ウーニャの恋


第4話 ウーニャ、うぬぼれるの巻


 ウーニャはセクシーに言ってみた。
「もう時間だ、ぼくは行くよ」
『行かないで、お願い!』
「駄目だ、愛しの君よ。ぼくが行かないと、人類が滅びてしまうんだ!」
『人類よりもあなたが大事よ!』
「ナメクジやザリガニさんも滅んでしまうんだ!」
『ナメクジよりもザリガニよりも、あなたが大事よ!』
ウーニャもその時ばかりは、身長180前後の大層なイケメンになっていたが、相手役の女性の方はもはや元のそれからはかけ離れ、およそ誰だかわからない何だか残念な美女となっていた。
「リーガさん」
とウーニャがその人を呼ぶと、その謎の女性は彼の背中にすがって半泣きしながら言う。
『行かないで、ウーニャさん。私、あなたにもしものことがあったら、生きてゆかれない……』
ウーニャは思わずうるうるした。
「ぼくもです! リーガさん!」
と叫んだ直後、目の前にあったのは見慣れた御来光と洞窟だった。

――夢?

ウーニャは目を覚ました。リーガはいつの間に起きたのか、相変わらず鎌を研いでいた。
「ねえ、リーガさん、リーガさん」
「どうした、ナマコネコ」
「ぼくたち、けっこんしましたよね」
「は?」
「夢……? がっくし!」

 そんなこんなでいつも通りの朝を向かえたその日は、いつも通りの日となるはずであった。ただ一つ、この家にやってきた、新しい家電を除いては。今回に限っては、昨日、設置はちゃんと業者に依頼した。エアーコンディショナーの時の自分たちとは違う、てきぱきとしたプロの対応を茫然と眺めつつ、二人は顔を見合わせて、今度こそは凄いものだろう、と頷き合った。そして、二人は今日、新しく備わったその文明の利器を惚れぼれと見つめて午前を過ごし、そのまま午後に突入した時、事件は起こった。

 テレビでは今、昼メロをやっている。ウーニャは小さな身体を怒りで震わせていた。
「まったく! 悪い男ですね、こいつ!」
と、ただでさえデカイその目をギンギンにしていた。
「ウワキしたのに他人のせいにするなんて、見下げ果てたおバカさんです!」
「それにしても」
とリーガは言った。
「我らが洞窟にもいよいよテレビと付属アンテナが備わった。着実に人間どもの生活に適応してきているな」
そう言って、満足そうな顔でまん丸いアンテナを凝視している。二人は今朝からずっと、こうしてテレビの前で文明生活ごっこを満喫していた。

「ところで、ウーニャ。今朝の怪人は誰だった? この女か?」
「へ?」
「ピンクとレッドはどこ行った? いつになったら、決着が着く?」
「……多分、番組変わってます」
と恐る恐る言うとリーガの目が鋭くなった。
「なぜ変わった? まだ話にキリが付いていないだろう!」
「来週になったら、またあの戦いの続き、始まりますよ」
「何だと、奴ら、一週間も準備体操してるのか?」
ウーニャは開きかけた口を、ふっと閉ざした。
(ああ、愛しいリーガさん、多分あなたはテレビの見方、よく分かってない……)
そして、この場は慎重に切り抜けなければ、と思った。

「じゃあ聞くが」
とリーガは不機嫌に言った。
「今テレビの中にいるこいつらは何なんだ?」
「お昼のドラマ・『背徳のメルトラヴ』の主役さんたちです」
「ふん! キ―キ―うるさい奴らだ!」
と顔を背けた。ウーニャは説明を試みる。
「そりゃ、浮気されたらこうなっちゃいますって。彼女の愛はそれだけ愛が深いんです。なのにこの男の人がおバカで、意味がうまく伝わらないんです。このしがらみが面白いドラマなんです!」

その時、ピピンとウーニャの心に悪い妄想が走った。
「ふっふっふ」
と小さな口を細めて笑う。
(もしもぼくがウワキしたら、彼女は嫉妬してくれるだろうか。もしかしたら、テレビのあの女の人みたいに、キイーッて怒ってくれるかもしれないぞ)
ウーニャは目をらんらんと輝かせ、わくわくしながら聞いてみる。
「リーガさん」
「何だ?」
「もしも、ぼくがウワキしたらどうします?」
ウーニャはリーガの肩の上で身体を持ち上げ、じいっとアイコンタクトをとった。が……。

「ウワキとは何だ?」
「もう、じれったいなぁ! ウワなキになっちゃったり、キがウワになっちゃったりすることですよ!」
「なるほどな、そいつはいかにも馬鹿らしい。だが安心しろ、おまえは元から馬鹿だ」
(ひどい)
とウーニャは瞳を震わせた。
(おバカおバカ言われつづけると、コトダマの力でほんとにおバカになってしまうのに。子育て番組だってそう言ってるのに。まずいぞ。現に彼女にバカって言われたせいで、何だかぼく、ほんとにバカのような気がしてきたぞ……)
と彼はおろおろと右往左往した。外では鳩がポッポと鳴いていた。

「ぼくは〜……」
とウーニャが劇的にしゃくりあげた。
「ただ、ただ、あなたが好きなんですぅ! なのに、なのに、ぼくが他の誰かのとこにいっちゃっても、悲しんで、くれないの? ううう……」
どうやらテレビの修羅場の空気が伝染したようである。
「私は」
と言って、リーガは意味深に間を置いた。
「拾ったものは返さない主義だ」
「おお!」
とウーニャは天を見上げ、目を輝かせた。
(ほっ。大丈夫だったァ。僕は彼女に愛されている! きっと愛されているのだ! これなら僕が大人になる前に結婚するのも夢じゃないぞ! 夫婦仲良く遊園地デートも夢じゃない! きゃはは……)
それはだいぶ極端な解釈であったが、ウーニャはさっきの涙もぴょっとすっ込ませ、ひとり歓喜した。リーガはそんな彼の背中を爪でぴんと突いた。ぷよんと良い具合に弾んだ。そんなウーニャはリーガの枕代わりになることもある。

「それは何か考えている顔だな。あまりうぬぼれるんじゃない」
緑色の丸っこい身体の、高反発の弾力をしばらく暇つぶしに弄びながら、彼女は静かに意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「ま、だいぶ汚れてきたら、質にでも出すかな。新しい代わりのものが見つかったらな」
ウーニャはぴくんっと跳ね起きた。
「そ、そ、そんな……」
天国から地獄に落ちた心地である。自分よりも大きくて男前な、新しいナマコネコの図が次々と頭に現れ、
「うわァアァァ!」
とウーニャは飛び跳ねた。
「どうした?」
とリーガが面白がって聞く。

「う、う、う」
とウーニャは涙をこらえ、ゆっくりと背を向けて言った。
「お散歩してきます……」
「ついでにまんじゅう買ってこい。あと3コでなくなる。なくなったら、私は辛い」
「……今日は祝日で『満天屋』もお休みです」
「何だと、使えない僕め! とっとと散歩行け!」
「行ってきます……」


 彼の向かったのは呪我田中学校……の駐車場である。どこか寂しげで、今の自分にぴったりの場所だと彼は思った。車の屋根で空を見ながら、彼は愛の儚さや滑稽さを思った。
「ふっ。ぼくがバカだって? そうかもしれないな」
と大人ぶって自問自答する。と、思えば、
「きゃあぁあう、ぼくだけの彼女なのにぃ、ああぁぁ!」
とのたうち回る。
「こうなったら、こうなったら」
と彼は激情に身を震わせる。
「寝てしまえばいいのだ!」
そう言って、ころんと転がった。
「夢の中なら、彼女とけっこんしてるんだもの」
そして、ふて寝を決め込んだ。と、そこへ、人影登場。
「やべえやべえ、ぽんぽん痛ぇなぁ」
と珍しく早引きすることになった体育教師の男が、腹をさすりながらそそくさとその車に乗り込んだ。そして……。


 ふっと目を覚ますと、見知らぬ駐車場だった。余りのことに、駐車場が劇的な速さでリフォームされたのだと信じたかったが、呪我田中学校にそんな資金があるはずがなかった。彼の寝ている間に、車は楽しげにぶんぶん走ったようである。そして、彼ははっとした。
「ぼくのバカ! バカ! バカヤロー!」
ウーニャのショックは大変なものだった。
「こんなに長い時間、愛しの彼女から離れてたなんて、なんてゆう人生の無駄遣いだ。まるで人間社会に遊ばれる人間と同じじゃないか。ったくもう、ぼくのバカ!」
辺りを見ると、もう夜中だ! あれから何時間も経っているようである。ウーニャは青くなった。
(リーガさん……。ああ、彼女はぼくがいなくちゃ駄目なのに。可哀そうに、一人ぼっちで泣いているんじゃなかろか)
とありもしないことを考えつつ、急いで家へ帰る。しかし、道ははてしなく遠い……。
「ああ、この道のりの、遠くって複雑なこと。まるであれだよ」
とウーニャは一人呟いた。
「ぼくと彼女の恋路のようさ」


 あれから、どれだけ這ったことだろう。ついに、ついに洞窟に着いた。泥まみれで表面は大分ボロくなった。こうなると、風呂にでも入って脱皮が必要だろう、と彼は思った。ふっと見上げると、リーガがこちらを見ていた。ウーニャは色々と劇的な再会を妄想してきたので、こんなにひょこっと会ってしまうのは想定外で、思わず後ずさった。
「ウーニャ……」
と呟くようにリーガが言った。と、すぐに、
「門限は守れ! バカ!」
と牙をむいて怒鳴ったものの、ふっと口を閉ざして、小さな妖怪の汚れた姿を睨んだ。そして、低めの声で言った。
「おまえはナマコネコのウーニャだ。私の使い魔として、ひとまず身の程をわきまえろ。まあ、枕としては良いクッションだし、買い物なら確実にこなしている。そして、必ずこんな風に返ってくる。とにかく、とりあえずあと何年かは、質には出さないでおいてやる」

それは冷たい口調だった。が、希少な褒め言葉である。ウーニャはリーガを見上げ、嬉しさ極まりぽたぽたと涙を流した。そして、呟いた。
「あいしてます……リーガさん」
言ってから、「いい最終回」感が出ているぞ、よもや……と思った。
「けっこん……あきらめ……られませ……ん」
しかし。
「うぬぼれるな、バカ」
と言ってリーガはウーニャの前にツカツカと歩み寄った。ここで劇的に抱擁するのかと思いきや、彼女はその傍の栗まんじゅうの箱を取ると、もとの指定席に戻っていった。

ウーニャの不屈の野望は、今ふたたび燃え上がった。彼は何だかふわぁっと宙に舞う心地がした。
(ぼく、バカでもいいや。幸せなら……)
近くに歩み寄ってから、ウーニャは素直に、
「ごめんなさい」
と言った。リーガはそっとその手を差し出した。ウーニャは目を潤ませながら、その手の上に乗り、夢中になって登り始めた。
(ああ、リーガさん、何てやさしいんだ。やっぱりぼくの居場所は、彼女の肩の上なんだ。ぼくのためのその肩なんだ……)
が、リーガはウーニャを途上でひょいと摘みあげた。悪魔のような笑みを浮かべて……。

「大分汚れたな。洗うか」
「きゃーっ!」
突然、である。洗面器の中に突っ込まれ、ジャバジャバジャバとこねくり回される。石鹸泡に呑まれたかと思えば、乱暴にガシガシこすられる。再び水に突っ込まれ、ジャバジャバジャバと水地獄……。やがて摘みあげられて、ほっ……と安心したその時、容赦なくぎゅうっと絞られる。
「うぎゃ!」
そして、ウーニャはどうなったか。一部の目撃情報によれば、その後すぐに昇ったぽかぽかした朝日によって、じっくり日干しされた後、やっとこ彼女の肩の上に到着したという……。

つづく