RUBY
〜練習曲2 遺書〜
Part 3 / 3
空港のカウンターで、ルビーは交渉をしていた。
「申し訳ございませんがお客様、本日オーストリア行きの便はすべて満席になっております。どうしてもとおっしゃるのでしたらキャンセル待ちをしていただくしか……」
感じのいい受付嬢が丁寧に応じた。
「それじゃ困るんです。僕はどうしても今すぐにウィーンに行かなくてはいけないんです。何とかなりませんか?」
ルビーは食い下がったが、彼女はにべもなく言った。
「どうおっしゃられても本日の便をお取りすることはできません」
「ケチ」
ルビーがぼそりと呟いた。が、彼女は無視した。
「すみません、28日のパリ行きのチケットはまだ取れますか?」
脇から体格のいい婦人が首を出す。
「ええ。まだございますよ、マダム」
受付嬢は愛想よくその婦人の希望を訊いた。
「まだ僕の要件が済んでいないのに……」
ルビーの言葉に受付嬢はちらと彼を見て言った。
「キャンセル待ちの手続きはそちらのカウンターでできますので……」
「わかりました」
ルビーは仕方なく後ろに下がった。
婦人は派手な色の花柄のワンピースを来て、ブランドの大きなロゴが入ったバッグを持ち、でっぷりとした体にたっぷりと香水を振りかけていた。ルビーはその匂いに噎せた。
「ふう。あの巨大なお尻、僕の3倍はありそうだ」
彼は人々が行き買うロビーで途方にくれた。チケットを取るにしてもいろいろと書類に書き込まなくてはならないのだ。いつもなら、そんな煩雑な手続きはギルフォートが済ませてくれた。しかし、今日はその彼もいない。
「僕一人で何とかしなきゃ……」
空港に来る前、彼は大使館に寄って証明書を発行してもらった。それで荷物はフリーパスだ。グルドの組織は様々な機関と密約を交わしている。そうして互いの融通を利かせてもらう代わりにそれぞれにとってメリットのある仕事をするのだ。
ルビー自身がそういった手続きを実際におこなったことはなかったが、ロンドンやパリでは長く滞在していたこともあって、大事な連絡は何処の誰にすればよいのか把握していた。そして、相手の方でもルビーの顔を覚えてくれていた。彼らもまた闇のコンサートでルビーのピアノの腕を買ってくれている者が多かった。
アルモスに連絡を取ると彼は大層喜んでくれた。到着時間がわかればウィーン空港まで迎えに行くと言ってくれたのだが、肝心の目安がまるで立たない。
「どうしよう。早くしないとギルに見つかっちゃう」
ルビーはきょろきょろと人混みを見まわした。すると、そこでまた知っている顔を見つけた。ウェーバー医師だ。彼は別の男性と話をしていた。
「ドク!」
ルビーが手を振る。と、彼もこちらを見て笑った。
「それじゃ、気をつけて」
相手の男に別れを告げるとルビーの方へ近づいて来た。
「お早う。君も今日発つのかい?」
ウェーバーが言った。
「うん。でも、急だからチケットが取れなくて困ってるの」
「チケット? キャンセル待ちかね?」
「はい」
ルビーが頷く。
「そうか。1枚だけなら何とかなるんだが……」
医者は困ったように言う。
「1枚? チケットは1枚だけでいいんです。どうにかなるんですか?」
ルビーが興奮して訊いた。
「ああ。さっき私と話をしていた男なんだが、急に奥さんが産気づいてね。一度パリに戻ってから出直すことになったんだ。それで今、ウィーン行きの便はキャンセルしようとしていたところさ」
「そのチケット僕に譲って下さい」
ルビーが言った。
「ああ。ちょっと待って」
ウェーバーは急いでその男のあとを追い掛けた。
幸いなことに面倒な書類はすべてウェーバーが代筆してくれた。それでルビーは無事に機上の人となった。
「向こうでは確かにアルモスが待っているんだね?」
医者が念を押した。
「うん。間違いないよ」
ルビーはご機嫌だ。
「本当にギルフォートはあとから来るって言ったの?」
「うん。急にお仕事ができたから先に行けって……」
医者は小さくため息をついた。が、出発前にルビーは確かにアルモスと電話で話していたようだったので、それ以上のことは聞かなかった。手続きを済ませるとすぐに搭乗時間になってしまい、確認を取る時間がなかったからだ。そして、ルビーは飛行機に乗るとすぐに眠ってしまったのでほとんど情報が得られなかった。
飛行機は何事もなく、ウィーンに到着した。発着ロビーでは確かにアルモスが彼を迎えに来ていた。
「やあ。ウェーバー先生と一緒でしたか。なら、安心だな」
そう言ってアルモスはルビーの頭をぐりぐりと撫でた。
「もう、そんなに強く撫でないでよ。髪がぐちゃぐちゃになっちゃう」
ルビーがガラスに映った自分を見ながら手櫛で直す。
「悪いな。だが、今日はあの生意気なギル坊やがいないからな。思い切りはめを外そうぜ」
アルモスの言葉に医者が眉を顰める。
「こらこら、無茶はいかんよ。ルビーはまだ体調がよくないんだ。くれぐれもワインを飲ませ過ぎたりしないようにね」
「わかってますよ。目的はベートーヴェンの資料館なんだ。安心して下さいよ」
それを聞くと医者は納得し、二人に別れの言葉を言って空港を出た。
ハイリゲンシュタットは本当に美しい街だった。ベートーヴェンが好んで歩いたという小川のある散歩道。なだらかな丘と葡萄畑。空の色も明るい気がした。資料館ではベートーヴェンの遺書のコピーがあって、それをアルモスが読んでくれた。
「きっと彼も孤独だったんだね」
ルビーが言った。
「愛されたいのに愛されなくて、きっと彼も孤独だったんだ」
「おまえはどうなんだ?」
アルモスが訊いた。
「僕は……」
そう言い掛けてルビーは口を噤んだ。大らかな声で鳥が歌う。何処までも広がるこの空の自由を讃えるように……。
「自由……」
糸が切れた操り人形のように、彼は空を見上げた。
アルモスがおすすめのホイリゲはワインだけでなく、料理も上質だった。自家製のハムやチーズ、もぎたての野菜。夕方にはちょっとした演奏会も行われた。そこにピアノはなかったが、ルビーも一緒に歌を歌ったり、樽で作ったドラムを叩かせてもらったりして満足した。
「どうだ? 最高だろ?」
アルモスが訊いた。
「うん。ここは空気もきれいだし、いい気分だ」
ルビーはもう何杯目かわからなくなってしまったワインのお代わりをした。その頬は薔薇色に染まり、瞳は潤んで光を帯びた。
空には星が二つ三つ挨拶代わりに覗いている。火照った体に夕暮れの風は心地良かった。
「アルは知っていたの?」
ゆったりとした時間を歩きながらルビーが訊いた。
「何を?」
「ブライアンのこと……」
「ああ……」
アルモスはそこらの葉をちぎると唇に当てた。そこから洩れる高い草笛は何処か繊細な音がした。そんな男の向こうに、細い三日月が上る。
「僕ね、ギルと一緒に湖水地方へ行って来たんだ」
「湖水地方?」
月は男が手にした緑の葉に似た形をしていた。
「まえにドイツで見た絵と同じだったよ。あそこは本当に絵本の中みたいだった。でも、そこは透明で人間が踏み込んではいけない世界のようだった。ブライアンはもうそこへ逝ってしまったんだね。僕の手の届かない処へ……」
ルビーが言った。その視線の先にはただ漆黒の闇……。風がそよそよと草を揺らしていた。
それからしばらくの間、二人は無言で歩いていたが、不意にルビーが言った。
「アルにはわかるの?」
男が振り向く。
「何がだ?」
「運命がだよ」
「何故そんなことを訊く?」
「僕に金貨をくれたでしょう? あれのおかげで僕、命拾いしたんだ」
ルビーは真面目だったが、その言葉を聞いて男は笑った。
「いや、偶然さ。ただ、あの時はそんな気がしたんだ。これはおまえが持っていた方がいいってな」
目の前を飛ぶ羽虫の行方を目で追いながら男はぼそりと言い訳した。
「……何もかもわかってた訳じゃない」
そうして彼は真剣な顔でルビーを見つめた。ワインの甘い香りに混じって、男の体からはぷんと絵の具のにおいがした。
「おれは、確かに本性を描く手を持っている。好むと好まざるとに関わらず、キャンバスにそれを映し取ってしまう。そのせいで散々な目にも合ったし、人間の醜さも知った」
そこでアルモスは持っていた草の葉を絵筆に見たて、宙に何かを描くとほいと何処かに投げ捨てた。
「それで人間が嫌いにならなかったの?」
ルビーが訊いた。
「ああ、もちろん大嫌いさ」
男が言った。が、すぐにそれを笑い飛ばして付け加えた。
「だがな、所詮、人間なんてそんなもんだろう? いじましくて利己主義で馬鹿馬鹿しいったらありゃしねえ」
「馬鹿馬鹿しい?」
「そうさ。小さなことで悩んだり、傷付いたり、泣きながら必死に地べたを這いずり回ってる。貴族だろうとホームレスだろうと、人間であることを越えられない以上、同列の存在でしかないのによ」
「同じ……?」
「そうさ。だが、おれは人間を平等に愛せなんて言ってるんじゃないんだぜ。おれは我がままだからな。嫌いな者は嫌いだし、おれを嫌っている人間は大勢いる。だが、おれはおれだ。他の誰にもなれやしねえ。このままのおれを見て、認めてくれる人間とだけしか付き合おうとは思わねえ。ま、こんなおれを好きだと言ってくれる物好きな人間は滅多にいねえけどな」
「僕は好きだよ」
ルビーが言った。
「ありがとよ。だが、そんなこと言う奴は相当変わってるってことなんだぜ」
「僕って変わってる?」
「ああ。他とはまるで違う」
「違うの?」
それを聞いてルビーは暗い顔をした。が、その背をばんっと叩いて男は言った。
「落ち込むな。それがおまえの個性なんだろ? おまえには他の誰にもない魅力がある。自信を持てよ」
「でも、いつもうまく行かないんだ。アルは僕の服の下の傷を知ってるでしょう?」
そう言うと彼は上着を脱ぎ、シャツのボタンを外した。月光に照らされてその肢体が淡い紅色に染まる。痛ましいと言ってしまえばそれまでだった。が、それはあまりにもリアルであり、凄惨で美しい。聖なる者の刻印だと画家は思った。
「このせいで、僕はいつも傷付いていた。そう。みんなこの傷のせいだと思い込んでいたんだ。けど、実際は違った。僕の心の中に潜む獣が僕の身体をも醜くさせていたんだ。僕は歪んでいた。いつも誰かを憎んでた。僕にないものを持つ人すべてを羨んだ。僕は自分が特別なのだと思ってた。僕だけは何をやっても許されるのだと……。でも……」
「でも?」
「ある日気づいたんだ。本当のことに……」
ルビーはゆっくりとボタンをはめた。
「誰も何も言ってくれなかった。許されているのではなく、無視されて……。もしくは差別されていたんだ。そんなことにも気がつかず、僕はグルドで人殺しを続けた」
「だがそれはおまえの心の正義にのっとってだろ?」
ルビーが頷く。
「おれはモラリストでも、ヒューマニストでもないから、はっきり言うが、世の中にゃ殺してやりたい奴なんかいくらでもいるぜ」
「でも、アルはそうしないでしょう?」
「おれは臆病だからな。さっさと逃げちまうんだ」
「臆病? アルが?」
信じられないといった顔でルビーは男を見つめた。
「でも、そうなんだ。人間なんて一人一人はみんな弱い存在なのさ。強そうに見えてもそいつは虚勢を張ってるだけさ」
「ギルも?」
「そうだ」
「そうかもしれないね。そして、僕も……」
ルビーはそう言うと微かに笑った。
それから月を見て言った。
「あの月、アルにもらった金貨に似てる……」
「こうして見るとやっぱりいい女がいるように見えるな」
「それにウサギさんも」
「ウサギ?」
「日本では月にはウサギが住んでるんだって……。昔、母様から聞いたんだ」
「ウサギか……」
アルモスはじっと目を細めて月を見たが、そこにウサギがいるとはどうしても結びつかなかった。
「ねえ、ベートーヴェンもあの月を見たかな?」
「多分な」
「それであの月光の曲を作ったのかな?」
「さあな」
静かでやさしい1楽章。その穏やかさの中に潜む熱情……。滾るエナジーの爆発とも思える3楽章。迸る感情。隠し果せない怒りと悲しみとそして苦悩……。愛を模索し、愛を愛し、愛を蹂躙する獣のように……。
(僕は僕の心臓を引き裂いてしまいたい! 罪の咎であるこの爪で……。赤いどろどろとした怨念と共に……すべてをさらけ出してしまいたい……)
「おまえは馬鹿じゃねえよ」
アルモスが言った。
「おれが知ってる誰よりも、おまえは物事の本質を理解してる。そうだろ?」
「それは……」
開き掛けた唇の上に涙が流れる。
「ねえ、アル。紙と鉛筆、貸してくれない?」
ルビーが言った。
(すべては手遅れ……)
アルモスがそれを渡すと彼は真剣な顔で何かを書き始めた。が、数分もしないうちにルビーは鉛筆を置いて言った。
「やっぱりうまく書けないや。手伝ってくれない?」
「ああ。構わないが……。何を書くんだ?」
「遺書」
一瞬だけ男の目に鋭い光が走ったが、すぐに鉛筆を持ち直してルビーが話し出すのを待った。
「うーん。やっぱりベートーヴェンのようには書けないね」
長いこと時間を掛けて言葉を紡いでいたルビーが顔を上げて言った。
「そうか?」
「アルモスはそれをもう一度黙読しながら言った。
「それで、こいつをどうするんだ?」
「僕が死んだらギルに渡して……」
「渡してって、おめえ、本気で自殺しようとしてんじゃねえだろうな?」
「本気だよ。でも、今はもう眠いし、明日にはまた美味しいワインが飲みたいな。ベートーヴェンだって遺書は書いても死ななかったでしょう?」
そう言ってルビーは笑った。
「まあな。それじゃあ、そろそろ宿に戻るか。もうすっかり明け方だ。ウェーバー先生が知ったらどやされそうだ」
二人は小さな宿でツインの部屋に泊った。
朝。カーテンの隙間から光が漏れていた。小鳥の声も騒がしい。アルモスは眠い目をこすりながら枕元の時計を見た。
7時半を過ぎていた。彼は大きく伸びをするとベッドから起き上がった。見ると隣のベッドにルビーの姿がない。
「あいつ、こんなに早く何処へ行ったんだ?」
急いで着替えを済ますと彼はルビーを探した。階下へ降りて宿屋の主人に尋ねてみたが、今朝は誰も姿を見ていないと言う。
結局、建物の中にはいなかった。近くを散歩しているのかと思い、周囲の道を探して見たがやはり何処にもいない。アルモスはもう一度部屋に引き返すとルビーの荷物を点検した。そこには彼の携帯が残されていた。
「まさか……」
胸騒ぎを覚えた。アルモスは昨日書き取ったメモを調べた。彼自身が書いた文字にあとから付け足したらしいサインとさようならの文字が飛び込んで来た。
「ルビー……!」
アルモスは急いで部屋を飛び出そうと扉を開いた。いきなり誰かとぶつかった。
「てめえ」
アルモスが怒鳴った。
「朝から騒々しいな。ルビーは何処だ?」
銀髪の男が訊いた。
「どけよ」
アルモスが言った。
「まだ質問に答えていない」
「それどころじゃねえ。これを見ろ」
男の目の前にメモを突き出した。
「ルートビッヒ フォン シュレイダーだと? 何の真似だ?」
「何の真似だと? おまえが奴を追い詰めたんじゃねえのか?」
「追い詰めただと? 人聞きの悪いことを言うな。第一、これは貴様が書いたものだろう。ルビーにこんな文章が書ける筈がない」
アルモスは思わずそのメモをギルフォートに叩き付けた。
「言葉が通じないのはおまえの方だな。このトーヘンボクめが! 本当に大事なものが何なのかもわからずにボケっとしてるから失くしちまうんだ! もしもあいつに何かあったら許さねえからな! 覚えとけ!」
そう言うとアルモスはドアを足で蹴りつけると男を突き飛ばして出て行った。
「何もかも知っていたと……?」
ギルフォートはもう一度その紙を。
「人形でいることにもう飽きた……?」
何かが胸に突き刺さった。その時、ポケットの中で携帯が震えた。それはジェラードからのものだった。
その頃、ルビーは丘の上にいた。昨日歩いた小道や葡萄畑が見える。教会の鐘の音が風に乗って聞こえた。
「そうか。できれば教会に寄ってから来るんだったな。そこでオルガンを弾かせてもらえばよかった」
彼は心の中で自分のために讃美歌を演奏した。それは厳かに始まり、静かに人生を謳った。
目の前を光が通り過ぎた。それは木の葉の間から射し込んだ木漏れ日だったのか、枝から飛び立った鳥の羽ばたきだったのかわからない。が、彼はそれに向かって両手を伸ばした。月はとっくに傾いて沈んだ。代わりに今は明るい太陽の光に満ちている。その光の中に幻想を見た。
「母様……」
幻を求めてふらふらと前に出る。
――ルビー
誰かが彼を呼び止めた。それは母の声ではなかった。彼ははっとして辺りを見回す。他に人の気配はない。ギルフォートもここまで追い掛けては来なかった。
「僕は自由……」
彼はポケットの中から拳銃を取り出した。その足元にぽとりと何かが落ちる。ルビーはそれを指で摘んだ。
「薬……」
そういえば昨日は一度も薬を飲まなかったことを思い出した。
「今飲んだ方がいいのかな?」
が、そこに飲み物は持ち合わせていない。彼はそっと薬だけをポケットに戻した。
「ベートーヴェンは朝の光を見て自殺を止めた。けど、僕にとって朝の光は眩し過ぎる……」
彼は片手を額に当てて光を避けた。
「だから、逝くよ……」
そうして彼はゆっくりと銃口を自らのこめかみに当てるとその引き金を引いた。
銀色の光がちかりと光った。丘の上の木の根元だ。そこに立つ人影……。その手に握られている銀色のそれはルビーのM649に違いなかった。
「ルビー!」
アルモスは全力で丘を駆けた。静かな街に銃声が響いた。その音に周囲の鳥が一斉に飛び去って行く……。
「ルビー!」
大声で叫ぶ。アルモスは全力で頂上まで登るとそのままの勢いでルビーに激突し、彼を抱き締めたまま転倒した。反動で握り締めていた銃がルビーの手から落ちて転がる。
「アル……」
ルビーが驚いてその顔を見つめる。
「どうして……?」
「馬鹿野郎が……!」
アルモスが怒鳴りつけた。そして、半身を起こすとルビーの腕を引っ張って引きずり起こした。
「ここで何をしようとしてた?」
アルモスが唸るように訊いた。
「自殺……」
「おれはそんなことをさせるためにおまえをここに呼んだんじゃねえぞ!」
「わかってる」
ルビーは言ってゆっくりと立ちあがった。
「いいや、わかってねえ! 自分が何者なのかも知ろうとせず、勝手に死のうなんて思うな!」
「でも、僕は死ななかった……」
「それじゃ、さっきの銃声は何だ?」
「知らない。僕の銃は弾が出なかった。ジェラードは僕に余分な弾を持たせてくれないんだ」
「辺り前だ。こんなことをやらかすようなガキに実弾なんぞ持たせてたら危なっかしくてしょうがねえ。ごっこ遊びにもほどがあるぜ」
「ごっこ遊び? そうだね。引き金を引いたのに弾がなかったなんて……お笑い草だよね」
そう言うとルビーは笑った。その頬に流れる光を、アルモスは聖なる泉の光だと思った。
「行こう。だけど、ワインは今日もアルのおごりだよ」
「ああ。ありったけのワインを飲んでいやなことなんかみんな忘れっちまえ! 不安なこともみんな!」
アルモスが陽気に叫んだ。
(そうだね。けど、僕にとっていやなことって何だろう? 不安に思うことって……)
微かな胸の痛みが麻酔のように彼の思考を麻痺させた。
それから二人は丘を下り、教会の前を通ってホイリゲに向かった。そこで簡単な食事を出してもらい、ワインを飲んでいるとだんだん人が集まって来た。ルビーは冗談を言っては陽気に笑っていたが、人々の噂話に耳をそばだてた。朝、見知らぬ外国人のグループが、一人の男を襲撃したというのだ。
「その銀髪の男が滅法強くてさ、強者の男共をあっと言う間にやっつけちまったんだ。相手は銃を持っていたんだが、そいつは素手でな。最後に一発敵から奪った銃でボスらしい奴を仕留めたんだけど、そりゃあまあ、アクション映画みてえで格好よかったぜ」
「ギルだ……」
ルビーが呟く。
「おい、帰りたくねえならおれが奴に話をつけてやるぜ」
アルモスが囁く。
「うん……」
ルビーはジョッキに残っていたワインを一気に飲み干すとけらけらと笑い出した。
「白ワイン美味しいね。僕は赤のが好きだったんだけど……。ねえ、僕にもっとお代わりちょうだい」
明るい調子でジョッキを差し出す。そこへまた新たな客が入って来た。
「おい、銀髪の男だ」
騒がしく飲んでいた客達が一斉に注目する。その男は数歩だけ歩むと言った。
「ルビー、もうワインはいいだろう。来い。帰るぞ」
それだけ言うと踵を返した。ルビーは黙って男の背中を見つめていたが、彼が店を出るのと同時に席を立った。
「おい、行くのか?」
ルビーが頷く。
「糸が繋がった……」
ルビーが言った。
「あと少しだけ僕はあの人に繋がれていたい……」
張り詰めたロープの上を歩くようにルビーは安定した足取りで出て行った。
「ギル!」
ルビーが呼ぶと男は足を止めて彼を見た。
「ごめんなさい。僕……」
「言い訳なんぞするな」
そう言うと彼はまた歩き出した。
「でも……」
ルビーが慌ててあとを追う。その横顔に反射する光。そして、男はもう一度振り向くとポケットからメモを取り出して渡した。それはアルモスが投げつけた遺書の草稿だった。
「これって僕の……。どうして?」
その問いには答えずに男は言った。
「ワインは赤のビンテージにするか?」
「うん。でも、何故?」
「おまえが無事だったことへの祝福と感謝のために……」
「ギル……」
ルビーの目に映るそれは、かつてベートーヴェンが見たそれよりも深く、光に満ちた希望を抱いて、信頼すべき銀色の光と共に進むべき道の先を照らし続けた。
Fin.
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