたいと思っていた。それは、彼らが所属している『グルド』という組織の性質上の事でもあり、個人的にも彼を世間にさらして傷つけられるのは我慢できなかった。結果として、ルビーが望むようなコンサートは難しく、彼のピアノの才能を眠らせてしまう事になるかもしれない。が、それでも、彼自信の人格が崩壊するような事態になるよりずっとましだと思うのだ。弱くて傷付きやすい者の中にこそ、真に美しいものが隠されている。なのに、世間はそれに気がつかぬまま、無神経に踏みつけて乱暴に扱って枯らしてしまう。傍若無人なその振る舞いのせいでどれだけの人が傷つき、世に生み出される筈だった芸術的価値のある物が誕生する前に潰されて行ったことだろうか?

世の中は常に強い者が勝つように造られている。だが、本当にそれでよいのか?
彼は、ずっと強くなりたいと願った。そうすれば、父や母、それに弟を失わずに済んだのではないかと……だから、彼は努力し、力を手に入れた。しかし、それが本当に全てなのか? 力さえあれば、本当に幸福になれるのか? 家族を失わずに済んだのか? ルビーは、何を想っているのか? 死んでしまったミヒャエル……今も組織の中で生きているルビー……この二人の運命を隔てた物は何なのか? ギルはずっと見守って行きたいと願った。その先に待ち受ける残酷な運命にはまだ気がつかぬまま……。
(ルビー……)
繁華街に続く路地の入り口に流れて来る風は冷気の中に生暖かい不吉さを運んで来た。ギルフォートはまた悪趣味な過去の風を感じて顔を歪めた。


 それは、彼がパリの大学に留学している時に起きた。ルビーと出会ってから既に3年の月日が流れていた。その間に様々な試行錯誤の末に編み出した訓練が功を成し、それなりの成果を上げていた。射撃の腕も超能力もある程度コントロール出来るようになった。体力的にはまだまだだったが、それは地道に作り上げて行くしかない。それに、今ではすっかりギルフォートの事を信頼していたし、彼が作ったカリキュラムをきちんと消化していた。エスタレーゼも協力してくれていたので、ギルは安心して大学に行く事が出来た。そして、週末や休暇になると彼は様子を見に戻って来た。そして、全てが順調に進んでいたと想っていた矢先、それが起きた。久々の長期休暇だった。が、戻ってみるとエスタレーゼが泣きながら電話を掛けて来た。ルビーがケガをして病院へ運ばれたと言うのだ。急いで駆けつけると事態は深刻な事になっていた。

「わたしを庇ったのよ! それで、ルビーが……! フィリップやヤンに酷く殴られて……。他に全部で5人いたわ。ルビーは何もしなかったのに、押さえつけて、よってたかってみんなで暴行を加えたの……! ルビーは悪くないのに……!」
取り乱しているエスタレーゼを落ち着かせ事情を訊き出す。だが、ギルは納得が行かなかった。
(何故だ? 奴の力ならたとえ相手が5人だろうと7人だろうと関係ない。何故奴は力を使わなかったんだ)
エスタレーゼが人質にされていたのかもしれない。だが、そういう時にもどうしたらいいか、それを回避し救出する方法を彼は知っていた筈だ。少なくともルビーの能力なら出来る筈だ。なのに、何故そうしなかったのか? ギルにはどうしても納得が行かなかった。緊急手術の後、医者は厳しい顔で言った。
「出来る限りの処置はしました。後は彼の生命力に賭けるしかありません」

(バカが……。こんな事で死ぬな! おまえは、まだ、やっと歩き始めたばかりなんだからな)
せっかくここまで育てたものを、ミヒャエルが掴めなかった未来を、ルビーには掴んで欲しかった。たとえ、その未来が闇と血に塗れ、泥沼でもがく事になったとしても……生きていれば必ず、その先に繋がる光がある筈なのだ。
(だから……死ぬな!)
白い毛布に包まれてルビーは何の夢を見ていたのだろう? 時折指を動かして微かに笑う。そして、どれ程の時間が過ぎた頃だろうか? 彼は薄っすらと目を開けて言った。
「約束……」
「何?」
「あなたと約束……し…たから……ぼく……あの力は使わなかったよ……どんなに殴られても……超能力は使わなかったん…だ……ねえ、ぼく……偉かったで…しょ……?」
「ああ……」

不安定な瞳……。消え入りそうな声……。
「それで?……ご褒美は何が欲しいんだ?」
感情が詰まるのを言葉で押さえ、ギルはなるべく平静を装って訊いた。そんな彼の顔をじっと見つめてルビーが言った。
「ぼくが……欲しいの…はね……」
瞳を閉じ、酸素マスクの中で微かに動く唇の動きを、ギルは必死に読み取ろうとした。
「本当に欲しいのは……」
しかし、ルビーの意識はそこで途切れ、また昏睡状態に陥った。
「ルビー……」
彼の容態は全く予断を許さなかった。

 「貴様ら、留守の間におれの人形を随分可愛がってくれたようだな?」
ルビーを拷問した連中を突き止め、ギルはそれ相応の制裁を加えた。命までは奪わなかったが皆、傷や骨折で2、3ヶ月は復帰出来ないであろう程に……。
「今はこれくらいで済ませてやる。だが、ルビーにもしもの事でもあってみろ。全員地獄へ送ってやる」
そのせいでギルはルビーの事であらぬ噂を立てられたが彼は気にしなかった。以来、ギルフォートは、皆から『人形遣い』と称される事になったのだ。

幸い、ルビーは翌日目を覚ました。
「ギル……」
ベッドサイドに彼を見つけてルビーは軽く微笑んだ。そして、言った。
「ご褒美くれるって言ったでしょう?」
「ああ」
と彼は頷く。
「何が欲しい?」
「頭……」
「ん?」
「ぼくの頭をね……撫でて欲しいの……」
そう言うルビーの意識は再び眠り掛けていた。ギルはそっと彼のそれに触れるとやさしく撫でてやった。

(おまえは……愛情が欲しかったのか……)
訓練の度、褒美として与えて来たいろいろな物。飴やチョコレートや着せ替え人形……。彼が望み、欲しがる物を餌にしてずっと訓練を続けて来た。犬をしつけるように彼を仕込み、成功したと想っていたのだ。だが、もしかしたら、それは根本から違っていたのかもしれない。犬は褒めてやれば喜び、物を与えれば忠実に動く。けれど、ルビーは人間だ。犬ではない。
(なら、どうすれば……?)
ギルの中で強い葛藤が生まれた。だが、彼は感情に流される事を好まなかった。だからこそ選んだ彼の道……それは、ルビーという人形を最大限に活かし、彼を育て上げ、より強力な関係を築く事……。そして、ルビーと自分自身の未来を開く……。『人形遣い』として生きる意志を強く固めた……。


 「ねえ、ホントに? 母様に会わせてくれるの?」
とルビーがうれしそうに訊いた。
「ああ。会わせてやるとも。いい子に付いて来たらな」
大柄なロシア人のイワンが言った。
「生きてるって本当? それで、母様は何処にいるの?」
「日本に」
「日本? わあ! 僕、日本にはまだ一度も行った事がないんだ。でも、やっぱり一度は行ってみたいんだ。だって母様が生まれた国だもの。ねえ、すぐに行ける?」
「ああ」
「でも、ジェラードやギルに黙って来ちゃった。心配するかしら?」
と不安そうな顔をする。
「大丈夫さ。連中にはもう話がついてる」
「ホント? なら、いいんだね」
とルビーはニコニコとして車に乗った。それを見てイワンは、こいつは本当に知恵のない哀れな奴だと見下した。もし、抵抗し、騒がれでもしたら、薬を使ってでも強引に拉致するつもりだった。が、簡単な餌でヒョコヒョコ付いて来るのだから拍子抜けした。

車が繁華街を通り掛かった時、ルビーがいきなり窓を開けて手を振った。
「あ! ブライアンだ!」
彼は赤毛の美女といい感じになっていたところだったが、不意に名前を呼ばれて驚いた。
「ルビー! 何処へ行くんだい?」
「日本! 母様が生きてたんだ! だから、僕、これから会いに行くんだよ」
とうれしそうに笑っている。が、すぐに運転席の男が窓を閉め、車は猛スピードで走り去って行ってしまった。
「日本だって? これからって、おまえ……」
ブライアンは何となく腑に落ちなかった。
「どうしたの?」
女が絡み付くような視線で訊いて来る。
「いや。何でもない。さあ、それより、もっと静かな場所へ行こうか? 大人を酔わせる夢のプレイランドへ……」
と女の腰に腕を回す。そして、二人は、雰囲気のいいホテルへと入って行った。

 そのブライアンから連絡を受けてギルはすぐに後を追った。
――隣に乗っていたのはイワンだ。間違いない
「イワンか……」
そいつには覚えがあった。
「チッ! ロシアのブタ野郎が……!」
それは、元『グルド』のメンバーであり、それでなくとも、ちょっと特技のある者の名はすべて網羅している。特にブライアンは闇の世界では情報通だ。そして、ギルフォートも……。彼は車を追った。
――坊やは日本へ行くんだって言ってたぜ。母親が日本で生きている事がわかったから会いに行くんだと言っていた
背後でシャワーの音が響いていたが、いつもの事なので彼は気にしなかった。

「それにしても、日本だって? ふざけやがって……」
ギルは悪態をつきながらアクセルを吹かした。
(ルビーの母親はあの時死んでるんだ。遺体は確かに日本の遺族に引き取られたと聞いている。それを……)
何が目的か知らないが、ルビーを騙したことには変わりない。そこまでして連れて行った目的は何だ? すぐに殺すつもりではない。何かの取引にでも使おうというのか? それにしても、やり口が汚かった。それが嘘だと知った時のルビーの泣き顔を思うと胸が痛んだ。
「くそっ……!」
その卑劣さがギルをいつになく感情的にさせた。


 「連れて来たぜ、フィリップ」
イワンが言った。そこは街外れの倉庫だった。街灯が一つ二つあるだけの暗く寂しい場所である。倉庫の中には何人かの人がいて、重機や荷車、それに木箱が積まれていた。
「ご苦労」
と言って男が振り向く。目の鋭い威圧的なその男はルビーに近づいて言った。
「ようこそ。ルビー ラズレイン。我が愛すべきお人形ちゃん。おれの事を覚えているかい?」
「知らないよ。そんな事よりここは何処なの? 飛行機は? 僕を日本へ連れて行ってくれるんじゃなかったの?」
周りの様子にルビーが怪訝そうな顔をして訊く。
「連れて行ってやるともさ。仕事が済んだら……」
「仕事って?」

「ジェラードやマルコがここで大掛かりな武器の取引をするんだ。それをこっちにも少々回してもらいたいのさ。坊やの口利きでね」
「僕はそんなの知らないよ。それに、ジェラードは僕が言ったくらいじゃ仕事のやり方を変えたりしない」
「変えるさ。お気に入りの坊やの命と引き換えならば……」
フィリップが合図すると屈強な男二人がサッとルビーを両脇から抑える。
「何をするの? いやだよ! 放して!」
ルビーが喚いた。が、男達はガッチリとその腕を押さえて放さない。
「随分忘れっぽいようだから思い出してもらおうかな?」
フィリップは醜悪な笑みを浮かべて動けない彼の顔を殴り、足を蹴った。
「痛いよ! やめて! どうしてそんな事するの?」
泣きそうな顔で訊くルビーに右手を突きつけて言った。

「これを見ろ!」
その手には小指と薬指がなかった。
1、アインツ 2、ツヴァイ ドライ ……これじゃ、足し算が出来ないね」
ルビーが目を見開いて言った。
「黙れ! これもみんな貴様のせいだ!」
「僕の? 何故……?」
「4年前、おまえを痛めつけた時だ! あの後、ギルフォートがおれ達に制裁を加えた。その時、おれは2本の指を失い、ヤンは杖なしでは歩けなくされた」
「僕、知らないよ、そんな事……」
「知らないだろうさ。その頃、おまえは病院のベッドでぬくぬくおネンネしてやがったんだからな! いっその事あの時殺しておけばよかったんだ。結局、あの後ジェラードに知れておれ達は左遷され、組織にもいられなくなった。全てはおまえが原因なんだ。ジェラードやギルのお気に入りの人形でしかないおまえがおれ達の人生を狂わせたのさ。だから、きっちりと責任をとってもらう」
と皮肉な笑みを浮かべる。

「責任って?」
「ジェラードの取引を潰し、恥をかかせてやるんだ。それに、ギルフォート グレイス。奴を地獄に送ってやる。お人形ちゃんと一緒に……」
憎しみがこもっていた。が、ルビーはフッと微笑して言った。
「出来ないよ」
「何……!」
「だってギルはあなたよりずっと強いもん」
「貴様っ……!」
フィリップが怒りで頬を染める。そして、もう一度ルビーを殴りつけようと襟ぐりを掴んだ時だった。いきなり倉庫に車が突っ込んで来た。外壁を壊し、重機や人や積み荷を跳ね飛ばし、キキッと彼らの眼前で止まった。

「ギル!」
ルビーが叫ぶ。彼はゆっくりと車から降りて来て言った。
「ルビー! こんな時間まで何をしている? 夜遊びは禁止だと言ってあるだろう?」
そんなギルフォートの言葉に逆切れしたフィリップが
「撃て!」
と命じた。すると、数人の男が拳銃を抜いた。そのうちの何人かが彼に向けて発砲したが、ギルは冷静に一人を撃ち、二人を蹴り倒すとその手にチョップを叩き込んで連中の銃を叩き落とした。
「フィリップは舌打ちするとルビーのこめかみに銃を突きつけて言った。
「そこまでだ! いいか? 少しでも動いてみろ。こいつの頭をぶち抜くぞ!」
フィリップの言葉にギルフォートの動きが止まる。
「よし! そこから動くな! そして、銃を捨てろ。こっちへ投げて寄越すんだ。いいな?」
が、ギルフォートは動かない。

「何をしてる? グズグズするな! こいつがどうなっても構わないのか? おまえの大事なお人形ちゃんなんだろ?」
と、突然、ルビーがケラケラと笑い出す。
「何だ? こいつ、狂ったか?」
「アハハ。ごめん。何だかこの間観たギャング映画みたいだなって思って……。でも、映画の中のギャングの方がおじさんよりずっとカッコよかったけどね」
「ふざけるな!」
フィリップは逆上し、ルビーを殴りつけた。口の中が切れて血が滲んだが、両腕を押さえられているので拭う事が出来ない。ルビーは上目遣いに男を見て言った。
「どうして殴るのさ? そんな素敵な銃を持ってるのに……そうか。おじさん、銃の使い方を知らないんだね?」
フィリップの血管が波打った。そして、トリガーに掛かった指に力が篭る。ルビーはチラと男の肩越しにギルを見て言った。

「今日は、もう、我慢しなくていいんだよね?」
ギルが頷く。と男がトリガーを弾くのと同時だった。ルビーの全身がカッと光に包まれ、弾丸を弾いた。そして、彼を両脇で抑えていた男二人も飛ばされた。正面で尻もちをついて唖然としているフィリップの手から落ちた拳銃を取り上げてルビーが言った。
「知らないなら、僕が教えてあげようか? 銃はこうやって使うんだよ」
と構えると後方の積み荷の影から狙っていた男を撃った。
「くそっ! 殺れ! 殺っちまえ!」
フィリップが喚く。たちまち、ルビーと男達5人の銃撃戦が始まった。フィリップもさっきギルフォートに撃たれた男の手から転がった拳銃を手に撃って来た。が、ルビーは軽くかわして身軽に跳んだ。そして、物の影に潜んで確実に敵を仕留める。

「あと2人……」
ギルフォートは車に寄り掛かるとタバコを加えて高見の見物を決め込んだらしい。時折飛んで来る流れ弾を余裕でかわし、じっとルビーの動きを観察している。
(後はフィリップ、奴一人……)
ルビーは支柱の影から相手の様子を伺った。
1、アインツ 2、ツヴァイ ドライ ……)
間合いを計って飛び出すと双方の銃口からシュバッと火花が散った。が、ルビーの方が一瞬早かった。銃弾はフィリップの左胸にヒットした。その巨体が倒れるとルビーはフーッと小さく息を吐いた。とその時、

「上だ!」
ギルが叫んだ。
高く積まれた荷の上から銃口が彼を狙っていた。振り仰いだ瞬間、ルビーは男に向けてトリガーを引いた。が、
「弾がない……!」
カチっと空しい音がして手応えを感じなかった。と、同時に空気に振動が伝わって相手の銃が火を噴いた。
「わっ……!」
体勢を崩しながらもルビーは腕をクロスして光のシールドで弾を防いだ。そして、次の瞬間には自分も大きくジャンプすると男が乗っていた位置まで跳んで蹴りを入れ、持っていた銃で相手を叩いた。
しかし、男もなかなかしぶとく、二人は積荷の上で格闘になった。ルビーは空の銃を投げ捨て、相手の銃を奪おうと押さえ込んだ。が、男は壁に向けて発砲し反動でルビーの手を突き放した。飛ばされて彼が立ち上がろうとした時、再び発砲。が、ルビーは足元にあった箱を投げつけ弾丸を防いだ。と、その箱が砕けて落ちる。一瞬視界が塞がれ、互いの様子が見えなくなった。次の瞬間。ルビーが足元の箱を蹴り崩した。男がバランスを失したその時、ルビーは肩から男に体当たりして突き落とした。男はそのまま数メートル下のコンクリートの床に叩きつけられ、もう動かない。そこへルビーもストンと飛び降りて報告した。
「終わったよ」

ギルは、黙ってタバコの火を靴先で踏み潰すと言った。
「無駄な動きが多過ぎる。それに、弾の数は常に頭に入れておけ」
「わかった……」
と言ってルビーは僅かに首を竦めた。それから、うれしそうに彼の側に来ると礼を言った。
「ありがとう」
「今回は特別だ。いつも助けが来るとは限らない」
とギルフォートは言ったが、ルビーは首を横に振って言った。
「ちがうよ。4年前の事……。あの時、僕の事で連中に復讐してくれたんだね。ありがとう」
「だから、いつもそうとは限らないと言ってるだろうが……」
「でも、とてもうれしい」
と言ってギルの腕に抱きついた。
ギルは勝手にしろといいた気な態度でそっぽを向いたが無理にその手を払おうとはしなかった。

と、ふと、向こうで倒れている男を見て、ルビーは慌てて駆け寄った。
「イワン!」
そう言って男を揺する。
「無駄だ」
ギルフォートが来て言った。
「もう、その男には聞こえない」
それは、最初にギルに撃たれた奴だった。
「どうして? 僕、この人に訊きたい事があったんだよ」
「訊きたい事?」
「うん。母様の事。イワンは僕の母様が日本で生きてるって言ったんだ。もしかして何か知っていたかもしれないんだよ」
「僕を日本へ連れて行ってくれるって言ったんだ。母様に合わせてくれるって……」

しかし、ギルフォートはその肩にそっと手を置いて言った。
「それは、みんな、おまえを連れ出す為のガセネタだ」
「でも……」
ルビーは諦め切れないような目で言った。
「わからないじゃないか!」
「ルビー……」
「だって、日本は、うんと遠い海の向こうにあるんでしょう?」
「ああ……」
「だったら、わからないじゃない! あの時、母様は死んだと僕は思ってたけど、本当は誰かに助けられて生きていたかもしれない……それで、日本に帰って、今も日本で生きて、僕の事ずっと待っててくれてるかもしれない……そうでしょう?」
「ルビー……」
「僕、きっと日本へ行くよ。そして、自分の目で確かめるんだ」
以来、ルビーの日本に対する憧れの気持ちはより強くなった。いつか日本へ……その一心で彼は今まで以上に日本語の勉強にも励んだ。しかし、実際に彼が日本の地を踏んだのは、それから10年近くも後の事になる。


 「ジェラード。今回は私が不在にしていた間に随分迷惑を掛けてしまったようだね」
主催者のマルコがようやく帰って来たのは表彰式の当日だった。
「今回は優勝賞品とは別に特別な副賞として、坊やにも褒美の品をヘリコプターに搭載しておいたよ。これは、私のポケットマネーから……。その代わり、今度はぜひ、私的なゲストとして招きたい。私邸の方に来てくれないか?」
と視線は完全にルビーとギルフォートの方に向いている。
「坊やを連れてかい?」
「ああ。あの子、ピアノが上手いんだってね。ぜひ、一度この耳で聴いてみたいんだ。いいだろう?」
「ああ。ルビーに訊いておくよ。ピアノが弾けるとなったらあの子は喜んで行くだろう」
と二人は談笑した。

「結局、優勝をさらわれちまったな」
ブライアンが言った。
「運がよかったのさ」
とギル。
「で? おまえのお人形ちゃんは何処に行ったんだい?」
「キャンディーを買いに行ってる」
「キャンディーだって?」
「この間食べ損なったからってさ。性懲りもなく、また買いに行ったんだ」
「ハハハ。正しく飴と鞭って奴だな」
「そう簡単な物でもないんだがね」
と苦笑するギルにブライアンが言った。
「ま、それ相応。やり甲斐もあるってもんさ。がんばれよ。人形遣いさん」

と、そこへルビーが帰って来て言った。
「全部売り切れてた!」
「全部?」
「うん」
と泣きそうな顔で言う。
「なら、別の店に行けばあるだろう。駅に行ったら買ってやる」
ギルフォートに言われ、パッと顔を輝かすルビーを見て、ブライアンは笑いながら言った。
「いいね。麗しき師弟愛」
「どういう意味だ?」
二人は不満そうに言ったが、ブライアンは軽く手を振る。
「ハハ。そろそろ時間だ。それじゃ、おれは行くよ。元気でな。ギルの可愛いお人形ちゃん」
と、頭を撫でられ、ルビーが不満をもらすが、すぐに笑顔で見送った。それから、ジェラードに呼ばれて皆そちらに行った。ギルがもらった賞品のヘリコプターを見に行こうと言うのだ。そして、ヘリポートに来た。


「何だ? これは……」
その賞品を見てギルフォートは絶句した。クールで武骨な迷彩ヘリの中はキラキラとした明るい色彩の物でいっぱいになっていた。それこそ、どの窓からも溢れんばかりにだ。
「わあ! イチゴキャンディーだ! それに、お人形もいっぱいある!」
それを見てルビーは大喜びだった。
「これは、みんなマルコおじさんからのプレゼントだよ。坊やががんばったご褒美だって……」
とジェラードが言った。
「ありがとう!」
と言ってルビーははしゃいだ。
「それで、後でおじさんの家に遊びに来て坊やのピアノを聴かせて欲しいってさ」
ジェラードの言葉にギルフォートはちょっと神経を尖らせたが、ルビーはニコニコと頷いて笑った。
「もちろんだよ。早く行こう! ねえ、ジェラード」
明るい陽光に照らされてルビーは未来を見つめ、大きなヘリコプターいっぱいに積まれたオモチャやキャンディーのようにキラキラとした明るい夢を見ていた……。

Fin.